認知 症 の 第 一 人 者 が 認知 症 に なっ た。 「認知症の第一人者が認知症になった」 | スタッフBlog | 株式会社wiwiw

NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」を観て。再放送予定、動画の見逃し配信

認知 症 の 第 一 人 者 が 認知 症 に なっ た

「僕にはメロディーがない。 和音がない。 共鳴がない。 帰ってきてくれ。 僕の心よ、全ての思いの源よ。 再び帰ってきてくれ。 あの美しい心の高鳴りは、もう永遠に与えられないのだろうか。 」(五線紙に書かれた岩切さんの言葉より) 健さんが亡くなったあと、妻の裕子さんが五線紙のことを長谷川さんに打ち明けた。 「先生がハンカチ出してポロポロ泣かれて、黙って私を抱きしめてくださって。 先生も自分は勉強として、脳がどんなふうになっていくというのはいっぱい研究してきたけども、『本人の心の中を見たのはこれが初めて』とおっしゃった。 」(裕子さん) 「自分自身が壊れていきつつあることは、別な感覚で分かっている。 十分に分かっているつもりではないけども、ほのかに分かっている。 」 認知症が進行していることを自覚している長谷川さんは、認知症になって初めて分かった当事者の胸の内をこう説明する。 「いつも確認していなくちゃいけないような、そういう感じ。 自分自身が壊れていきつつあることは、別な感覚で分かっている。 十分に分かっているつもりではないけども、ほのかに分かっている。 確かさ、確かさっていう生活の観念が。 生きている上での確かさが少なくなってきたように思うんだよね。 」(長谷川さん) 長谷川さんは日々失われていく「確かさ」に抗うようにできるだけ外出し、お気に入りの喫茶店でリラックスするが、日記には複雑な心情を吐露する。 「一生懸命、一所懸命やってきた結果こうなった。 どうも年をとるということは容易ではない。 僕の生きがいは何だろう?」(日記より) 「(認知症は)神様が用意してくれたひとつの救い。 」 認知症の人の心に寄り添い半世紀にわたって診療してきた長谷川さん。 しかし、自身が認知症と分かったとき、想像以上の不安に襲われたと打ち明ける。 「もうだめだとか。 もう僕はあかんとか。 もう何もできなくなるのかとか。 どんどんひとりになる。 自分が認知症になってみたら、そんなに生やさしい言葉だけで、人様に申し上げることはやめなくてはならないと。 こんなに大変だと思わなかったな、ということだよね。 」(和夫さん) 認知症と向き合う長谷川さんを支えるのが妻の瑞子さん。 いま、長谷川さんは、1日の終わりに妻の瑞子さんに「ありがとう」の言葉を伝えるようになった。

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「認知症の第一人者が認知症になった」がエモかった|すりふと/医学生|note

認知 症 の 第 一 人 者 が 認知 症 に なっ た

『NHKスペシャル』著者出演で大反響。 その理由はなぜでしょう? 研究者として接してきた「認知症」と、実際にご自身がなってわかった「認知症」とのギャップは、どこにあったのでしょうか? 予防策、歴史的な変遷、超高齢化社会を迎える日本で医療が果たすべき役割までを網羅した、「認知症の生き字引」がどうしても日本人に遺していきたかった書。 認知症のすべてが、ここにあります。 53年、東京慈恵会医科大学卒業。 74年、「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表 改訂版は91年公表。 89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。 2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。 「パーソン・センタード・ケア」を普及し、ケアの第一人者としても知られる。 現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授。 1985年4月、読売新聞社入社。 2014年9月、社会保障部長、17年9月、編集委員。 専門は社会保障。 スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「John S. Knight Journalism Fellowships at Stanford」修了。 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。 著書に、『 社会保障、はじめました。 』 SCICUS 、『社会保障のグランドデザイン』 中央法規出版 などがある。 53年、東京慈恵会医科大学卒業。 74年、診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表 改訂版は91年公表。 89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。 2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。 「パーソン・センタード・ケア その人中心のケア 」を普及し、認知症医療だけでなくケアの第一人者としても知られる。 1985年4月、読売新聞社入社。 2014年9月、社会保障部長、17年9月、編集委員。 専門は社会保障。 スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「John S. Knight Journalism Fellowships at Stanford」修了。 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです 一旦病院に入り込めば(ある意味必要、重要ではあるかもしれませんが) 短すぎる診察・分けのわからない治療方針の説明の過程で、 「とにかく手術」な先生、エビデンス収集癖ありなお薬・先進治療先生、他人の命より論文優先な先生、看取り屋先生、次の予約取れれば良い先生、口先先生… がよく見受けられ、うんざりします。 患者(当事者)は、案外先生の態度を観ています。 そういう先生方の説明は、なかなか心にも頭にも届かないから。 せっかく家族で、しんどいのに、わざわざ遠くから診察に来たのに、すごーく待ったのに、 「痛い」とか「辛い」とか「しんどい」とか詳し~く伝えているのに、 『そんな症例はない』だとか『気のせい』だとか言われる。 長い話し合いは、面倒なのか。 短い診察の中でうまくやり過ごされたり、丸込めこめられたり、嵌められそうで、 よっ…ぽど悪くでもならない限り近づきたくもないし、行きたくもないのです。 でも病院に行かざるを得ない。 私も持病があり、若干認知症だし、 少しでもよそ様に迷惑をかけずに生きたいので。 素人患者に対して知りたい情報を、分かりやすく説明してくれる先生がなかなか、いない。 説得力のある先生も、いない。 …そんな中でもある治療法を選んだうえ、結局ダメだった場合でも自己責任…という空気を感じる。 自分の、または大切な人の命がかかっているのに、十分な話し合いができない。 認知症の家族も当事者も、時間的・肉体的・精神的限界を感じて、毎日を過ごしている。 (実は当事者でもある)長谷川先生は、患者や家族の意見や人権を尊重し、 丁寧な対応をして下さり、何より患者ファーストです。 今後このようなドクターが多くなってほしい。 何年かかるだろう。 ずいぶん耐えてから来院しているので、冷たい先生はもう本当に要りません。 AIも要らない。 流れ作業的な対応も、実は嫌。 誰でも死ぬまで安心していたいだけです。 上っ面な言葉は通用しません。 長谷川先生は患者や家族の話を親身に聞いてくれて、その希望をくみ取ってくれる。 真心ある、信ずるに値する先生は、今なかなかいません。 自分は自分の為にも大切な人の為にも、ドクターショッピングして懸命に探して抜いて見つけますけど。 お医者様になるまで、道徳の勉強とか、自分で考え抜く時間とかが、あまりないからですか。 忙しすぎるから?素質の問題ですか? 長谷川先生のような親身な先生に診ていただければ、とても安心します。 免疫力も上がり、認めてもらえる喜びを感じます。 「あんな先生の言うなりにしなければ良かった」という後悔を、もうしたくないのです。 こういうドクター本が売れるのが、なんとなく分かります。 機械的な先生より、温かみを感じる先生に診てもらいたいから、信じたいから読むんでしょう。 長谷川式認知症スケールを作った人が認知症になって思ったことが書かれているということで興味を持って読んでみましたが認知症になった人の気持ちがわかる内容で認知症の人とあまり接触したことがない人が読むには最適でしょうか。 筆者はアルツハイマー型やレビー小体型認知症といった代表的な認知症ではなく、嗜銀顆粒性認知症という進行がゆっくりとしたものだそうです。 超高齢社会になり誰もが認知症になる時代です。 まだ認知症と診断されても本人に告知することは現実には難しい現状ですが、ガンのように告知が当たり前になる時代が認知症にも来ると信じています。 そのためには本人自身もそうですが家族や周囲の人たちが認知症や介護、施設の現状を知り、知らないことから来る不安をなくす努力を認知症になる前からはるか前から知るということが何よりも大切になってくると思います。 認知症になり錯乱状態になったり弄便をする認知症患者の家族の戸惑いや苦痛などについて書かれていないので残念です。

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「認知症の第一人者が認知症になった」長谷川先生の今

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2019年7月 認知症研究の第一人者が、 認知症になって伝えたいこと 現在、65歳以上の高齢者における認知症患者数は約7人に1人の462万人(有病率15%)と推定されており、2025年には約5人に1人が認知症を発症すると予測されています。 今後、急増が見込まれる高齢者や認知症高齢者の地域での生活を支える枠組みとして、地域包括ケアシステムの構築が急ピッチで進められるなか、認知症研究の第一人者で、「長谷川式簡易知能評価スケール」の開発者としても知られる長谷川和夫先生は、2017年に 嗜銀顆粒 ( しぎんかりゅう )性認知症であることを公表されました。 わが国における認知症の研究・診療・ケア職育成の先駆者として「認知症と共に生きる社会」を繰り返し提言されてきた長谷川先生に、これまでの歩みを振り返るとともに、認知症の当事者として生きる上で感じている思いを伺いました。 前編:認知症研究の第一人者が、認知症になって伝えたいこと• 後編: 恩師、新福尚武先生との出会いから 認知症研究・診療の道へ 先生が認知症の研究や診療に進まれたのは、どのような経緯からでしょうか。 私が今日ここにあるのは、恩師の新福尚武先生のおかげです。 私は東京慈恵会医科大学を卒業後、精神神経科に入局しました。 そして医局長を務めていたときに鳥取大学精神科の教授だった新福先生が教授として赴任してこられました。 この新福先生との出会いが、私のキャリアのなかで一つの大きな出来事でした。 私が精神科医になった当初は、認知症に対する薬剤はなく、認知症の方へのケアも十分に行えているとはいえない時代でした。 1968年に東京都内の老人ホーム入居者の健康調査を行うことになり、新福先生の指名を受けて初めて認知症の方の診断を担当することになりました。 そこで、認知症かどうかを評価する尺度が必要となり、その指標づくりを任されたのです。 認知症の見立ては昨日と今日で変わってはいけないので、認知症と判断できるような一定の基準が必要だから、という理由でした。 結果が数量化されて、誰が検査してもほぼ同様の結果が得られる客観的な指標として発案しました。 その後、研究を進めて、1974年に「長谷川式簡易知能評価スケール」(以下、長谷川式スケール)として発表しました。 そのとき、私は聖マリアンナ医科大学の教授でしたが、「長谷川式スケール」を開発したこともあり、認知症患者さんが全国から紹介されてきたほか、韓国からも患者さんが訪ねてこられました。 当時、他の病院では行われていなかった外来患者さんのためのデイケアも始めました。 有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになったのもこの頃です。 今は認知症でなくても、死ぬ前にはたいていの人が認知症になります。 ですから認知症の問題というのは、高齢者だけの問題ではなく全ての人の問題になるということに気が付き、本格的に研究に取り組む必要があると考えたのです。 認知症を公表したことで 地域に支えられていることを実感 先生は、2017年にご自身が認知症であることを公表されましたが、どのように診断を受けられたのでしょうか。 時間の感覚があやふやになり、外出後に「鍵をかけたかな」と何度も家に戻って確認するといったことを繰り返すようになり、アルツハイマー病を疑いました。 私は「長谷川式スケール」の答えを暗記してしまっているので検査に使うことはできませんでした。 そこで専門病院でCTやMRI、心理テストなどを行ったところ、「嗜銀顆粒性認知症」と診断されました。 これは80代や90代の人に多くみられ、晩節期に発症する認知症です。 普通の状態と認知症の状態が日常で行ったり来たりする特性があります。 私は米寿を迎えてから認知症と診断されましたが、多くの人が卒寿、百寿を迎える時代です。 認知症になるリスクは加齢とともに高まるので、長寿化に伴い、私のように80歳や90歳を過ぎてから晩発性認知症を発症する人はこれから増えていくでしょうね。 認知症研究の第一人者であるご自身が認知症であることを公表されたのは、なぜでしょうか。 なぜカミングアウトしたかというと、こういうことは自分一人で抱え込んでいたら駄目で、多くの人に知ってもらい、皆がそれぞれの立場で工夫をして受け止めるようにした方が良いと思ったからです。 要するに、地域で認知症の人をケアする地域ケアが重要であり、そのことを広く知ってほしいとの思いからです。 認知症というのは、地域、まち全体で取り組まなければならない問題です。 自分が住んでいる地域全体で認知症の人をケアするという、そういう文化をつくることが絶対に必要な時代になってきたと思っています。 それを具体的にしたのが、福岡県の大牟田市が進めている徘徊高齢者を隣近所や地域ぐるみで見守り保護していく「大牟田方式」です。 海外では、認知症の地域ケアというと「大牟田」といわれるぐらい有名になりました。 まち全体で見守ることにより、徘徊は散歩に変わるので患者さんの尊厳も保たれますし、その地域で安心して暮らし続けることができますね。 そうそう。 地域で認知症の人をケアすることが必要な時代になってきたのです。 先生は認知症を公表されたことで、生活に何か変化はありましたか。 近所に行きつけのコーヒーショップがあるのですが、そこへ出かける途中で、知らない女性から「長谷川先生ではありませんか」と声をかけられました。 びっくりして「そうです、長谷川ですけど」と答えると、「そうですか。 ご苦労さまです」と、その人は行ってしまいました。 そんな風にまちなかで話しかけられることが増えました。 あるときは通りを歩いていて転倒してしまったのですが、たまたま通りかかった女性が家まで送ってくれました。 後日、新聞を見て私のことを知ったその女性が家まで訪ねて来てくれたことがありました。 新聞に載ってしまったので、地元ではちょっとした有名人になってしまいましてねぇ。 でも、こんなふうに地域の人が「この人は認知症だ」と気付いて適切なケアや手助けをしたり、見守ったりするようなまちにするのがこれからの課題で、地域ケアとはそういうことだと思うのです。 私自身、地域のなかで支えられていることを実感しています。 今、私はデイケアに通っているのですが、そこでは、今までの生活ではあまり出会わなかったような同年代の人と親しくなったり、地域の床屋さんや喫茶店のマスターと親しくなったりというのも、これまでにはない経験です。 今の暮らしについては、毎日新鮮な気持ちで過ごしています。 認知症になったからといって、最近の新しい出来事をすべて忘れるわけではないんですね。 新しい出会いもありますし、新たに興味を持つこともあります。 認知症になっても、今までと変わらない部分もたくさんあることを知っていただきたいです。 今を大切に 経験や思いを伝える活動に注力 認知症と診断されてから、どのような思いで毎日を過ごされていますか。 今日、今という瞬間が一番若いと思って生活をしています。 あと5分か10分すれば、もうそれだけ年を取るわけですからね。 ですから、今一番若いときにできることをしようと思っています。 どういうことかというと、明日やることがあったら、今日それに手をつける。 例えば、明日から今までの体験をもとに本を作ろうというときに、序文を書くことは今できるわけです。 今が一番若いのだから、今できること、やれることがあったら手をつける。 つまり、未来を先取りするということですね。 そういうことを生活の基本にしようと心掛けています。 やるといっても大したことをするわけではありません。 小さいことですが、でもそれをやるとほっとするというか、やることができたという達成感を感じます。 先生が生きがいとされていることはありますか。 自分が今まで蓄積してきたいろいろな事柄を人様に伝えていくことで、皆さんのお役に立ちたいと思っています。 それができるのは、今しかありません。 先生は、認知症をテーマにした絵本を2018年に出版されました。 絵本を通して、どのような思いを伝えたかったのでしょうか。 <あらすじ> いつもニコニコしていて、一緒に遊んでくれたおばあちゃん。 「いろいろわすれるびょうき」になったおばあちゃんは、迷子になったり、トイレの場所が分からなくなったり、突然怒ったりするようになってしまいました。 ある日のこと、夕食のとき、おばあちゃんは突然、家族のことが分からなくなってしまいました。 大人は困惑し、誰も何も言えませんでした。 絵本ではおばあちゃんの設定ですが、認知症になったのは私の義父で、私はこの男の子の父親の立場でした。 長生きしたら、誰でも認知症になる可能性があるわけです。 認知症になると子どもにとっては不思議なことがいろいろと起こるわけですが、疾患の特性を知ることで、子どものうちから認知症に対して偏見なく接することができたり、生活の一部として認知症の人を受け入れることができるのではないかという思いで出版しました。 設定を親子関係ではなく、孫とおばあちゃんにしたのは、子どもは親に何かあったときには責任を感じてあれこれと手をかけてしまいますが、孫と祖父母なら、親子間とは感じ方や捉え方が違いますので、よりソフトな対応になると思ったからです。 また、認知症の人であっても、周囲の理解があれば安心して暮らせることを多くの人に知ってもらいたいという願いも込めています。 認知症の診療で最も大切なことは 患者さんを人として尊重すること 認知症の診断や治療が進歩する一方で、患者さんを取り巻く環境の変化についてはどのように見ておられますか。 私が認知症の研究を始めた当初は「痴呆」と呼ばれており、患者さんは馬小屋の隣にあった納屋のような小屋に閉じ込められていたり、外出できない状態におかれていたりと、人権も尊厳もないような時代でした。 2004年に「認知症」と改称されてからは認知症に対する理解が進むようになり、ようやく最近になって認知症患者の尊厳を守ろうという考え方が広まってきたと思います。 認知症の診療で最も大切なことは、患者さんと同じ目線に立ち、人として尊重することです。 「長谷川式スケール」を使うときも、この点に気を付ける必要があります。 「100から7を引くといくつになりますか」など、患者さんのプライドを傷つけかねない質問もあります。 患者でなくても、突然そのような質問をされたら気分を害する人がいるのは当然ではないでしょうか。 ですから、患者さんやご家族とコミュニケーションを取り、診断に必要なことを丁寧に説明し、納得してもらった上で行う必要があります。 認知症の本質は暮らしの障害であり、暮らしがうまくいくかどうかが一番大事なことです。 暮らしのなかで困っていることがあるかどうか、家族の話にも耳を傾け、総合的に判断することが大切です。 () 長谷川 和夫 (はせがわ・かずお) 1929年2月5日、愛知県春日井市に生まれる。 1953年東京慈恵会医科大学卒業。 1956年よりアメリカの聖エリザベス病院とジョンズ・ホプキンス大学病院で精神医学・脳波学を専攻。 その後、再びアメリカ留学へ。 これらの留学を通し、パーソンセンタードケアを学ぶ。 1973年聖マリアンナ医科大学教授。 1974年「長谷川式簡易知能評価スケール」発表。 1993年同学長、その後、理事長、高齢者痴呆介護研究・研修センター(現 認知症介護研究・研修東京センター)センター長を経て、2009年より認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長。 1986年に日本老年精神医学会を創設し、1989年に日本初開催となる国際老年精神医学会を主催するなど、老年精神医学界を牽引。 認知症の研究、診療の第一人者であり、パーソンセンタードケアの普及、ケア職育成にも尽力。 2017年11月に嗜銀顆粒性認知症と診断され、公表。 その後も絵本の出版、2019年秋には新刊を出版予定と、認知症啓発のために精力的に活動を続けている。 聖マリアンナ医科大学名誉教授。 認知症と共に生きる社会 長谷川和夫先生インタビュー• 前編:認知症研究の第一人者が、認知症になって伝えたいこと• 後編:.

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