ヨルシカ だから僕は音楽を辞めた 歌詞。 ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」で“僕”は音楽を2度辞めている

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ヨルシカ だから僕は音楽を辞めた 歌詞

ボカロPとしても活躍中のコンポーザー・n-buna(ナブナ)と女性ヴォーカル・suis(スイ)によるバンド、ヨルシカが2ndミニアルバム『負け犬にアンコールはいらない』からは1年ぶり、バンド史上初の1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』をリリースした。 青年はどうして音楽を辞め、エルマに手紙を書いたのか。 「できるだけリスナーの想像の余地を残しておきたい」という二人の思いに留意しながら慎重に話を聞いた。 EMTG:今回、インタビューがちょっと難しいなと思ってるんです。 作者に聞きたいことは山ほどあるんですけど、ここで全てを聞いてしまうのも違うなと感じていて。 n-buna:そうですね。 僕もアルバムの概要やコンセプトだけを説明して、あとは、視聴者の方に委ねたいなと思っています。 最低限の情報は与えつつ、あとは自由に楽しんでくださいっていうのが理想的かなって思ってます。 EMTG:では、まず、コンセプトを考えた、発想の出発点からお伺いできますか? n-buna:じゃあ先にこのアルバムの正確なコンセプトについて。 このアルバムは青年がスウェーデンを旅して書き溜めた音楽や手紙の入った木箱が、エルマの元に届いた瞬間を描いたコンセプトアルバムです。 この初回盤の木箱を手に取った人たちが、エルマが手紙を手に取って読み始めたその瞬間を追体験することをテーマにしています。 そもそもの発想の始まりは、アルバムの最後に入っている「だから僕は音楽を辞めた」という曲を結構、昔に作っていて。 アルバム初期の構想段階で、音楽をやめた青年の話をコンセプトにして、この曲を軸に膨らませていこうというところからスタートした感じですね。 EMTG:どのくらい前に作った曲でした? n-buna:3、4年前かな。 初期衝動がだんだん薄れていく中で、どう創作を続けていこうかっていう時期に作った曲だったんです。 あんまり音楽を作れなくなったというか、作らなくなった時があって。 音楽に対しての意義とか、音楽のあり方とか、難しいことをいろいろ考えてたんですよね。 今、振り返ってみると、青臭い歌詞だなと思いますけど、自分では面白いことを考えてたんだなとも思いますね。 EMTG:suisさんはどんな気持ちで歌いました? suis:私は自分が音楽をやめる青年の気持ちになりきってました。 自分にはない記憶を勝手に捏造してというか(笑)、青年になりきって、入りきって演技をする感じで歌ってますね。 EMTG:これまでよりも感情を込めているように感じました。 n-buna:今回に関しては、ヴォーカルのディレクションをあまりせずに、本当に自由に歌ってもらったんですよね。 あえてスタジオに行かずに、音源をもらってあとから聞くっていう制作のやり方になってて。 suis:任せていただきましたね。 1枚目と2枚目のミニアルバムではかっちり歌ってたんですけど、今回から歌を自由にとらせてくれて。 だから、n-bunaくんには「許してくれるかな?」ってドキドキしながら渡したら、許してくれました。 あははは。 n-buna:いや、むちゃくちゃいい! って思ったよ。 自由にやってもらってよかったなって思います。 日付に関しては後ほどお伺いしたいと思いますが、「だから僕は音楽を辞めた」という曲からどう広げていきましたか? n-buna:アルバムがちゃんと作品として機能しつつ、パッケージとして価値のあるものにしたかったので、音源が入っているCDに付随して、物語を補完するものとして何を入れようかっていうことを考えて。 一番最初に、箱を作って、手紙を入れる方式にしようっていうことを思いついたんですね。 音楽を辞めた青年が何を使って自分を表現するかっていうところで、書き溜めた手紙や歌詞をエルマに送るっていうことを考えたところから始まりましたね。 EMTG:青年にとってエルマというのはどんな存在ですか。 それ以外は僕は言わない。 前2作との繋がりも「全然ない」と言い切っちゃうと想像の余地を狭めてしまうので、そこも自由に考えてもらえたらいいなって思ってます。 suis:恋人だったのかもわからないし、友人かもわからないし。 私も青年とエルマの関係性はわからないんですけど、恋人とか友人という枠ではなく、僕にとっては、人生の全てになっちゃうような時間を共にした子だったんだなっていうのは感じていて。 誰の人生にもいる人ではないと思うんですけど、青年にとっては、そういう相手がいたんだなっていうことを想像しましたね。 suis:確かに、ファンの子達とかは、「音楽やめちゃうのかな、n-bunaさん」って思っちゃう人もいるだろうなって思いました、私も。 n-buna:全然ないです。 こういう物語を作りたかったんです。 まだまだ作りたい音楽もありますしね。 僕の創作の原動力は、いかに、自分が美しいと思うものを作れるか。 自分が価値があると思うものを作れるかに尽きる。 そういうところで僕は、きっと、音楽をやってる人とか、ひいては音楽をやっている自分に刺さるものを作りたかったんだなと思います。 EMTG:では、「だから僕は音楽を辞めた」からスタートして、制作上で最後にできた曲は? n-buna:一番最後にできたのは「六月は雨上がりの街を書く」ですね。 このアルバムを作るためにスウェーデンを旅してきて。 僕が幼少の頃に行ったガムラスタンという街にいた時に、雨が降ったんですよ。 めちゃくちゃザーザーと降りまして。 外に出る気が起きないなって思いながら、ホテルの部屋で詞を書いてました。 そこから生まれた曲ですね。 EMTG:この曲には、MVが公開されていた「藍二乗」とつながる《今の暮らしはi 2/君が引かれてる0の下》というフレーズが出てきます。 n-buna:このアルバムのどこかで「藍二乗」の解釈というか、答えあわせを出そうと思ってて。 いろいろな意味はあるんですけど、そのなかの1つですね。 大きな意味での原基は、2乗すると「-1」になる虚数単位の「i」と、インクの藍色の「藍」の2つですね。 視界が涙で滲んで、空の藍色が涙で二重に見える、その二乗ですね。 その3つの意味がタイトルの由来の大きな部分ですね。 EMTG:MVが出た時に「これは-1のことなんじゃないか」っていうコメントもありました。 n-buna:びっくりしましたね、僕。 「あ、わかる人いるんだな」って。 最近、YouTubeやTwitterで、僕の曲や歌詞に関して、いろいろと考えてくれる人が増えてきていて。 たまに設定やプロットを当ててくる人がいるので、こんなに少ない情報からよくやるな? と思いますね(笑)。 そうして、ユーザーの子達が想像を膨らませて楽しんでくれてるのを見るとよかったなと思います。 あと、この曲は、いいヴォーカルが録れましたね。 suis:そうですね。 ブラックというか、感覚として、ちょっと怖い感じですかね。 歌ってる側は青年ではあるんですけど、もしも自分がこの気持ちを迎えるエルマだったとしたら、《あの街で待ってて》って静かに言われたら怖いなって思って。 n-buna:関係性によってはやばいよね。 EMTG:エルマ側の気持ちで聞いてなかったので、それは新鮮な感想です。 女性側の気持ちを考えたことがなかったなって気づきました。 suis:受け取る方としては、ちょっとゾッとするくらいの気持ちの大きさなんですよね。 怖いくらいの気持ちの重さを意識して歌いましたね。 n-buna:さっき、suisさんがブラックって言ったんですけど、別の意味というか、音楽的に黒いノリもあって。 曲調のはねた感じだったりは、サポートドラムのマサックさんがうまく叩いてくださって。 楽曲的にも気に入ってますね。 アルバム全体としては、バンドサウンドによるギターロックやダンスロックが主体ですけど。 n-buna:そうですね。 いろんなインストを作ろうと思いつつ、インスト系は打ち込みを基調としたもので、鍵盤が綺麗に乗るっていうのを意識してやってます。 幼少期だったので思い出の美化もあると思いんですけど、その頃に見た景色は、昔からとんでもなくきれいなんですよ。 僕の中で一番美しい景色がそこにある、という。 それに尽きますね。 久しぶりに行ってみたら、めちゃくちゃよかったです。 ストックホルム自体もいい街ですね。 EMTG:その街の景色や旅が本作の創作にも影響を与えてるんですよね。 n-buna:そうですね。 僕は風景から曲を作り、歌詞を書くタイプなので、全体的にそうです。 スエーデンを旅してた青年が思ったことを書き溜めた手紙や歌詞というアルバムのコンセプトと同じように、僕自身も旅をしながら、歌詞を書き貯めたり、曲を作ったりしてました。 EMTG:旅の中で歌詞や曲を作った順番とアルバムの曲順は違ってますよね。 n-buna:アルバムの方は、この順番でエルマに見て欲しいっていうことですね。 初回生産限定盤の手紙の方は、青年が旅を終える直前に今まで自分が書いたものを見返しながら、適当にどんどん箱に入れていって。 EMTG:アルバムのトレイラー映像はアルバムの曲順とは違ってました。 n-buna:トレイラーの方は日付順ですね。 それが初回盤ですね。 エルマに送られた状態。 suis:あの映像には12曲目の「エルマ」だけ入ってなかったんですね。 n-buna:そうだ。 だから、箱を閉じる直前、一番最後に残ったインクで描いたのが「エルマ」ということになりますね。 あの時点では書かれてないから、入ってなかったんです。 n-buna:だから、このアルバムはいろんな楽しみ方があると思うんですよね。 青年の旅を追体験するっていう意味では、3月から始まり、4月に旅に出て、一番最後に「エルマ」を聞いて、アルバムが終わるっていう風に並び替えて聴くのが一番最適化に近いかな。 手紙の方は実際に日付順に書いていってるので、手紙も合わせて楽しんでもらえたらいいなと思います。 EMTG:手紙の方にある「君の詩に月明かりを見た」という言葉を見た時に、「八月、某、月明かり」やティーザーの英語タイトル「Moonlight」の意味がわかってハッとしました。 n-buna:アルバムのコンセプトの1つとして、一番最初に決めたのが「月明かり」だったんです。 だから、楽曲を聴いて、歌詞や手紙を読んでもらえたら、いろいろとわかることがあると思います。 EMTG:ちなみにsuisさんには物語の内容やそれぞれの登場人物についてどのくらい伝えてるんですか? n-buna:全然教えないんですよ、僕。 suis:そうなんです。 実は手紙もまだあえて読んでなくて。 考察という意味でも楽しめると思うんですけど、私は、発売した時に、この箱をもらったエルマになったつもりで読もうと思ってます。 だから、皆さんにも、青年としての物語の追体験と、エルマとしての追体験を、どっちもして欲しいなって思ってます。 ボックスの大きさも含めて、迫力のある作品になったと思うので、早くみんなの元に届いて、誰かはしゃいでくれるかなっていうのが楽しみでしょうがないですね。 EMTG:音楽=人生と考えている青年の物語を作り終えて、次は何かもう考えてますか? n-buna:この物語がどういう風に終わって、どういう風に続いていくのかは自由に好きに想像してくださいって感じなんですけど、このアルバムの続編を夏にリリースします。 この青年が続きを書いていたのか、全く別の物語なのか。 いろいろと想像しながら楽しみに待っててもらえたらいいなと思いますね。 コードの勉強にもなるし、理論は知っておいて損はないし、何よりこの並びがめちゃくちゃ美しいなって感じてて。 ついつい見たくなってしまうし、定期的に見てますね。 あと、ついでに椎名林檎「「丸の内サディステック」と星野源「恋」のコード進行も調べました。 昨日、アコギを持ってた時にちょっと気になったので。 suis[スイ](Vocal) 私は「黒船/来航」を調べてますね(笑)。 ふとした時に、鎖国していたコミュニティに、新しいものを持ち込んだ人がいた場合に、そのコミュニティはどういう風に崩壊していくんだろうっていうのを考えてて。 ペリーってどんな気持ちだったんだろう? って。 例え、いいものを持ち込むんだとしても、元々あったコミュニティは壊れてしまう。 もしも自分がペリーになったら、どういう覚悟を持って入っていけばいいのかなっていうことを考えてましたね。

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ヨルシカ だから僕は音楽を辞めた

ヨルシカ だから僕は音楽を辞めた 歌詞

ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」の意味を考察してみた 曲全体の解釈 まず前提として、この楽曲は 少年エイミーと少女エルマの歌です。 アルバムの他の曲にも度々登場するこの二人の曲なんですね。 そしてこの曲で一番印象的な「あんたのせいだ」のあんたとは少女エルマのことを言っています。 しかし少年エイミーは 本当は自分のせいだってことは分かってるんです。 ラスサビへの流れでついにエイミーは「間違ってることは分かってる」と認めます。 音楽とか儲からないし 歌詞とか適当でもいいよ どうでもいいんだ 間違ってないだろ 間違ってないよな・・・ 間違ってるんだよ わかってるんだ ~ (ラストサビ) ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より でも「自己防衛(防衛本能)」のために自分以外の何かのせいにしなくては生きていられなかった。 昔は「売れることこそがどうでもいい」「何度でも君(エルマ)のことを書こう」という信念があった。 でもそれは昔のことで、成長するにつれてその信念は変わってしまった、「売れたいのに売れない劣等感」。 人間たちは自分を認めてくれない・・・。 ヨルシカ楽曲「」のMVより だから、音楽なんて儲からない、人間たちが幸せそうにしている「愛や世界や人生」なんてどうでもいいものだろ? 自分には手に入らない満たされないものを自分から否定することを自分を守っていた。 「あんた(エルマ)のせいだ」と何度も言うことだってそうです。 自分を守るためにはそう自分を正当化するしかなかった。 でも「そんな風に感じている自分こそが間違っていることは分かっていたんだ」と最後には認めます。 だけど認めてしまったことでエイミーは「自己防衛」できなくなってしまいます。 信念を失ってしまったことを認めたエイミーは、音楽を辞め、この世を去ります。 (この楽曲のアンサーソングとも言える「ノーチラス」にてエイミーはこの後、毒を呷って入水自殺したことが描かれています) 歌詞の意味の解釈 それでは歌詞の意味について考察していきます。 この曲は PVの描写も歌詞の重要な心情を補完してくれています。 合わせて見ていきます。 考えたってわからないし 青空の下、君を待った 風が吹いた正午、昼下がりを抜け出す想像 ねぇ、これからどうなるんだろうね 進め方教わらないんだよ 君の目を見た 何も言えず僕は歩いた 考えたってわからないし 青春なんてつまらないし 辞めた筈のピアノ、机を弾く癖が抜けない ねぇ、将来何してるだろうね 音楽はしてないといいね 困らないでよ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より この歌詞は、まだ自分の中で信念が消え去ってはいなかった頃の描写。 PVでもエイミーの後ろにはちゃんとエルマがいて、エイミーは何度も彼女の方を振り返ります。 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 空を飛ぶ鳥や青い空が印象的です。 将来について漠然な不安を感じてはいるけれど、まだ空白の将来にちょっとだけ淡い期待も残っている。 そんなエイミーの心情。 心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった 今更なんだから なぁ、もう思い出すな ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より しかし音楽に対して心の中で距離をとり始めていたエイミー。 (距離をとったことも自分を守るための防衛本能だったのかも) でも一度距離をとっても消えてくれなかった、思い出すんじゃないと自分に言い聞かせる。 間違ってるんだよ わかってないよ、あんたら人間も 本当も愛も世界も苦しさも人生もどうでもいいよ 正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ 考えたんだ あんたのせいだ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より この時点の間違ってるんだよは自分以外の人間に対して言っている。 そしてこの曲の歌詞でたびたび登場する「人間」とは何か。 印象的ですよね。 他のヨルシカ楽曲を見ても「人間」という単語は何度も登場するんですが、エイミーの世界には「自分」「エルマ」「人間」の3種類しかいないんです。 だから 自分とエルマ以外は全部「人間」というひとくくりの存在なんだと解釈してます。 そしてあんたら人間は間違っている、分かってないと叫んでいる。 人間たちが大切にする「本当のこと、愛、世界、苦しさ、人生」全てがどうでもいいものだと。 そしてそう考えている自分こそが正しいはずだ。 そう思いたいのは防衛本能だ。 僕は間違ってない。 あんた(エルマ)のせいだ。 そして1番サビ終わりには空を星が周る描写が挟まれます。 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より これは「星が早回しで周る」つまり1番と2番の間で時が経ったことを示しているんじゃないでしょうか。 そして2番へと入っていきます。 考えたってわからないが、本当に年老いたくないんだ いつか死んだらって思うだけで胸が空っぽになるんだ 将来何してるだろうって 大人になったらわかったよ 何もしてないさ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より エイミーは大人になった。 そして将来について抱いていた淡い期待すらも崩れ去ってしまった。 自分は何も成していない・・・。 幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ 満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 幸せな人たちを憎みたくないのに憎いと思ってしまう。 そしてこの頃にはもう彼の音楽の信念は崩れはじめていました。 「売れたいのに売れない 化け物みたいな劣等感」をどうしても満たすことができない。 間違ってないよ なぁ、何だかんだあんたら人間だ 愛も救いも優しさも根拠がないなんて気味が悪いよ ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ どうでもいいか あんたのせいだ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 「愛や救いや優しさ」そういった自分にないものを、「気味が悪い」と否定することで自分の中の虚しさを見ないようにしてる。 本当は自分も「愛や救いや優しさ」で満たされたいのに、手に入らないから。 だから幸せなラブソングを聞いて心が痛くなるのだって、自分の心を守るための防衛本能なんだ。 僕は間違ってない。 あんた(エルマ)のせいだ。 2番サビの終わりで彼が放った紙飛行機は空を飛びながらも徐々に落ちていき、暗い海に入っていきます。 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より この紙飛行機はエイミーが繰り返し歌詞を描いていたノートのページを折ったもの。 つまり「エイミーの音楽」そのものを表しているのでは。 それがついに暗いところまで落ちてしまった。 暗い海の底を歩きながらCメロが始まります。 考えたってわからないし 生きてるだけでも苦しいし 音楽とか儲からないし 歌詞とか適当でもいいよ どうでもいいんだ 間違ってないだろ 間違ってないよな・・・ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 音楽なんて儲からない、歌詞なんて適当でいいでしょ? エイミーは終始自分に手に入らないものを自分から否定することで自分の心を守ってる。 何もかもどうでもいい・・・そう思う僕は間違ってない。 間違ってないよな・・・? 心の隅に常にあった自分こそが間違っているという思いを、エイミーはついに無視できなくなっていきます。 そして印象的なピアノの転調が入るシーン。 ハッと何かに気がついた様子のエイミーは振り返り、 エルマがいなくなっていることに気づきます。 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 彼の音楽の信念「何度でも君(エルマ)を書く」ということすらも失ってしまったことに気づいた瞬間。 今まで彼の後ろについていた少女は、 彼の音楽の信念の象徴だったですね。 間違ってるんだよ わかってるんだ あんたら人間も 本当も愛も救いも優しさも人生もどうでもいいんだ 正しい答えが言えないのだって防衛本能だ どうでもいいや あんたのせいだ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より ついに僕こそが間違ってる。 本当はそんなこと分かってたと認めてしまいます。 自分が間違ってるって、そう正しい答えが言えなかったのだって、それは自分の心を守るための防衛本能だったんだ。 だって認めてしまったら僕は生きていけなくなってしまうから。 でももうそんなことすらどうでもいい・・・。 あんた(エルマ)のせいだと言ってしまおう。 僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった だから僕は音楽を辞めた ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より でも今こんなになってしまった僕でもかつては信念があったんだという独白。 エルマにだけはそれを分かっていて欲しい。 本当だったんだ、昔はそうだったんだ。 だから僕は、音楽を、辞めた。 まとめ ヨルシカさんの楽曲「だから僕は音楽を辞めた」の解釈の考察でした。 色々な解釈があると思いますが、私が自分なりに納得できた解釈をまとめてみました。 ヨルシカさんの楽曲はPVがちゃんと曲にリンクしていて凝っているので、PVと歌詞をリンクさせていくとより感情移入できる気がしています。 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!.

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ヨルシカにハマった!今更聴いた「だから僕は音楽を辞めた」がかなり刺さった件

ヨルシカ だから僕は音楽を辞めた 歌詞

「エルマ」を録ったときは、わりとポカポカな曲なのに、私自身の体調があまりよくなくて気持ちが落ちているときで。 だからあまり悲しい気持ちの出た歌声じゃダメだなと思ってエンジニアさんと相談して、ボックスから外に出て窓の前にマイクを置いて、陽の光を浴びながら歌いました。 とコメントしています。 陽の光 という言葉が似あう楽曲になっているのは、主人公にとってエルマが 太陽のような存在だったことの裏付けではないでしょうか。 本題の歌詞に迫っていきます。 歌詞 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで 朝日の差す木漏れ日 僕とエルマ まだ まだ眠いかい 初夏の初め近づく五月の森 歩きだした顔には花の雫 ほら 涙みたいだ このまま欠伸をしよう なんならまた椅子にでも座ろう 許せないことなんてないんだよ 君は優しくなんてなれる このまま何処かの遠い国で 浅い夏の隙間に寝そべったまま 涙も言葉も出ないままで ただ夜の深さも知らないままで 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで 辛いことも苦しいことも 何も見えないならわからないし 塞いだ目閉じたままで逃げた 月明かりの道を歩く 狭い部屋も冷たい夜も 眠い昼も 寂しい朝も さよならの言葉越しに君の顔を見てる このまま何処かの遠い国で 浅い夏の隙間に寝そべったまま 涙も言葉も出ないままで ただ空の青さだけ見たままで ただ君と終わりも知らないままで 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで 青年が旅をしながら写真を撮って、 手紙や詩と共にエルマに送る とまで公表しています。 決して亡くなっているとまでは言っていませんが、エルマの喪失はアルバム内の他楽曲から推測されました。 これらを念頭に踏まえて歌詞を考察していくと、主人公の虚無感や切なさを、より一層感じることができると思います。 朝日の差す木漏れ日 僕とエルマ まだ まだ眠いかい 初夏の初め近づく五月の森 エルマとともに過ごした日々が回想される。 僕とエルマ とあるように、今もなお、 主人公の心にエルマは内在し続けている。 歩きだした顔には花の雫 ほら 涙みたいだ このまま欠伸をしよう なんならまた椅子にでも座ろう 花の雫を 「涙」と比喩するところに、 隠し切れない傷心が伺える。 傷口を隠したいから、泣きそうな自分を欠伸で誤魔化そうとしている。 許せないことなんてないんだよ 君は優しくなんてなれる エルマがいないことで、一時は自分を忘れるほどの想いをして、幸せそうな周囲の人間に対して憎しみさえ覚えた主人公でしたが だから僕は音楽を辞めた参照 、エルマを想い出したときに一番に蘇る感情は 「優しさ」なのです。 それだけエルマは、 優しさに溢れた人間だったのでしょう。 サビ1 このまま何処かの遠い国で 浅い夏の隙間に寝そべったまま 涙も言葉も出ないままで ただ夜の深さも知らないままで 遠い国というのは、物語 アルバム の舞台が、n-bunさんが幼少期に暮らしていたスウェーデンだからこそ、起用された言葉なのかも知れませんが、もしかすると 「現世」と 「あの世」 という、切ない距離感が意味として 含まれているのかも知れません。 主人公は1人エルマを想いながら、 夜空を見上げている。 未だに受け入れることができていないから、もしくは涙なんて枯れ果てててしまったから 涙も言葉も出ないままで とある。 2番からは主人公の傷心が ダイレクトに表現されていきます。 スポンサーリンク 2番 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで エルマの喪失が「嘘」であると信じたい。 触れて というのは叶わない主人公の願望。 願望が述べられた後に まだ まだ痛いよ と生々しい主人公の 本音が書き出される。 辛いことも苦しいことも 何も見えないならわからないし 塞いだ目閉じたままで逃げた 月明かりの道を歩く 主人公が抱える絶対的な 「苦悩」 何も見えないならわからない という理屈を頼りに、 目を塞いで現実逃避をしています。 狭い部屋も冷たい夜も 眠い昼も 寂しい朝も さよならの言葉越しに君の顔を見てる 君の顔を見てる という具体的表現から推測するに、主人公はエルマの写真を眺めているのでしょう。 狭い部屋• 冷たい夜• 眠い昼• 寂しい朝 という各種場面の情景からは ぼんやりとした 憂鬱が伝わります。 スポンサーリンク サビ2 このまま何処かの遠い国で 浅い夏の隙間に寝そべったまま 涙も言葉も出ないままで ただ空の青さだけ見たままで ただ君と終わりも知らないままで サビ1と類似していますが ただ夜の深さも知らないままで が ただ空の青さだけ見たままで に変わっています。 これは• 主人公が夜の深さ 悲しみ を知った• 空と同じようにブルーになっている といったことの表れではないでしょうか。 ただ君と終わりも知らないままで という最後の一文は 君を想い出すことの終わらせ方がわからない。 つまり 「いつまでエルマのことで苦悩すればいいのか」という葛藤が描かれているのだと解釈致しました。 3番 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで もう会えないエルマを想い続けるのは 心が痛い。 だからこそ「さよなら」と 告げられることで、前に進みたい。 しかし、それは矛盾していることで、叶わないことだから、主人公は一生エルマを忘れることができないのでしょう。 感想 いかかでしょうか。 あくまで仮説を念頭に置いての考察ですが、主人公の喪失感がヒシヒシと伝わってきました。 「エルマ」の持つぽかぽかした楽曲雰囲気とは、対照的である楽曲背景が、より切なさを強調させる。 『エルマを想い続ける』 という主人公の感情に 寄り添える楽曲であったと思います。

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