雪の華歌詞意味。 雪 (童謡)

中島美嘉 雪の華 歌詞&動画視聴

雪の華歌詞意味

日本レコード大賞を受賞し、また数々のアーティストからカバーされている名曲です。 純愛を立ったこの曲の歌詞は、とても 詩的で感性豊かで物語性のある歌詞です。 実はこの曲、同じく日本レコード大賞の作詞賞も受賞してるのです。 そして、2019年2月1日には、 この曲の歌詞をモチーフにした映画も公開予定です。 どんな恋愛映画となるのでしょうか。 それでは、『雪の華』の歌詞を紐解いていきましょう。 雪の華【歌詞】 のびた人陰 かげ を舗道にならべ 夕闇のなかを君と歩いてる 手をつないでいつまでもずっと そばにいれたなら 泣けちゃうくらい 風が冷たくなって 冬の匂いがした そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる 今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす 甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる 心からそう思った 君がいるとどんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる こんな日々がいつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ 風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる 舞い落ちてきた雪の華が 窓の外ずっと 降りやむことを知らずに 僕らの街を染める 誰かのために何かを したいと思えるのが 愛ということを知った もし、君を失ったとしたなら 星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ 今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす 甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える この街に降り積もってく 真っ白な雪の華 ふたりの胸にそっと想い出を描くよ これからも君とずっと… 出典元: 雪の華 作詞 Satomi 雪の華【歌詞解釈】 のびた人陰 かげ を舗道にならべ 夕闇のなかを君と歩いてる 出典元:雪の華 タイトルの 『雪の華』からも察することができますが冬の歌ですね。 『人陰』と書いて『かげ』と読ませています。 あまり使わない字の並びですが、『人陰に紛れる』というような用法で使う場合の『人の気配』という意味や、『太陽などの光を通して 地面に映る人の陰』という意味で捉えることもできます。 文脈から今回は後者です。 冬は太陽が低く、影が伸びる季節です。 夕方になれば、よりいっそう影が伸びます。 季節は 冬、『夕闇』とあることから、 夕方が過ぎたころ、夜に近い時間帯だと推察されます。 歌で 『君』と言ったら、 『愛する女性』のことだと相場は決まっています。 主人公の男性は、彼女と一緒に街を並んで歩いているのでしょう。 手をつないでいつまでもずっと そばにいれたなら 泣けちゃうくらい 出典元:雪の華 二人は手を繋いでいます。 主人公の男性は、歩きながら、『いつまでもずっとそばにいられたなら』と願っています。 『いれたなら』というのは、『いることができたなら』という『可能』の意味を持ちます。 つまり 『いられたなら』の ら抜き言葉です。 口語です この歌詞は、 口語を織り交ぜながら、主人公の男性の素直な気持ちが伝わるよな工夫がなされています。 その次の1行も、それがより強く出ています。 『泣けちゃうくらい』としています。 おそらく、このあとは、泣けちゃうくらい『幸せ』などの言葉が省略されているのだと思いますが、省略されているというよりは、 感極まって言えていないと言った方がしっくりきます。 風が冷たくなって 冬の匂いがした そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる 出典元:雪の華 主人公は少しシャイなのかもしれません。 寒さという 口実がなければ、横を歩く愛する女性と自然にくっつけないようです。 いずれにしても、 冬の物悲しい情景と、彼女に対する純粋な愛情を重ねているようです。 今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす 出典元:雪の華 タイトルにもなっている『雪の華』は、 『雪の結晶』のことでしょう。 雪の結晶は、万華鏡に使われる意味の『華』のような形をしています。 雪が降っているのです。 みぞれでも、ボタン雪でもなく、もっと冷たい雪です。 その雪を、二人で眺めており、男性はその瞬間、幸せを感じています。 甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる 心からそう思った 出典元:雪の華 純愛を歌っています。 甘えや弱さではなくて、見返りの気持ちもなく、その気持ちは 『君を愛する気持ち』ということです。 君がいるとどんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる こんな日々がいつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ 出典元:雪の華 主人公の男性は、自分にとってどれほど彼女のことが大切なのかを表現しています。 『気持ちになってる』この部分も、口語であり、 い抜き言葉です。 そして主人公の男性は、 『永遠』を願っています。 深読みしてしまうと、 長くは続かない、という何かの伏線なんじゃないかと勘繰ってしまいますし、そんな不安がよぎると、いっそう切ない歌詞に聞こえてきます。 風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる 出典元:雪の華 2番です。 1番では、主人公の男性にとって彼女がどんな存在かを説明していましたが、2番では 自分が彼女にどんなことをしてあげられるか、ということに言及しています。 最初の2行は非常に詩的な表現です。 『風』と『夜』を擬人化していると捉えることもできます。 つまりは、この2行は、後に続く 『どんな悲しいこと』に対してのメタファーです。 舞い落ちてきた雪の華が 窓の外ずっと 降りやむことを知らずに 僕らの街を染める 出典元:雪の華 1番では、夕闇の街を歩いていましたが、2番では家に帰りついたようです。 家の中から、雪が降っている窓の外を眺めています。 主人公の男性は、 真っ白な雪景色と、自分の中の彼女に対する純真な愛を重ねているのです。 誰かのために何かを したいと思えるのが 愛ということを知った 出典元:雪の華 主人公の男性は、彼女どの恋愛を通して、言わば 『無償の愛』を知ったようです。 もし、君を失ったとしたなら 星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ 出典元:雪の華 この辺りの歌詞が、幸せはずっとは続かない、将来的にどちらかが居なくなってしまうのではということを彷彿とさせ、例え話ではありますが、 切なくなってしまいます。 今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす 甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える 出典元:雪の華 サビの繰り返しです。 一番は、並んで歩きながら雪を見ていましたが、2番のサビは、夜、 家の中から降る雪を見ていると捉えた方が自然でしょう。 いずれにしても、主人公の男性は、彼女と並んで雪を見ることで、今のこの幸せを噛み締めています。 この街に降り積もってく 真っ白な雪の華 ふたりの胸にそっと想い出を描くよ これからも君とずっと… 出典元:雪の華 思い出を 冷凍保存できそうな、そんな情景が浮かんできます。 今までは、幸せの瞬間、つまり 『現在』を表現していましたが、最後に、その『現在』が 想い出という『過去』になり、そして、 これからもという『未来』を見据え、ずっとという言葉で 永遠を願っています。 雪の華【タイトル考察】 『雪の華』は 雪の結晶のことです。 雪の結晶が降っている情景と、 主人公の心の中にある真っ白な愛を重ねて、表現されています。 幸せな情景を描いている歌詞なのにどこか切なく感じるのは、その雪の景色はいつまでも続くわけではなく、愛もまた、永遠を願いながらも、 儚いものであるという性質が重なるからではないでしょうか。 雪の華【データ】 歌手 中島美嘉 作詞 Satomi 作曲 松本良喜 『雪の華』は、2003年10月1日に発売された中島美嘉さんの10枚目のシングルです。 明治製菓『boda』『galbo』のCMソングです。 この曲で中島美嘉さんは、第45回 日本レコード大賞金賞を受賞しました。 また、この曲は 日本レコード大賞の作詞賞も受賞しています。 また、この曲をモチーフとした実写恋愛映画が2019年2月1日に公開予定です。 この曲は、国内外問わず、たくさんのアーティストによってカバーされています。 代表的な方ですと、森山良子さん、徳永英明さん、河村隆一さんらです。 それから、2016年には、 WEB漫画アプリComico内で大人気連載の『ReLIFE』のTVアニメにて、第8話のエンディングテーマに起用されました。 他の曲の歌詞解釈をもっと読む.

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雪の華 中島美嘉 歌詞情報

雪の華歌詞意味

中島美嘉の『雪の華』について解説を書きます。 歌はその歌の持つ感情を経験することが重要なので、上のYouTubeで曲を聴きながら、繰り返し再生しながら、この解説を読んで頂ければ、と思います。 『雪の華』の歌詞全体を一度書いた後に解説を書いていきます。 【『雪の華』歌詞】 のびた人陰 かげ を舗道にならべ 夕闇のなかを君と歩いてる 手をつないでいつまでもずっと そばにいれたなら 泣けちゃうくらい 風が冷たくなって 冬の匂いがした そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる 今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす 甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる 心からそう思った 君がいるとどんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる こんな日々がいつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ 風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる 舞い落ちてきた雪の華が 窓の外ずっと 降りやむことを知らずに 僕らの街を染める 誰かのために何かを したいと思えるのが 愛ということを知った もし、君を失ったとしたなら 星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ 今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす 甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える この街に降り積もってく 真っ白な雪の華 ふたりの胸にそっと想い出を描くよ これからも君とずっと… 【『雪の華』のテーマについて】 この『雪の華』は複数のテーマを持っています。 それぞれのテーマごとに説明していきます。 [光と闇] この歌は「闇の中の光」というテーマを持っていて、そのことを通して「光」と「闇」の関係性について伝えようとしています。 この歌での「光」とは恋愛における「愛」であり、「闇」とは恋愛における「欲望」「依存」「逃げ」などのことを意味しています。 そのことをよく表している歌詞が、この歌詞です。 「甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる 心からそう思った」 「甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」 二度に渡って「甘えとか弱さじゃない」という言葉が使われるのは、この言葉が重要だからです。 「光」は「闇」と対比させることによって、よく理解できます。 この歌は「愛」という「光」について歌っている歌であるからこそ、「闇」と対比させることによって「愛」について理解を深めてほしいという金星神の気持ちが込められています。 恋愛における「甘えとか弱さ」とは「欲望」「依存」「逃げ」といったことです。 例えば、相手を自分が何か得をするため、快楽を得るための道具と考えるのであれば「欲望」、必要以上に相手に頼るのは「依存」、相手を自分が嫌なことから目をそらすための道具として考えるのであれば「逃げ」です。 これらの「欲望」「依存」「逃げ」に共通する点は、その感情が「自分のため」という点です。 自分が快楽といった何かを得るための「欲望」、自分が楽をするための「依存」、自分が苦しみから解放されるための「逃げ」といった形で、「闇」の感情は全て「自分のため」の「利益」を求める感情です。 逆に言うと、相手に対して少しでも「自分のため」の「利益」を求めるならば、それは「欲望」「依存」「逃げ」になってしまいます。 それに対して、本当の「愛」は「自分のため」という気持ちが少しもなく、そういう意味で「純粋」であって、その「純粋性」を表す言葉が「ただ、君を愛してる 心からそう思った」「ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」という言葉です。 全く「自分のため」の「利益」を考えていなくて、「ただ、君を愛してる」「ただ、一緒にいたい」と「純粋」に想う気持ちが「愛」です。 では、どうして「ただ、一緒にいたい」と思えるのかというと、相手のことを大事に想うからです。 大事な人に対して、「会いたい」「一緒にいたい」という気持ちは我々にとって、とても「純粋」な気持ちであって、それは「愛」です。 ですから、まとめると、 「自分のため」の「利益」を求める「甘えとか弱さ」の気持ちが「欲望」「依存」「逃げ」といった「闇」の感情。 「利益」を全く求めず、「ただ愛してる」「ただ一緒にいたい」という「純粋」な気持ちが「愛」であって、それは「光」の感情。 少しでもそこに「自分のため」という気持ちがあると、それはもはや「愛」ではなくなります。 そこに一切「自分のため」という気持ちがないことを「純粋」と言い、本当の「愛」は必ずその「純粋性」を抱えています。 そういった「愛」の「純粋性」がこの二つの言葉で歌われています。 そして、「愛」のことを最もよく表現している歌詞がこの言葉です。 「誰かのために 何かをしたいと思えるのが 愛ということを知った」 この歌において、最も重要な歌詞だとも言えます。 「愛」とは「誰かのため」という感情です。 それに対して「欲望」「依存」「逃げ」とは「自分のため」という感情です。 この「誰かのため」「自分のため」という対比が、「光」と「闇」の構造そのものを表しています。 いつも「光」は「相手のため」であり、「闇」は「自分のため」です。 では、どうして「相手のため」と想えるのかというと、相手のことが大事だからです。 相手のことを大事と想う気持ちが「愛」であって、大事に想うからこそ「相手のため」に何かをしたいと思います。 逆に言うと、ある人が「欲望」「依存」「逃げ」という感情を相手に対して抱く時、その人は相手のことを本当に大事とは想えていません。 なぜならば、相手を「自分のため」の道具として考えているからです。 どこかで、相手よりも自分の方を大事に考えています。 相手のことが本当に大事と考える時、我々は相手を「自分のため」の道具とは考えられません。 なぜならば、自分よりも相手の方が大事だからです。 我々はいつも自分と相手のどちらをより大事と考えるかというところを揺れています。 そのことは、我々が「光」と「闇」の間を揺れているということを意味しています。 まとめると、 相手よりも自分の方が大事だと考えるのが「闇」の立場であって、だからこそ「自分のため」に相手から自分が何かを得たいと思います。 自分よりも相手の方が大事だと考えるのが「光」の立場であって、だからこそ「相手のため」に自分が相手に何かをしたいと思います。 以上のことを歌詞を含ませながら全てまとめると、 「甘えとか弱さ」という歌詞は「欲望」「依存」「逃げ」といった「闇」の感情を表し、それらは全て「自分のため」の感情。 相手よりも自分の方が大事だと思うからこそ、相手を自分が「利益」を得るための道具として考える「闇」の立場のこと。 それに対して、「ただ、君を愛してる 心からそう思った」「ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」という歌詞は、そういった「利益」を求めることが一切ない「愛」の「純粋性」を表し、どうして「利益」を求めないかというと、相手のことを自分よりも大事に想うからです。 そして、相手のことを大事に想う気持ち=「愛」から「相手のため」に何かをしたいと思う気持ちが「誰かのために何かをしたいと思えるのが愛ということを知った」という歌詞に込められていて、「相手のため」という「光」の立場をよく表しています。 この歌はなんとなく聴いていると、この「光」と「闇」の構造を理解することはできません。 しかし、金星神はこれだけの意味をこの歌には込めています。 そして、それを非常に分かりやすく表現しています。 我々はこういった大事なことを『雪の華』を聴いていると感じます。 だからこそ、心が動きますし、多くの人がこの曲のことが好きです。 しかし、それを「言葉」を使って、具体的にどのような意味が込められているのかを理解しなければ、大事なことを感じられても、大事なことを「教訓」にはできません。 なぜならば、その時に感じた「感覚」は忘れていきますが、「言葉」は大事なことを保存できるからです。 そして、「教訓」とはいつも「言葉」によって得ることができるものだからです。 我々人間はいつもこの「光」と「闇」の間を振れながら生きています。 しかし、我々はこの「光」と「闇」の構造を見失っています。 だからこそ、大事なことが分からなくなってしまっています。 そして、そのことによって我々は苦しんでいます。 我々を助けるために、大事なことを思い出してほしいからこそ、金星神はこの歌を創っています。 この「光」と「闇」の構造はこういった感情の問題だけではなくて、情景描写にも表現されています。 「のびた人陰 かげ を 舗道にならべ 夕闇のなかを君と歩いてる」 という冒頭の歌詞ですが、「人陰」を何故か「かげ」と言い、「夕暮れ」や「夕焼け」ではなくて「夕闇」という言葉が使われています。 この二つの言葉は「闇」を意味する言葉です。 「光」と「闇」は、「陽(よう)」と「陰(いん)」とも、「光」と「影(かげ)」とも言われます。 そういった「闇」を意味する言葉がここでは、「闇」「陰」「影」三つとも使われています。 また、我々にとって自然物とは「光」です。 太陽や木々や川や動物といった自然は基本的に「光」の存在です。 それはそういったものに触れている時に心がどのように動くかを見つめて頂ければ分かると思います。 自然はとても気持ちがいいものです。 なぜならば、それらの存在が基本的に「光」であるからです。 それに対して非自然物は「闇」になりがちです。 そういった非自然物を表す言葉が「舗道」という言葉になります。 世界は「闇」に満ちていても、愛する人と共に歩いていることは「光」であるという対比がここでは描かれています。 また、「光」と「闇」に関連して重要なことは「色」です。 「光」と「闇」の基本色は「白」と「黒」になります。 眩しい程の「光」を見る時、それは「白」の色をしています。 そして、本当の「闇」の中は何も見えず、その時に見える色は「黒」だけです。 「光」と「闇」はこのようにして、我々が視覚で感じる「色」にも反映されます。 そういったことが表現されているのが以下の歌詞です。 「舞い落ちてきた雪の華が 窓の外ずっと 降りやむことを知らずに 僕らの街を染める」 「この街に降り積もってく 真っ白な雪の華」 「街」というものも「舗道」と同様に非自然物であって、「光」の存在ではありません。 そういった「街」を「真っ白」に「染める」ということは、「光」で満たしていくということを意味しています。 それは「雪」というものの役割にも依ります。 「雪」の役割については後に詳しく書いていますので、そちらを読んで頂ければ、と思います。 また、我々にとって最も身近な「光」と「闇」とは「昼」と「夜」です。 「昼」と「夜」とは太陽からの「光」の有無のことを表します。 太陽のもたらす「光」に支えられている時間が「昼」、それがなく、「闇」に包まれている時間が「闇」です。 こういった「昼」と「夜」に関連している内容が、以下の歌詞です。 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」 「風」は自然物であって「光」の存在です。 それに対して、「夜」とは「闇」です。 そして、ここで歌われている「どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という歌詞は「優しさ」という「光」の感情を表す言葉です。 「優しさ」とは相手の心の状態を「光」へ導くことですが、ここで歌われる「悲しいこと」とは「闇」のことを表し、「笑顔」とは「光」のことを表しています。 つまり、まとめると以下のようになります。 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」 光 闇 闇 光 優しさ(光) ここまで理解して、「夜は揺り起こして」という歌詞の意味が理解できます。 「夜」は「闇」のことを表しています。 そして、「揺り起こす」とは「体をさすって目をさまさせる」という意味ですが、ここで何を「揺り起こす」のかというと、「光を揺り起こす」ということを意味します。 つまり、この「夜は揺り起こして」という歌詞は「闇は光を目覚めさせる」ということを意味しています。 その根拠はこの「夜は揺り起こして」という歌詞の後に、「どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という言葉で、「闇」を「光」に変えようとしている「優しさ(光)」の心が歌われているからです。 「光」のことをより強く理解し、実践するために「闇」はあります。 もしこの世に「光」しか無ければ、我々は「光」のことを理解できません。 なぜならば、比較対象が無ければ、あるものは理解できないからです。 例えば、この世界に「愛」という感情しかなければ、我々は「愛」の価値を理解することはできません。 我々は「愛」以外の様々な感情を経験することで、「愛」の感情の価値に気付くことができます。 また、「闇」があることによって、「光」を強く実践する機会が生まれます。 「闇」に苦しむ他の魂を助けたいと強く願い、強く動くからです。 その過程の中でそれぞれの魂は「光」を強くしていきます。 ここで歌われることはそういったことであって、「闇」によって苦しんでいる人を助けたいという「優しさ」という「光」のことを表しています。 「闇」があることで、そこに「光」が起こります。 そういう意味で、「夜は揺り起こして」=「闇は光を目覚めさせる」という歌詞が置かれています。 こういった「光」と「闇」の関係性において最も大事なこと、何故この世に「闇」はあるのか、ということがここでは歌われています。 この「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という歌詞には他の意味も込められていますが、それについては下に書いています。 [『雪の華』の中島美嘉の声について] 中島美嘉は「気持ち」で歌うことがとても得意な魂です。 つまり、「気」で歌うことが中島美嘉は得意です。 「気持ち」とは「気を持つ」、「気分」とは「気を分かつ」と書きますが、これは何を意味しているかというと、「気持ち」「気分」の原因は「気」であるということです。 我々はある「気」に「共感」することによって、ある「気分」になります。 中島美嘉は「気」に対する「共感」の作業が非常に得意な魂であるからこそ、本当にその「気持ち」になって歌う能力が並外れている人間です。 そして、中島美嘉と金星神は一緒にこの『雪の華』を歌っています。 中島美嘉は金星神からの「金の気=愛の気」を受け取ってこの歌を歌い、金星神はその「金の気=愛の気」に働きかけているからです。 そのようにして、中島美嘉と金星神は共に歌を歌っています。 「金の気」とは我々の「愛」の原因の「気」であって、「金の気」に「共感」すると、我々は「愛」を感じます。 中島美嘉は「金の気」に「共感」することによって、「愛」の感情を抱き、その「愛」の気持ちで歌っています。 だから、金星神の「愛」を彼女は表現しています。 そして、金星神とは太陽系における最も偉大な「愛」の神であって、我々が生まれた時からずっと我々に「愛」を教え続けている神様です。 こういった重要な意味が込められた歌詞をただ文章で書いても、その感情は伝わりません。 しかし、それを気持ちの込めた歌で表すならば、その感情は伝わります。 歌というものの役割はこの点にあります。 言葉だけでは伝わらない感情のことを、歌という形で表現するからこそ、聴いている者にその感情を伝え、教えられることになります。 そして、これを行なうためには、歌う人間は本当にその感情を経験しながら歌わなければなりません。 中島美嘉は金星神と「縁」があるが故に、金星神から「気」をもらうことができ、中島美嘉は金星神のもたらす「気」によって感情を抱き、その感情の中で歌っています。 だからこそ、金星神が我々に伝えたい感情を我々は学ぶことができます。 この『雪の華』においては、「愛」の持つ「純粋性」が、中島美嘉の声によく表れています。 『雪の華』のレコーディングには複数のバージョンがありますが、このレコーディングが最も「愛」の「純粋性」のことをよく表現しています。 それは、この中島美嘉の『雪の華』のレコーディングにおいて、金星神は「愛」の持つ「純粋性」を重要視しながら、中島美嘉に「金の気」を送っていたからです。 なぜならば、この歌の大きなテーマが「愛」の持つ「純粋性」だからです。 そして、中島美嘉はその「愛」の「純粋性」に「共感」をしながら歌っています。 だからこそ、こういった録音は存在します。 中島美嘉が金星神と真に共に働き、それを見事に成功させ、「愛」の持つ「純粋性」を表現しているその現場のレコーディングが残されていることは、我々人間にとって、とても重要なことです。 人によっては、この声は他の『雪の華』のレコーディングよりも少し声に「幼さ」を感じるかもしれません。 しかし、それは「幼さ」ではなくて「純粋性」になります。 人からの目線を気にしていると「かっこよさ」を求め始めます。 そうすると、この中島美嘉の声から「幼さ」を感じたりします。 この『雪の華』の中島美嘉の声は「かっこいい」ものではありません。 なぜならば、「愛」は「かっこよさ」とは関係ないからです。 しかし、この中島美嘉の声は「美しい」ものです。 その「美しさ」に共感する時、「幼さ」は感じず「愛」の「純粋性」のかけがえのなさを感じます。 我々はいつもどういう観点でそれを見るかということによって、それをどのように感じるのかということを無意識に決定しています。 「かっこよさ」を求める心は「闇」の心です。 なぜならば、それが「自分のため」の感情であるからです。 そういった「闇」の心を持っていると、この『雪の華』の中島美嘉の声を聴いても心は動きません。 なぜならば、「闇」の立場に立つと「光」に「共感」はできないからです。 それに対して、この歌を聴いて心から感動する時、その心は間違いなく「光」の状態です。 なぜならば、「光」に心を動かされる時、自分も必ず「光」の状態であるからです。 その時、自分の心が抱えている多くの荷物は肩から降ろされていて、とても「純粋」な自分が現れます。 [この歌の主人公について] 歌において、一体どういった主人公がこの言葉を発しているのかということは非常に大事です。 この『雪の華』の主人公は「愛」を初めて学んでいるある女の子です。 それはこの歌の歌詞や、この録音の中島美嘉の声を聴いていると分かると思います。 10代か20代の、とても「純粋」な女の子の心情表現としてこの歌詞はあり、そういった子が「愛」に気付いていく過程が歌われています。 どうして、この歌の主人公が、「愛」を初めて学ぶ女の子かというと、この歌において金星神は「愛」の持つ「純粋性」を最も表現したかったからです。 本当は我々は皆「子供」です。 「大人」という考え方は人間が生んだ悪しき概念であって、本当は「大人」なんてものはありません。 つまり、「子供」と「大人」の区別なんてものは本当はありません。 そして、「大人」になるにつれて、人は「純粋性」を失っていきます。 なぜならば、「大人」という存在がそもそも「純粋性」を失いやすい存在であるからです。 「大人」は自分の気持ちに従わない方向性で生きがちです。 「大人だから〜〜でないといけない」という形で、「大人」というイメージに縛られ、自分の心に従わなくなります。 そして、自分の心に従わなければ、「純粋性」は失われていきます。 このことについてはこちらに詳しく書いています。 ・「大人」について 我々は皆昔は「純粋」な「子供」でした。 だからこそ「子供」の「純粋」な気持ちを理解することはできます。 この歌は「子供」のような女の子を主人公にすることによって、そういった「子供」の持つ「純粋性」を表現し、そのことによって我々に「純粋性」というもののかけがえのなさを教えています。 そして、ここで表現されていることは「愛」の「純粋性」です。 この録音が表現する、「愛」の持つ「純粋性」は「美しい」ものです。 その美しさは金星神の「愛」の「美しさ」でもあります。 なぜならば、中島美嘉は金星神の「愛」の「純粋性」に「共感」して歌っているからです。 主人公が誰なのかということによって、どういう感情になるのかということが異なってきます。 そうすると、どういう感情を聴いている人に伝えられるのか、教えられるのか、ということが変わってきます。 歌とは本来、演技と変わりがありません。 歌においても演技においても重要なことはその本人に本当に成り切ることです。 そのことによって、本当にその感情を経験することができ、聴いている人にその感情のことを伝えられます。 逆に言うと、その本人になり切らない限り、本当に感情を乗せることはできず、それは「嘘」になってしまいます。 だからこそ、その歌の主人公がどういう人間なのかということは非常に重要です。 そして、その主人公を決定するのが歌詞です。 歌詞を書く段階において、金星神は一体何を人間に伝えたいかを考え、そのことが伝わるような歌詞や主人公、音楽を前もって用意し、それを作詞者や作曲家に「アイデア」として降らせます。 そこまで考えて、金星神はこの作詞者であるSatomiにこの歌の歌詞の言葉を教えています。 Satomi自身も、この歌詞にこれだけの意味があることは知らないはずです。 詩を作るという作業は神々や悪魔との共同作業であるからこそ、その作詞者の意図をよく超えます。 「アイデアが降ってくる」と言うように、「アイデア」はどこかから降ってくるものですが、神々や悪魔がそういったその「アイデア」を作っているからです。 [雪] そして、この歌が持つ大きなテーマは「雪」です。 この歌は「雪」というものがどのような物であるかということを説明しています。 「雪」のことを理解するためには、「気」の説明を書く必要があります。 万物には「気」が宿ることができます。 そして、「気」をとても宿しやすい物体が「水」です。 そして、「雪」とは「水」が変化したものなので、「雪」にも非常に「気」は宿りやすいです。 そして、「愛の気=金の気」というものが空気中には飛んでいます。 ですから、空から降ってくる「雪」には「愛の気=金の気」が宿りながら、地上に降り注ぐことになります。 我々が目にする「雪」は「金の気」が宿った「雪」です。 我々が何かを見る時、我々はその何かから「気」を受け取っています。 例えば、空を見ると気分が穏やかになるのは、空を見ることによって空にある「光の気」を目から摂取するからです。 「気持ち」「気分」とは「気を持つ」「気を分かつ」と書きます。 この言葉が意味することとは、「感情」の原因は「気」であるということです。 そして、「気」を受け取るための方法として、我々は「見る」という方法を持っています。 だからこそ、空を見ると「光の気」を我々は受け取り、その「光の気」によって「気持ち」を穏やかにしていきます。 ですから、「金の気」が宿った「雪」を見る時、空を見る時と同様に、「雪」に宿った「金の気」を我々は「見る」ことによって受け取ることになります。 そして、「金の気」とは「愛」の原因であって、それを受け取ると「愛」を感じます。 そのことをこの歌において表している歌詞が二度に渡って歌われるこの言葉です。 「今年 最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす」 「雪」を見ることによって、「金の気」を受け取り、愛する誰かとの「愛」を強め、そのことによって「幸せがあふれだす」ということを意味しています。 つまり、この寄り添うふたりの「愛」を金星神が支えていることが、この歌詞には表現されています。 タイトルにもこの歌詞にも言われている「雪の華」という言葉ですが、どうして「華」と言われるかというと、「雪」というものが神々からの「贈り物」であるからです。 我々が「金の気」を受け取る時、「雪」は金星神からの「贈り物」となります。 そういった「贈り物」の意味を込めて、「雪の華」という言葉が使われています。 また、どうしてここで「時(とき)」「時間(とき)」ではなく、「瞬間(とき)」と表現されているのかというと、これは「金の気」が入る「瞬間(とき)」のことを表しているからです。 我々は感情が「気」によってとても動く時、それはその「瞬間(とき)」に起こります。 なぜならば、「気」が入る時とは「瞬間」の出来事だからです。 「気」によって心を動かしていることを「瞬間(とき)」という言葉で表しています。 「金の気」を地球に降り注いでいるのが金星神です。 その「金の気」が雪には宿っていきます。 「雪」に宿った「金の気」に「共感」してほしいからこそ、金星神はこの歌を創っています。 「共感」が生まれない限り、「雪」を見たとしても「金の気」を受け取ることはできません。 つまり、「愛」の感情で「雪」を見つめない限り「金の気」は受け取ることができません。 恋人と共にいる時とは心が元々「愛」の状態を抱いているので、「雪」に宿る「金の気」に「共感」しやすい状態にあります。 「雪」に「金の気」が宿っていることを人間が理解したならば、人は恋人のことを想いながら「雪」を眺めたり、この『雪の華』を聴きながら「雪」を眺めようと思うようになります。 そのことによって、我々人間がより金星神からの「金の気」を受け取りやすくなり、我々の「愛」は強くなっていきます。 その中で、我々はより幸せになっていくことができます。 そういったことを実現するために、金星神はこの『雪の華』を創っています。 [PVについて] 曲の解説がまだ途中なのですが、「雪」の話に関連する話なので、PVについての解説を先に書かせて下さい。 このPVには三人の中島美嘉が登場しますが、それぞれ意味が異なります。 氷に囲まれた中で歌っている中島美嘉は雪に宿っている「金の気」を表現したものです。 中島美嘉の顔が金星神と非常に似ていることは『中島美嘉について』で説明しましたが、このPVにおいては、雪を氷に、「金の気」を金星神に置き換えて表現することで、氷に「金の気」が宿っていることを映像で表現しています。 金星神からすると自分の「金の気」とは自分の身体の延長線上の存在のようなものです。 だからこそ、「金の気」を自分自身で表現しています。 それらの「金の気」に関与している様子が歌う姿で表されています。 また、金星神が雪に「金の気」をもたらしている描写もこのPVには描かれています。 金星神が雪を手に持ち、彼女の手から雪が落ちていく時にその雪が輝いていますが、これは雪に「金の気」を宿している金星神の姿を表したものです。 これはこの『雪の華』のCDジャケットも同様ですので、CDジャケットの写真も載せておきたいと思います。 神々は、『雪の華』の曲とPVだけではなく、このCDジャケットにも関与しています。 この中島美嘉が金星神のことを意味しているという根拠は「星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」という歌詞に入った場面から、いきなり画面が変わり、下の写真の中島美嘉が映る点にあります。 このタイミングの一致も金星神が意図して創っています。 この雪景色の中に立っている中島美嘉は金星にいる金星神の姿を表しています。 雪や木はありますが、中島美嘉の周りには何もなく、この場所は別の星にも見えるからです。 なによりも、「星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」という言葉は金星神の心情表現であって、そのタイミングで画面が変わり、別の中島美嘉が映るのは、これが金星神自身であるからです。 そして、冒頭と最後に街の中にいる中島美嘉は中島美嘉本人です。 冒頭に登場し、「金の気」が宿る雪を手の平に抱え、そして目を閉じると、「金の気」を意味する金星神の姿が一瞬見えます。 これは、中島美嘉と金星神が「縁」で繋がっていることを意味しています。 また、一番初めは上から中島美嘉に対してカメラが寄っていくように撮られていますが、これは金星神の中島美嘉に対する目線を意味しています。 このPVは非常に細かくできているので、分析的に観て頂ければ、と思います。 歌詞についての「光」と「闇」については上でほとんど説明をしましたが、「光」と「闇」の関係性はPVにも表現されています。 中島美嘉がいる「街」は「闇」の場所として描かれています。 それは、通り過ぎる人々が「黒」で描かれていることや、ゴミ箱が中島美嘉の横にあること、中島美嘉がハイヒールを履いていることなどに現れています。 ゴミ箱には「闇の気」が溜まっています。 だから、ゴミ箱は「闇」の存在です。 そして、どうしてハイヒールが「闇」かというと、ハイヒールは「痛み」を履いている人にもたらすからです。 「痛み」とはその性質上「嫌悪」の感情を人間に与えます。 そして、「嫌悪」の感情とは「闇」の感情です。 他にもハイヒールには様々な意味がありますが、そういった意味でハイヒールは「闇」を表します。 それに対して、「金の気」も金星神自身も「光」として描かれます。 街の描写よりも映像が明るく、「光」に満ちている世界の中に描かれます。 何故ならば、「金の気」も金星神も「光」の存在であるからです。 このPVを創った武藤眞志は中島美嘉と同様に、神々と共に働く映像作家です。 こういった芸術家の方の作品は、自分が意図していることをはるかに超える意味を持った作品を創ります。 なぜならば、神々と共に働いているからです。 この『雪の華』という金星神が創った、非常に素晴らしい歌のPVを誰に撮影させるべきだろうかという時に、神々は武藤監督を選んでいます。 その結果、武藤監督にこのPV制作の仕事が来ています。 そして、見事に最高の映像を創っています。 最近、神々の導きで武藤眞志御本人と会うことになり、色々なお話をさせて頂きました。 このPVの制作過程の話なども聞いたのですが、御本人もこのPVの持つ様々な意味というものは知らず、私が武藤監督の作品の解説をするような形です。 そして、御本人も自分の作品の持つ様々な意味について、非常に納得していました。 武藤監督と会って色々なお話をさせて頂く中で、そして彼の様々な作品を観る中で、神々が『雪の華』のPV監督を武藤監督にした理由がよく分かります。 本当に重要な意味を込めた映像を武藤監督は創ることができるからです。 武藤監督は中島美嘉の『愛してる』『FIND THE WAY』『CRESCENT MOON』『RESISTANCE』『Always』なども監督を務めていますが、これらの作品も重要なメッセージを持っています。 それについては別で書きます。 武藤監督は「直感」によってこういった重要な作品を創ることができます。 なぜならば、神々からのメッセージを「直感」として受け取り、その「直感」を映像に落とし込むことができるからです。 つまり、武藤監督は人間と神々の仲介を映像を使って行なっています。 このPVには他にも様々な意味が込められていますが、それは他の事柄の説明と共に解説を書いていきたいと思います。 [「気」について] この歌は「気」とはどういったものであるのかが説明されています。 それをよく説明している詩がこの「風」に関する対の構造です。 「風が冷たくなって 冬の匂いがした そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる」 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」 「風」に関してこのような構造を持たせたのは、何かしらの意味があるからです。 金星神はこの構造を使うことによって、「気」というものの持つ最も重要な性質を人間に伝えようとしています。 一行目が意味することとは「風が我々に何かを教えている」ということです。 風が冬の「匂い」を運び、そのことで「冬が来たな」と思っています。 そもそも「匂い」とは「気」そのものです。 我々はいつも「気」を感じていますが、嗅覚とは我々が今でも強く行なっている「気」の1つの感じ方になります。 「匂い」についてはこちらを読んで下さい。 ・匂いについて 「匂い」とは「気」そのものであって、その「匂い(気)」によって、何かに気付いているというのが一行目の意味です。 つまり、「気」によって我々は何かに「気付いている」ということを説明しています。 そもそも、「気付く」とは「気+付く」という構造によって成立している言葉です。 我々が大事なことを忘れていても、言葉には真実が残っています。 「気」には「情報」を乗せることができます。 例えば、我々は出勤途中に忘れ物をしている時に、忘れ物に「気付く」ということを経験しますが、この「気付く」という現象は我々の意志を超えています。 我々は何かに「気付こう」と思って「気付く」ことはできません。 「気付く」という現象は我々の意志とは関係なく、我々に起こることです。 では、どうしてこのようなことが起こるかというと、我々以外の存在がそれを教えているからです。 神々も悪魔も「気」を司っており、彼らは我々に「気」を送ることによって、様々な「情報」を教えています。 その時に「気付く」という現象が起こっています。 「気付く」という言葉には、「我々に何かしらの気がくっ付き、その気によって何かを教えられる」という意味が込められています。 それを非常に分かりやすく説明するために、「匂い」という言葉を使って説明しています。 「気」に「情報」を乗せて、神々や悪魔は「情報」を人間に伝えることができるということ、人間はいつもそのようにして「気付く」という現象を経験していること、そういったことを伝えるために、この一行目の歌詞はあります。 ちなみに、だからこそ、この『雪の華』という曲もあります。 金星神が作詞者・作曲家に「情報」を「気」に乗せ、その「気」を送ることによって、教えているからです。 そして、「気」には「情報」を乗せることと同様に重要な「気」の役割が、「気」が「感情」の原因であるということです。 「気持ち」「気分」という言葉に書かれているように、我々は「気」を持つことによって、「気」を分かつことによって、「感情」を抱いています。 風が原因で何かに「気付き」を得ているのが一行目であるのに対して、風が原因で「気持ち」を得ているのが二行目です。 この「気付き」と「気持ち」という構造を金星神は意識してこの詩を書いています。 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という言葉の「感情」とは「優しさ」です。 相手のことを思いやり、「相手のため」に相手の感情を良い方向に変えたいと思っているからです。 「金の気」が「愛」の原因であることは書きましたが、「風の気」は「優しさ」の原因です。 だからこそ、ここでは「風」と「優しさ」の関係性を描いています。 「風の気」についてはここに詳しく書いているので、読んで頂ければ、と思います。 ・風の感情について この対の詩についてまとめると、「気」には「情報」を乗せることができ、「気」は「感情」の原因であるという、「気」の持つ大きな二つの役割について説明されているのがこの「風」に関する二つの詩です。 このホームページでずっと書いていることは「気」が「感情」と「情報(思考)」の原因であるということです。 そして、「風の気」についても今までに何度も書いてきました。 そのことと全く重なるようにして、この「風」に関する詩が『雪の華』で描かれているのは偶然ではなくて、金星神がそれを意図的に作ったからです。 何故ならば、彼女はそれを伝えたいからです。 こういった「気」に関するより詳しい説明はこちらを読んで下さい。 このホームページで最も重要視している点は「気」というものが何なのか?という点ですので、「気」については様々な文章を書いています。 ・気について どうか、こういったことを「偶然」と考えて頂かないで頂けると幸いです。 中島美嘉の楽曲はこういったことばかりであって、それら全てを理解した時には、確実に「偶然」とは思われないはずです。 だからこそ、中島美嘉に関するこのホームページの文章はよく読んで頂けると幸いです。 そのことによって、我々は我々にとって最も大事なことを学んでいくことができます。 「気」に「情報」と「感情」が乗せられることも、このPVにおいて表現されています。 それは雪に宿っている「金の気」を意味する、氷に囲まれた中島美嘉がずっと歌っている点です。 この「金の気」が歌い続けているということは、「金の気」がこの主人公の女の子に「情報」を教え、「愛」を強くしていることを意味します。 この「金の気」を意味する中島美嘉が歌い始めるのは、「今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす」という歌詞が始まった時からです。 どうして、この歌詞から「金の気」が歌い始めているかというと、「金の気」がこの主人公の「愛」を強め、「幸せがあふれだす」ことを支えているからです。 つまり、「気」によって、「感情」を抱いていることを映像として表現しています。 そして、その後ずっとこの「金の気」としての中島美嘉がずっと歌っている様子が描かれますが、それは主人公の「愛」を強めると共に、「愛」に関する様々な「気付き」を教えていることを表しています。 この歌はある女の子が「愛」に「気付き」を得ていく心情表現を歌ったものです。 この主人公の女の子は恋人に対する「愛」を抱きながら、「雪」を見ていて、その時の自分の心を歌っています。 「愛」の感情で「雪」を見ているので、「雪」に宿る「金の気」を受け取ることになります。 そして、「気」には「情報」を乗せられるので、「愛」を強めながら、「金の気」から「情報」を得ることになります。 この「情報」が、彼女が得ている「愛」の「気付き」です。 このPVにおいて、この主人公の女の子を意味しているのが中島美嘉本人です。 この中島美嘉はずっと雪を眺めています。 この中島美嘉は、恋人のことを想いながら、雪を見つめているという設定を金星神は意図しています。 恋人を想いながら雪を眺め、「愛」の「気付き」を得ていく中島美嘉と、その雪に宿った「金の気」が中島美嘉に語りかけているという構造で描かれています。 我々は言葉を使って自分の心を分析しない限り、自分の心の状態を言葉で置き換えることはできません。 神々がいつも我々に行なっていることの1つは、我々がどのような心の状態であるのかを言葉で教えるということです。 それを神々は我々に「気」を送ることによって行なっており、これが「気付き」となっています。 例えば、「愛」を抱いていても、それを「愛」と思わない限り、自分が「愛」を抱いていると気付けません。 そして、「愛」について「気付き」を得ることもできません。 しかし、それを「愛」だと「気付く」ことによって、自分のその気持ちが「愛」であることを知り、「愛」とは何なのかを理解するという「愛」の「気付き」を得ることができます。 神々は我々が「愛」の感情を抱いている時に、「それは『愛』なんだよ」と「気」を通して我々に「気付かせ」てくれます。 これが我々の経験している「愛」の「気付き」の最初の段階です。 この女の子は「甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる 心からそう思った」という言葉を心の中で思っています。 つまり、この時自分の抱いている感情が「愛」であることに気付いています。 これは神々がこの女の子の心の状態を言葉で教えているからです。 神々はそれを「気」を送ることによって教えています。 そして、その上で、「愛」に関する様々な重要なことについて、この女の子は「気付き」を得ていきます。 「君がいるとどんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」という言葉は、「愛」のもたらす「強さ」のことを意味しています。 「愛」する人と共にいると、心が強く「光」の方向性へ向かいます。 そうすると、心が「闇」に堕ちていきません。 我々が苦悩するのは、我々の心が「闇」に堕ちるからです。 「絶望」「嫌悪」「執着」といった様々な「闇」の感情は、我々に苦悩をもたらします。 しかし、心が「光」の状態だとこのような苦悩を経験せず、「愛」はそういった「闇」に堕ちることを防ぎます。 だからこそ、「愛」は我々に「強さ」をもたらし、そういった、「愛」のもたらす「強さ」にこの主人公は気付いています。 そして、「誰かのために 何かをしたいと思えるのが 愛ということを知った」という言葉で、「愛」というものの本質をこの子は言葉で理解します。 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という言葉に表現されているように、「風の気」によって「愛」の実践方法である「優しさ」を学び、その「優しさ」のことをこの子は「誰かのために何かをしたいと思えること」という言葉で言い換えます。 そのことを通して、「誰かのために何かをしたいと思えるのが愛ということ」という「気付き」を得ます。 この女の子は自分の心の状態を言葉で置き換えただけです。 そのことによって「愛」の「気付き」を得ています。 そして、その内容は「愛」の持つ「純粋性」、「愛」によって生まれる「強さ」、「愛」とは「相手のため」のものであること、といった「愛」に関する最も重要な内容です。 こういった大事なことを助け無しに理解することは簡単なことではありません。 その証拠に、我々人間は「愛」とは何なのか、ということを見失っています。 けれども、この女の子は「愛」に関する最も重要な内容について「気付き」を得ています。 では、その「気付き」の過程を支えているのは誰かというと、「雪」に宿った「金の気」に関与し続けている金星神です。 だからこそ、このPVにおいて、「誰かのために何かをしたいと思えるのが愛ということを知った」という歌詞までひたすら歌い続けているのは、「金の気」を意味する中島美嘉です。 「金の気」がこの女の子に「気付き」を与え続けていることを、歌い続けている「金の気」で表現しています。 「金の気」とは、本当にこの「金の気」を意味する中島美嘉の歌っている様子そのものです。 この「金の気」として歌っている中島美嘉の表すような感情が「金の気」には宿っていて、それが我々に働きかけ、そのことによって我々の「愛」は強くなります。 そして、歌っているその内容に表れているように、大事なことを我々に教えています。 金星神は「金の気」にこのような形で関与し続けています。 誰もが雪を「愛」の感情で眺めるのであれば、金星神からの言葉を受け取ることができます。 その言葉とは我々の心に浮かんでくる言葉です。 我々は自分の心の中に浮かんでくる言葉の全てを自分が作っていると思ってしまっていますが、神々も悪魔も我々の心にいつも「気」を通して関与しています。 それが我々の心に浮かぶ言葉や感情の一部です。 何故ならば、「気」には「情報(言葉)」と「感情」を乗せることができるからです。 そして、中島美嘉は金星神と「縁」で繋がっているが故に、中島美嘉が「光」の感情を抱く時、いつでも金星神からの言葉を受け取ることができる立場にあります。 つまり、我々が「金の気」が宿る雪を眺めている状態をいつも経験しているのが中島美嘉とも言えます。 雪に宿る「金の気」によって金星神からの「気付き」を得ることができること、中島美嘉は金星神から日常的に「気付き」を得ていること、その両方の意味を持たせるために、この映像は中島美嘉に「金の気」が語りかける、このような構造を取っています。 この映像の中で金星神から中島美嘉に対するメッセージが1つ込められています。 それはこの歌詞が歌われる時の映像に残されています。 「君がいると どんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」 「こんな日々が いつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ」 「金の気」を意味する中島美嘉が「君がいると どんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」と歌う時に、その「君」が中島美嘉を意味するような形でほんの少しの間映ります。 その上で、画面が再び「金の気」に戻り、「こんな日々が いつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ」と「金の気」は歌います。 これは金星神が中島美嘉に対して、「君がいると どんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」「こんな日々が いつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ」と語りかけていることを意味しています。 この当時、中島美嘉は金星神と共に真に共に働くことができていました。 それは本当にとてつもなく高いレベルでした。 だからこそ、この『雪の華』という曲も、この録音も、PVもあります。 金星神としては、中島美嘉と共に働くことで人類にとって非常に重要なことを地球に残せていて、地球の「光」を増やすことができていました。 そして、中島美嘉の作品の意味は人類が今後解き明かし、そのことによって「光」が増えていくことも分かっていました。 そういう意味で、「美嘉がいると どんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」「こんな日々が いつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ」と思っていた形になります。 ちなみに、金星神は今でも中島美嘉に対して同じようにそう思っています。 しかし、今の中島美嘉は悪魔に襲われ続けたせいで、耳の病気にもなり、心身共にかなりダメージをもらっています。 歌の前に、まずはそれを治療することが必要だと考えています。 そして、自分が何を金星神と共にしてきたのかを知ってほしいと金星神は中島美嘉に対して思っています。 金星神は中島美嘉が生まれてからずっと中島美嘉を強く支え続けてきました。 金星神の中島美嘉に対する想いとは、本当にとてつもなく強いものです。 そういった自分の想いを知ってほしいと金星神は中島美嘉に対して強く思っています。 それは中島美嘉のために、金星神は知ってほしいと思っています。 [金星神について] この歌には金星神のことが強く表現されています。 つまり、金星神は自分自身のことを伝えるために、自分が何をしているのかを伝えるためにも、この歌を創っています。 なぜならば、金星神が何をしているのかを人間が理解すると、人間と金星神はより共に助け合いながら生きていけるからです。 金星神自身をよく表している歌詞が、この歌詞です。 「もし、君を失ったとしたなら 星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」 この「もし、君を失ったとしたなら 星になって」という部分は、この歌の作詞者であるSatomiになんとか星の歌詞を書いてほしいがために使った繋げ言葉になります。 「君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」という言葉は金星神がいつも我々に対して抱いている気持ちであって、行なっていることです。 金星神はいつもこの星の全ての命を見つめ、彼女にできることを全力で行なっています。 そして彼女は「愛」の神であって、「愛」によって我々を支えています。 彼女は「金の気」を地球に降り注いでいて、その中に我々は生きていて、その「金の気」は彼女自身がいつも関与できる「気」です。 ですから、いつも本当に我々の側に金星神はいます。 そういった彼女の行なっていることと、彼女の「愛」の気持ちが「いつもいつでもそばにいるよ」という言葉の意味です。 こういった金星神の気持ちとは、『A MIRACLE FOR YOU』『FIND THE WAY』など、中島美嘉の様々な歌の中で歌われています。 この歌詞は恋人のことを想う気持ちでもあります。 離れ離れになったとしても、永遠にあなたを支えたいという「愛」の歌詞でもあります。 そういった恋人に対する「愛」と重ねて、金星神の心が歌われています。 しかし、この歌詞を通して金星神が本当に伝えたいことは、金星神自身の人間に対する想いです。 そして、この歌詞の後は、この歌の主人公の女の子の心情表現でありながら、金星神自身のことを表現する内容となっています。 そのことを書いていきたいと思います。 「今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす」 これはこの歌の中で唯一全く同じ歌詞が二回使われる部分ですが、金星神の「笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」という我々に対する想いを踏まえて理解するのであれば、一回目と感じ方が異なります。 冒頭のこの「今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす」という歌詞はこの女の子の目線で見つめることになります。 それに対して、最後のこの詩は金星神の目線で見つめることもできます。 つまり、冒頭は金星神の「金の気」によって、「愛」を強くしている女の子の気持ち、そして、最後はその女の子の「愛」を支える金星神の行なっていることとして理解することができます。 この歌詞は「導き」を象徴する歌詞です。 人間が「金の気」の宿る「雪の華」を見て、金星神が人間に「愛」を教えるという「導き」を、人間の目線と金星神の目線の両方から伝えるために、全く同じ歌詞が意図的に使われています。 全く同じ内容を冒頭と最後に使うことによって、感じ方を変えるという方法は、神々は好んで行なう方法です。 何故ならば、そのことを通して、重要なことを我々が学ぶことができるからです。 例えば、映画『バベル』では電話をする親子の映像が同じようにして冒頭と最後に使われます。 ・『バベル』について この歌詞の持つ人間の目線と金星神の目線は、金星神と共に歌う中島美嘉が歌っているということによってより強く感じられます。 中島美嘉は人間です。 そして、そこで歌っているのは中島美嘉という人間です。 だからこそ、女の子の心情表現としても感じることができます。 しかし、金星神は中島美嘉と共に歌っています。 だから、金星神の感情も我々は経験でき、金星神の我々に対する想いを我々は感じられます。 この歌は「愛」の「純粋性」を歌っているということは書きましたが、それは金星神自身の魂の個性でもあります。 子供のような「愛」の「純粋性」を抱えていて、その「愛」の「純粋性」によって、地球に生きる全ての命を支えています。 彼女には様々な面がありますが、この子供のような「純粋性」は彼女の個性であるからこそ、この歌を通して人間に伝えたいという彼女の想いがあります。 その次の歌詞は 「甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」 という先程解説を書いた歌詞ですが、これは女の子の気持ちと金星神の目線を掛けて表現しています。 この歌詞は主人公の「愛」の「気付き」という側面を表していますが、そのことについては上で解説を既に書いています。 ここで書きたいのは、金星神自身の気持ちです。 金星神自身も自分の心の「闇」と闘っている一人の魂です。 それは、我々人間の魂と何ら変わりがありません。 彼女も一人の魂であるからこそ、ずっと「闇」と闘っています。 ただ、我々人間よりも圧倒的に高いレベルで「闇」と闘っています。 金星神にとって「甘えとか弱さ」とは、「執着」などです。 彼女は永きに渡ってこの太陽系を支えてきました。 ですから、この太陽系に対する想いとはとてつもなく大きなものです。 しかし、今の現状は非常に厳しく、太陽系に生きる魂達はとても苦しんでいます。 神々は隕石を落とすかどうかをずっと考えている中で太陽系を続けています。 恐竜時代が何故隕石によって終わったかというと、恐竜という種が非常に「闇」に満ちてしまったからです。 このようにして、その星にメインで生きている種が「闇」に満ちると、その魂達のためにその星に隕石を落とし、その魂達を全員別の系に引っ越しさせるということを神々は行ないます。 何故ならば、「闇」に満ちてしまった世界に生きるのは、あまりにも苦しいですし、無意味だからです。 そんな中で神々は何故自分達はまだ太陽系を続けるのだろうか、と苦悩しながら生きることになります。 神々は「愛」に満ちた存在です。 ですから、自分達の系の魂達が苦しむのはおおきな苦悩です。 だから、その魂達のために太陽系を終わらせる方がいいのではないかとも思います。 しかし、自分達の系は続けたいと思います。 何故ならば、その系に対する思い入れが強いからです。 つまり、太陽系に生きる魂達に対する「愛」と太陽系に対する自分の「思い入れ」の間を闘うことになります。 そんな中で、それぞれの魂を「光」に導こうと全力を尽くしています。 神々の苦悩とは我々の苦悩とは異なります。 自分の太陽系に対する「思い入れ」のために、太陽系に生きる魂達を「光」の方に導こうと思うのであれば、これは「闇」です。 なぜならば、「自分のため」に他の魂を利用しているからです。 つまり、自分の「執着」によって、「光」を利用することになります。 こういった部分で神々は自分と闘うことになります。 我々人間に彼らの太陽系に対する想いを理解することはできません。 何十億年もある場所を支えるといことを我々は経験したことがないからです。 その期間が長ければ長い程、それを放棄したくはなく思いますが、だからこそ、神々は「執着」と闘っています。 そのことを踏まえて、金星神のこの「甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」という言葉を理解すると、彼女の太陽系に対する「執着」ではなくて、太陽系に生きる一人一人の魂に対する「愛」から、その魂の一人一人を支えたいと思っている彼女の気持ちを理解することができます。 神々の中には、太陽系に生きる多くの魂のために人間を導こうとする神々もいます。 これだけ太陽系をメチャクチャにしてしまったのは人間です。 人間以外の魂は人間によって苦しめられています。 神々とは太陽系に生きる全ての魂に対して強い「愛」を抱いている魂です。 だからこそ、人間に対して「怒り」を抱えてしまっている神々もいます。 そういった神々は、人間一人一人に対しては「愛」よりも「厳しさ」で向き合うことになります。 一人一人の人間を想うのではなくて、太陽系に生きる多くの魂達を助けるために、一人一人の人間を「光」に寄せようとするスタンスです。 このスタンスは「愛」ではありますが、一人一人の人間に対する「愛」には欠けています。 そして、そういった神々は人間一人一人に対する「愛」が小さいことで自分を責めます。 こういった苦悩を神々は経験しています。 金星神はそういう立場でもなく、純粋に我々全員に対する「愛」で動いています。 これだけ地球を荒らしてしまった人間に対して、そしてその全員に対してそう思えていることは本当にすごいことですし、彼女の偉大さでもあります。 そして、それをこの歌で歌っているのは自分が如何に偉大であるのかを伝えるためではなくて、我々全員を本当に愛しているということを、彼女は純粋に我々に伝えたいからです。 我々のことを大事に想っているからです。 金星神が創った多くの楽曲は、彼女が如何に我々一人一人を大事に想っているのかを伝えるためのものです。 なぜならば、誰かに大事に想われていることを知ると、それぞれの魂は心が救われるからです。 誰からも愛されていないと考えると苦しいです。 しかし、誰かに愛されていると思うと、それは嬉しいことです。 そして、金星神は本当に我々全員を愛しています。 だからこそ、彼女は我々のためにそれを伝えたいと思っていて、こういった歌に自分の気持ちを込めています。 そういった意味が「甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」というこの一行には込められています。 その上で最後の言葉が歌われます。 「この街に降り積もってく 真っ白な雪の華 ふたりの胸にそっと想い出を描くよ これからも君とずっと…」 「雪の華」は金星神が我々に贈る「金の気」のことであって、「ふたりの胸にそっと想い出を描くよ」という言葉の意味は「人間に愛を教えること」を意味しています。 「魂」は心臓に宿っていて、「気」でできています。 ここで「胸にそっと想い出を描く」と歌われているのは、「脳」に「記憶」を残すことではなくて、胸に宿る「魂」に「気」を宿すことを意味しているからです。 我々は自分自身の「意志」で「気」を「魂」に抱えていくことで自分の「魂」を変化させていっています。 つまり、人格を変えていっています。 そして、神々は我々に「金の気」といった「光の気」を受け取ってほしいと思っているが故に、我々に「光の気」を与え続けます。 しかし、我々がその「光の気」に「共感」しない限り、その「光の気」は魂に入りません。 その「共感」という段階が我々の「意志」です。 魂は他の何者によっても作られるものではなくて、我々自身が創っています。 ここで「思い出」ではなくて「想い出」と歌われているのは、単純な「記憶」ではなくて、「想い」の込められた何かを意味しているからです。 それが「金の気」です。 「金の気」にはいつも「想い」が宿っています。 それは金星神の我々に対する「想い」です。 その「想い」こそが「愛」でもあります。 そういった金星神の「想い(愛)」が込められた「金の気」を「雪の華」によって、我々は受け取ることができ、我々が真にその「愛」に「共感」するのであれば、我々の魂に金星神からの「金の気」が入り、我々の「愛」は少し大きくなっていくことになります。 そういった意味が、「真っ白な雪の華 ふたりの胸にそっと想い出を描くよ」という言葉に込められています。 色には意味が決まっていますが、白は「光」、黒は「闇」というルールが基本原則としてあります。 ここで「真っ白」と歌われているのは、「光」を象徴する言葉だからです。 そして、この「これからも君とずっと…」という言葉は、文字通り「これからもずっと、人間に愛を教え続ける」ということを意味しています。 この言葉には強い意味が込められています。 地球に対する思い入れという「執着」の他にも金星神が闘っている「闇」があります。 それは「恐怖」や「不安」です。 核がこれだけ生まれてしまった太陽系はもう手遅れなのかもしれない、という「不安」や「恐怖」と闘いながら、彼女は地球の命を支えています。 「不安」や「恐怖」に捕まるということは何を意味するかというと、人間のことを信じられないことを意味しています。 もし、人間がこれから太陽系をいい方向へ持って行ってくれるであろうと信じられるのであれば、「不安」や「恐怖」に捕まることはなくなります。 しかし、人間を信じられなくなると「希望」を持つことができなくなり、「不安」や「恐怖」に堕ちることになります。 だからこそ、ここで「これからも君とずっと」と金星神が我々に向けて言っていることは、我々のことをまだ信じているということを意味しています。 そして、彼女自身が我々に「愛」を教えることによって、我々を導いていくという決心でもあります。 「闇」に満ちた人間を信じるということは本当に大変なことです。 そして、「闇」に満ちた人間を光へ導くことも非常に大変なことです。 これは我々人間には本当に計り知れない程に大変な心の闘いです。 神々は我々の心をいつも見ています。 我々の多くが「相手のため」の「愛」ではなく、「自分のため」の「欲望」を選んでいることを彼らは知っています。 そういった人間に対して、「まだ『愛』を選べるはず」と信じることは、「楽観」との闘いになります。 「楽観」とは、物事の本質を見ずに、いいかげんな根拠で「大丈夫だろう」と思うことです。 しかし、神々は「楽観」に堕ちてしまっては、人間を「光」に導くことはできません。 なぜならば、いいかげんに我々の心を見るのであれば、我々がどのようにしたら「光」の方に寄ることができるだろうかということを適切に考えられないからです。 そういった「楽観」に堕ちることなく、我々の心の真実を見つめながら、我々を信じなければなりません。 そして、信じた相手に裏切られた時のショックは辛いものです。 彼らは人間を全力で導いています。 しかし、我々はいつもどこかで「闇」に堕ちてしまいます。 彼らは我々を信じるからこそ全力を尽くし、しかし我々のせいで、うまくいかず、そのことによって苦悩し、しかし、この地球に生きる多くの命のために、まだ人間を信じなければならないということをこの地球上で、今この瞬間にも彼らは無数に経験しています。 その闘いは本当に大きなものです。 そして、その中でも自分が人間を「光」に導いていけるということをここで歌っています。 なぜならば、「光」に導けなければいつかこの星は終わってしまいますが、「これからもずっと」という言葉が意味することは「これからもずっと」この星はあるということを意味していて、人間が「光」に寄るということを意味しているからです。 この話は少し難しいのですが、金星神は2012年の12月までの2300年間、「金の気」を降り注ぐことができていませんでした。 星には「光」の時代と「闇」の時代が交互に来るようなルールが元々定められています。 その「光」の時代と「闇」の時代を決定付けるのが、「金の気」の有無です。 この2300年間の間、金星神は基本的に中島美嘉のような金星神と「縁」のある人間にしか、関与ができませんでした。 しかし、2012年12月以降、「金の気」を降り注ぐことができるようになり、彼女はこれからより地球の「愛」を強くしやすい立場にあります。 そういった意味もこの「これからもずっと」という言葉には込められています。 これから「光」の時代を自分が創っていくという彼女の決心です。 金星からの「金の気」が2012年12月より降り注ぎ始めたことについてはここに詳しく書いています。 このことは私だけではなくて、世界中の多くの気功師・シャーマンは言っています。 ・2012年12月より金星の気が降り注ぎ始めたことについて ですから、本当はこの曲ができた当時は金星からの「金の気」は「雪」には宿っていませんでした。 この曲は2012年12月以降の地球のために創られた楽曲であって、これからの時代のために金星神が用意した歌です。 2012年12月より、金星からの「金の気」は日本に降り注いでいます。 ですから、我々日本人全員は金星神と共に生きています。 しかし、「縁」で繋がっている中島美嘉と金星神の関係性とは、とても強いものです。 金星神はずっと中島美嘉を全力で支えていて、中島美嘉は金星神と共に本当に頑張ってきました。 そんな二人が共に、この歌を歌うことは、とても美しいことであって、月日が流れる中でその意味も変わってくるものだと思います。 そして、人間が大事なことを思い出していく中で、この歌の聴き方も変わってくるのだと思います。 [『雪の華』がこれからの人類の「聖典」であるべきことについて] ここまでの解説が本当に理解できた方には分かると思いますが、この『雪の華』という曲も歌もPVもとてつもない程に重要なメッセージを持っています。 金星神はその全てのメッセージを前もって用意し、そのメッセージが込められるように計算して、この歌やPVを創り、中島美嘉と共に歌っています。 この歌もPVも、今後何百年も何千年も何万年も地球に残っていきます。 人間が創った録音技術や映像技術はこのようなことを可能にしました。 金星神としては、この曲を今どのように思っているかというと、これから人間が引き継いでいくべき「聖典」だと思っていますし、私もそう思っています。 我々はいつもイメージに縛られています。 だから、中島美嘉の歌やPVが「聖典」であるわけがないと思ってしまいます。 「聖典」は今までは文章でした。 何故ならば、今までは文章しか保存する方法が無かったからです。 しかし、今は録音や映像や写真があります。 そして、こういった録音や映像や写真とは、神々が人間に奇跡を起こしているその瞬間を保存することを可能にしています。 そして、この『雪の華』の録音も映像も、その奇跡の瞬間に他なりません。 中島美嘉は神々と人間の仲介を「歌」によって行なう立場の人間。 武藤監督は神々と人間の仲介を「映像」によって行なう立場の人間。 私は神々と人間の仲介を「言葉」などによって行なう立場の人間。 という風に理解して頂ければ、と思います。 中島美嘉がいなければ、金星神の歌を我々は聴くことはできません。 そして、武藤監督がいることによって、中島美嘉の歌の持つ意味をより我々は理解できます。 そして、私がそれらのことが持つ意味を説明することで、言語として我々は大事なことに「気付き」を得ていくことができます。 こういった立場の異なる役割を持つ人間が活躍し、協力関係を結ぶことで、我々は神々と真に共に生きることができ、より素晴らしい世界を創っていくことができます。 神々は人間と共に「聖典」としての多くの芸術作品を既に多く創ってきました。 それはクリストファー・ノーランや宮崎駿や小津安二郎の映画などでもあります。 そして、そういった「聖典」の中の1つの重要な歌が『雪の華』です。 中島美嘉の様々な楽曲とは、このような「聖典」としての意味を強く持っています。 そして、彼女の人生全体が「聖典」としての意味を持っています。 そういった中島美嘉に関することをこれからもこのホームページには書いていきたいと思っていますし、それを真に理解することによって、我々は大事なことに「気付き」を得て頂ければ、と思っています。 『雪の華』の購入方法 中島美嘉のこの『雪の華』の録音やPVは以下のリンクのいずれかから買えるので買ってみて下さい。 『LOVE』には重要な楽曲が多く入っています。 ベストアルバムは2005年のものと2014年のものがありますが、この二つはかなり重複しています。 あと、2014年のベストアルバムは二枚あり、もう1つは『DEARS(ALL SINGLES BEST)』になります。 『DEARS』も『TEARS』も重要な楽曲は多く入っています。 2014年までの全てのシングルを聴いてみたい方は『DEARS』『TEARS』の両方を買ってみて頂ければ、と思います。 『雪の華』は入っていませんが、『DEARS』はこちらです。 私はソニーミュージックの回し者でもなく、個人的なファン精神といったことから薦めているわけでもありません。 シャーマンの目線から、人類にとってどの作品が重要かという観点で薦めています。 人間が大事なことに気付いていくと共に、これらの作品は人々が再び手に入れるようになってほしいと願っています。 私としてはこれらの作品の持つ意味をこれからも書いていきます。 私の解説とセットでこれらの作品を鑑賞する中で、神々が我々に伝えたい様々な重要なメッセージを受け取って頂ければ、と思っています。

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雪 (童謡)

雪の華歌詞意味

中島美嘉の『雪の華』について解説を書きます。 歌はその歌の持つ感情を経験することが重要なので、上のYouTubeで曲を聴きながら、繰り返し再生しながら、この解説を読んで頂ければ、と思います。 『雪の華』の歌詞全体を一度書いた後に解説を書いていきます。 【『雪の華』歌詞】 のびた人陰 かげ を舗道にならべ 夕闇のなかを君と歩いてる 手をつないでいつまでもずっと そばにいれたなら 泣けちゃうくらい 風が冷たくなって 冬の匂いがした そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる 今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす 甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる 心からそう思った 君がいるとどんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる こんな日々がいつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ 風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる 舞い落ちてきた雪の華が 窓の外ずっと 降りやむことを知らずに 僕らの街を染める 誰かのために何かを したいと思えるのが 愛ということを知った もし、君を失ったとしたなら 星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ 今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす 甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える この街に降り積もってく 真っ白な雪の華 ふたりの胸にそっと想い出を描くよ これからも君とずっと… 【『雪の華』のテーマについて】 この『雪の華』は複数のテーマを持っています。 それぞれのテーマごとに説明していきます。 [光と闇] この歌は「闇の中の光」というテーマを持っていて、そのことを通して「光」と「闇」の関係性について伝えようとしています。 この歌での「光」とは恋愛における「愛」であり、「闇」とは恋愛における「欲望」「依存」「逃げ」などのことを意味しています。 そのことをよく表している歌詞が、この歌詞です。 「甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる 心からそう思った」 「甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」 二度に渡って「甘えとか弱さじゃない」という言葉が使われるのは、この言葉が重要だからです。 「光」は「闇」と対比させることによって、よく理解できます。 この歌は「愛」という「光」について歌っている歌であるからこそ、「闇」と対比させることによって「愛」について理解を深めてほしいという金星神の気持ちが込められています。 恋愛における「甘えとか弱さ」とは「欲望」「依存」「逃げ」といったことです。 例えば、相手を自分が何か得をするため、快楽を得るための道具と考えるのであれば「欲望」、必要以上に相手に頼るのは「依存」、相手を自分が嫌なことから目をそらすための道具として考えるのであれば「逃げ」です。 これらの「欲望」「依存」「逃げ」に共通する点は、その感情が「自分のため」という点です。 自分が快楽といった何かを得るための「欲望」、自分が楽をするための「依存」、自分が苦しみから解放されるための「逃げ」といった形で、「闇」の感情は全て「自分のため」の「利益」を求める感情です。 逆に言うと、相手に対して少しでも「自分のため」の「利益」を求めるならば、それは「欲望」「依存」「逃げ」になってしまいます。 それに対して、本当の「愛」は「自分のため」という気持ちが少しもなく、そういう意味で「純粋」であって、その「純粋性」を表す言葉が「ただ、君を愛してる 心からそう思った」「ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」という言葉です。 全く「自分のため」の「利益」を考えていなくて、「ただ、君を愛してる」「ただ、一緒にいたい」と「純粋」に想う気持ちが「愛」です。 では、どうして「ただ、一緒にいたい」と思えるのかというと、相手のことを大事に想うからです。 大事な人に対して、「会いたい」「一緒にいたい」という気持ちは我々にとって、とても「純粋」な気持ちであって、それは「愛」です。 ですから、まとめると、 「自分のため」の「利益」を求める「甘えとか弱さ」の気持ちが「欲望」「依存」「逃げ」といった「闇」の感情。 「利益」を全く求めず、「ただ愛してる」「ただ一緒にいたい」という「純粋」な気持ちが「愛」であって、それは「光」の感情。 少しでもそこに「自分のため」という気持ちがあると、それはもはや「愛」ではなくなります。 そこに一切「自分のため」という気持ちがないことを「純粋」と言い、本当の「愛」は必ずその「純粋性」を抱えています。 そういった「愛」の「純粋性」がこの二つの言葉で歌われています。 そして、「愛」のことを最もよく表現している歌詞がこの言葉です。 「誰かのために 何かをしたいと思えるのが 愛ということを知った」 この歌において、最も重要な歌詞だとも言えます。 「愛」とは「誰かのため」という感情です。 それに対して「欲望」「依存」「逃げ」とは「自分のため」という感情です。 この「誰かのため」「自分のため」という対比が、「光」と「闇」の構造そのものを表しています。 いつも「光」は「相手のため」であり、「闇」は「自分のため」です。 では、どうして「相手のため」と想えるのかというと、相手のことが大事だからです。 相手のことを大事と想う気持ちが「愛」であって、大事に想うからこそ「相手のため」に何かをしたいと思います。 逆に言うと、ある人が「欲望」「依存」「逃げ」という感情を相手に対して抱く時、その人は相手のことを本当に大事とは想えていません。 なぜならば、相手を「自分のため」の道具として考えているからです。 どこかで、相手よりも自分の方を大事に考えています。 相手のことが本当に大事と考える時、我々は相手を「自分のため」の道具とは考えられません。 なぜならば、自分よりも相手の方が大事だからです。 我々はいつも自分と相手のどちらをより大事と考えるかというところを揺れています。 そのことは、我々が「光」と「闇」の間を揺れているということを意味しています。 まとめると、 相手よりも自分の方が大事だと考えるのが「闇」の立場であって、だからこそ「自分のため」に相手から自分が何かを得たいと思います。 自分よりも相手の方が大事だと考えるのが「光」の立場であって、だからこそ「相手のため」に自分が相手に何かをしたいと思います。 以上のことを歌詞を含ませながら全てまとめると、 「甘えとか弱さ」という歌詞は「欲望」「依存」「逃げ」といった「闇」の感情を表し、それらは全て「自分のため」の感情。 相手よりも自分の方が大事だと思うからこそ、相手を自分が「利益」を得るための道具として考える「闇」の立場のこと。 それに対して、「ただ、君を愛してる 心からそう思った」「ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」という歌詞は、そういった「利益」を求めることが一切ない「愛」の「純粋性」を表し、どうして「利益」を求めないかというと、相手のことを自分よりも大事に想うからです。 そして、相手のことを大事に想う気持ち=「愛」から「相手のため」に何かをしたいと思う気持ちが「誰かのために何かをしたいと思えるのが愛ということを知った」という歌詞に込められていて、「相手のため」という「光」の立場をよく表しています。 この歌はなんとなく聴いていると、この「光」と「闇」の構造を理解することはできません。 しかし、金星神はこれだけの意味をこの歌には込めています。 そして、それを非常に分かりやすく表現しています。 我々はこういった大事なことを『雪の華』を聴いていると感じます。 だからこそ、心が動きますし、多くの人がこの曲のことが好きです。 しかし、それを「言葉」を使って、具体的にどのような意味が込められているのかを理解しなければ、大事なことを感じられても、大事なことを「教訓」にはできません。 なぜならば、その時に感じた「感覚」は忘れていきますが、「言葉」は大事なことを保存できるからです。 そして、「教訓」とはいつも「言葉」によって得ることができるものだからです。 我々人間はいつもこの「光」と「闇」の間を振れながら生きています。 しかし、我々はこの「光」と「闇」の構造を見失っています。 だからこそ、大事なことが分からなくなってしまっています。 そして、そのことによって我々は苦しんでいます。 我々を助けるために、大事なことを思い出してほしいからこそ、金星神はこの歌を創っています。 この「光」と「闇」の構造はこういった感情の問題だけではなくて、情景描写にも表現されています。 「のびた人陰 かげ を 舗道にならべ 夕闇のなかを君と歩いてる」 という冒頭の歌詞ですが、「人陰」を何故か「かげ」と言い、「夕暮れ」や「夕焼け」ではなくて「夕闇」という言葉が使われています。 この二つの言葉は「闇」を意味する言葉です。 「光」と「闇」は、「陽(よう)」と「陰(いん)」とも、「光」と「影(かげ)」とも言われます。 そういった「闇」を意味する言葉がここでは、「闇」「陰」「影」三つとも使われています。 また、我々にとって自然物とは「光」です。 太陽や木々や川や動物といった自然は基本的に「光」の存在です。 それはそういったものに触れている時に心がどのように動くかを見つめて頂ければ分かると思います。 自然はとても気持ちがいいものです。 なぜならば、それらの存在が基本的に「光」であるからです。 それに対して非自然物は「闇」になりがちです。 そういった非自然物を表す言葉が「舗道」という言葉になります。 世界は「闇」に満ちていても、愛する人と共に歩いていることは「光」であるという対比がここでは描かれています。 また、「光」と「闇」に関連して重要なことは「色」です。 「光」と「闇」の基本色は「白」と「黒」になります。 眩しい程の「光」を見る時、それは「白」の色をしています。 そして、本当の「闇」の中は何も見えず、その時に見える色は「黒」だけです。 「光」と「闇」はこのようにして、我々が視覚で感じる「色」にも反映されます。 そういったことが表現されているのが以下の歌詞です。 「舞い落ちてきた雪の華が 窓の外ずっと 降りやむことを知らずに 僕らの街を染める」 「この街に降り積もってく 真っ白な雪の華」 「街」というものも「舗道」と同様に非自然物であって、「光」の存在ではありません。 そういった「街」を「真っ白」に「染める」ということは、「光」で満たしていくということを意味しています。 それは「雪」というものの役割にも依ります。 「雪」の役割については後に詳しく書いていますので、そちらを読んで頂ければ、と思います。 また、我々にとって最も身近な「光」と「闇」とは「昼」と「夜」です。 「昼」と「夜」とは太陽からの「光」の有無のことを表します。 太陽のもたらす「光」に支えられている時間が「昼」、それがなく、「闇」に包まれている時間が「闇」です。 こういった「昼」と「夜」に関連している内容が、以下の歌詞です。 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」 「風」は自然物であって「光」の存在です。 それに対して、「夜」とは「闇」です。 そして、ここで歌われている「どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という歌詞は「優しさ」という「光」の感情を表す言葉です。 「優しさ」とは相手の心の状態を「光」へ導くことですが、ここで歌われる「悲しいこと」とは「闇」のことを表し、「笑顔」とは「光」のことを表しています。 つまり、まとめると以下のようになります。 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」 光 闇 闇 光 優しさ(光) ここまで理解して、「夜は揺り起こして」という歌詞の意味が理解できます。 「夜」は「闇」のことを表しています。 そして、「揺り起こす」とは「体をさすって目をさまさせる」という意味ですが、ここで何を「揺り起こす」のかというと、「光を揺り起こす」ということを意味します。 つまり、この「夜は揺り起こして」という歌詞は「闇は光を目覚めさせる」ということを意味しています。 その根拠はこの「夜は揺り起こして」という歌詞の後に、「どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という言葉で、「闇」を「光」に変えようとしている「優しさ(光)」の心が歌われているからです。 「光」のことをより強く理解し、実践するために「闇」はあります。 もしこの世に「光」しか無ければ、我々は「光」のことを理解できません。 なぜならば、比較対象が無ければ、あるものは理解できないからです。 例えば、この世界に「愛」という感情しかなければ、我々は「愛」の価値を理解することはできません。 我々は「愛」以外の様々な感情を経験することで、「愛」の感情の価値に気付くことができます。 また、「闇」があることによって、「光」を強く実践する機会が生まれます。 「闇」に苦しむ他の魂を助けたいと強く願い、強く動くからです。 その過程の中でそれぞれの魂は「光」を強くしていきます。 ここで歌われることはそういったことであって、「闇」によって苦しんでいる人を助けたいという「優しさ」という「光」のことを表しています。 「闇」があることで、そこに「光」が起こります。 そういう意味で、「夜は揺り起こして」=「闇は光を目覚めさせる」という歌詞が置かれています。 こういった「光」と「闇」の関係性において最も大事なこと、何故この世に「闇」はあるのか、ということがここでは歌われています。 この「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という歌詞には他の意味も込められていますが、それについては下に書いています。 [『雪の華』の中島美嘉の声について] 中島美嘉は「気持ち」で歌うことがとても得意な魂です。 つまり、「気」で歌うことが中島美嘉は得意です。 「気持ち」とは「気を持つ」、「気分」とは「気を分かつ」と書きますが、これは何を意味しているかというと、「気持ち」「気分」の原因は「気」であるということです。 我々はある「気」に「共感」することによって、ある「気分」になります。 中島美嘉は「気」に対する「共感」の作業が非常に得意な魂であるからこそ、本当にその「気持ち」になって歌う能力が並外れている人間です。 そして、中島美嘉と金星神は一緒にこの『雪の華』を歌っています。 中島美嘉は金星神からの「金の気=愛の気」を受け取ってこの歌を歌い、金星神はその「金の気=愛の気」に働きかけているからです。 そのようにして、中島美嘉と金星神は共に歌を歌っています。 「金の気」とは我々の「愛」の原因の「気」であって、「金の気」に「共感」すると、我々は「愛」を感じます。 中島美嘉は「金の気」に「共感」することによって、「愛」の感情を抱き、その「愛」の気持ちで歌っています。 だから、金星神の「愛」を彼女は表現しています。 そして、金星神とは太陽系における最も偉大な「愛」の神であって、我々が生まれた時からずっと我々に「愛」を教え続けている神様です。 こういった重要な意味が込められた歌詞をただ文章で書いても、その感情は伝わりません。 しかし、それを気持ちの込めた歌で表すならば、その感情は伝わります。 歌というものの役割はこの点にあります。 言葉だけでは伝わらない感情のことを、歌という形で表現するからこそ、聴いている者にその感情を伝え、教えられることになります。 そして、これを行なうためには、歌う人間は本当にその感情を経験しながら歌わなければなりません。 中島美嘉は金星神と「縁」があるが故に、金星神から「気」をもらうことができ、中島美嘉は金星神のもたらす「気」によって感情を抱き、その感情の中で歌っています。 だからこそ、金星神が我々に伝えたい感情を我々は学ぶことができます。 この『雪の華』においては、「愛」の持つ「純粋性」が、中島美嘉の声によく表れています。 『雪の華』のレコーディングには複数のバージョンがありますが、このレコーディングが最も「愛」の「純粋性」のことをよく表現しています。 それは、この中島美嘉の『雪の華』のレコーディングにおいて、金星神は「愛」の持つ「純粋性」を重要視しながら、中島美嘉に「金の気」を送っていたからです。 なぜならば、この歌の大きなテーマが「愛」の持つ「純粋性」だからです。 そして、中島美嘉はその「愛」の「純粋性」に「共感」をしながら歌っています。 だからこそ、こういった録音は存在します。 中島美嘉が金星神と真に共に働き、それを見事に成功させ、「愛」の持つ「純粋性」を表現しているその現場のレコーディングが残されていることは、我々人間にとって、とても重要なことです。 人によっては、この声は他の『雪の華』のレコーディングよりも少し声に「幼さ」を感じるかもしれません。 しかし、それは「幼さ」ではなくて「純粋性」になります。 人からの目線を気にしていると「かっこよさ」を求め始めます。 そうすると、この中島美嘉の声から「幼さ」を感じたりします。 この『雪の華』の中島美嘉の声は「かっこいい」ものではありません。 なぜならば、「愛」は「かっこよさ」とは関係ないからです。 しかし、この中島美嘉の声は「美しい」ものです。 その「美しさ」に共感する時、「幼さ」は感じず「愛」の「純粋性」のかけがえのなさを感じます。 我々はいつもどういう観点でそれを見るかということによって、それをどのように感じるのかということを無意識に決定しています。 「かっこよさ」を求める心は「闇」の心です。 なぜならば、それが「自分のため」の感情であるからです。 そういった「闇」の心を持っていると、この『雪の華』の中島美嘉の声を聴いても心は動きません。 なぜならば、「闇」の立場に立つと「光」に「共感」はできないからです。 それに対して、この歌を聴いて心から感動する時、その心は間違いなく「光」の状態です。 なぜならば、「光」に心を動かされる時、自分も必ず「光」の状態であるからです。 その時、自分の心が抱えている多くの荷物は肩から降ろされていて、とても「純粋」な自分が現れます。 [この歌の主人公について] 歌において、一体どういった主人公がこの言葉を発しているのかということは非常に大事です。 この『雪の華』の主人公は「愛」を初めて学んでいるある女の子です。 それはこの歌の歌詞や、この録音の中島美嘉の声を聴いていると分かると思います。 10代か20代の、とても「純粋」な女の子の心情表現としてこの歌詞はあり、そういった子が「愛」に気付いていく過程が歌われています。 どうして、この歌の主人公が、「愛」を初めて学ぶ女の子かというと、この歌において金星神は「愛」の持つ「純粋性」を最も表現したかったからです。 本当は我々は皆「子供」です。 「大人」という考え方は人間が生んだ悪しき概念であって、本当は「大人」なんてものはありません。 つまり、「子供」と「大人」の区別なんてものは本当はありません。 そして、「大人」になるにつれて、人は「純粋性」を失っていきます。 なぜならば、「大人」という存在がそもそも「純粋性」を失いやすい存在であるからです。 「大人」は自分の気持ちに従わない方向性で生きがちです。 「大人だから〜〜でないといけない」という形で、「大人」というイメージに縛られ、自分の心に従わなくなります。 そして、自分の心に従わなければ、「純粋性」は失われていきます。 このことについてはこちらに詳しく書いています。 ・「大人」について 我々は皆昔は「純粋」な「子供」でした。 だからこそ「子供」の「純粋」な気持ちを理解することはできます。 この歌は「子供」のような女の子を主人公にすることによって、そういった「子供」の持つ「純粋性」を表現し、そのことによって我々に「純粋性」というもののかけがえのなさを教えています。 そして、ここで表現されていることは「愛」の「純粋性」です。 この録音が表現する、「愛」の持つ「純粋性」は「美しい」ものです。 その美しさは金星神の「愛」の「美しさ」でもあります。 なぜならば、中島美嘉は金星神の「愛」の「純粋性」に「共感」して歌っているからです。 主人公が誰なのかということによって、どういう感情になるのかということが異なってきます。 そうすると、どういう感情を聴いている人に伝えられるのか、教えられるのか、ということが変わってきます。 歌とは本来、演技と変わりがありません。 歌においても演技においても重要なことはその本人に本当に成り切ることです。 そのことによって、本当にその感情を経験することができ、聴いている人にその感情のことを伝えられます。 逆に言うと、その本人になり切らない限り、本当に感情を乗せることはできず、それは「嘘」になってしまいます。 だからこそ、その歌の主人公がどういう人間なのかということは非常に重要です。 そして、その主人公を決定するのが歌詞です。 歌詞を書く段階において、金星神は一体何を人間に伝えたいかを考え、そのことが伝わるような歌詞や主人公、音楽を前もって用意し、それを作詞者や作曲家に「アイデア」として降らせます。 そこまで考えて、金星神はこの作詞者であるSatomiにこの歌の歌詞の言葉を教えています。 Satomi自身も、この歌詞にこれだけの意味があることは知らないはずです。 詩を作るという作業は神々や悪魔との共同作業であるからこそ、その作詞者の意図をよく超えます。 「アイデアが降ってくる」と言うように、「アイデア」はどこかから降ってくるものですが、神々や悪魔がそういったその「アイデア」を作っているからです。 [雪] そして、この歌が持つ大きなテーマは「雪」です。 この歌は「雪」というものがどのような物であるかということを説明しています。 「雪」のことを理解するためには、「気」の説明を書く必要があります。 万物には「気」が宿ることができます。 そして、「気」をとても宿しやすい物体が「水」です。 そして、「雪」とは「水」が変化したものなので、「雪」にも非常に「気」は宿りやすいです。 そして、「愛の気=金の気」というものが空気中には飛んでいます。 ですから、空から降ってくる「雪」には「愛の気=金の気」が宿りながら、地上に降り注ぐことになります。 我々が目にする「雪」は「金の気」が宿った「雪」です。 我々が何かを見る時、我々はその何かから「気」を受け取っています。 例えば、空を見ると気分が穏やかになるのは、空を見ることによって空にある「光の気」を目から摂取するからです。 「気持ち」「気分」とは「気を持つ」「気を分かつ」と書きます。 この言葉が意味することとは、「感情」の原因は「気」であるということです。 そして、「気」を受け取るための方法として、我々は「見る」という方法を持っています。 だからこそ、空を見ると「光の気」を我々は受け取り、その「光の気」によって「気持ち」を穏やかにしていきます。 ですから、「金の気」が宿った「雪」を見る時、空を見る時と同様に、「雪」に宿った「金の気」を我々は「見る」ことによって受け取ることになります。 そして、「金の気」とは「愛」の原因であって、それを受け取ると「愛」を感じます。 そのことをこの歌において表している歌詞が二度に渡って歌われるこの言葉です。 「今年 最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす」 「雪」を見ることによって、「金の気」を受け取り、愛する誰かとの「愛」を強め、そのことによって「幸せがあふれだす」ということを意味しています。 つまり、この寄り添うふたりの「愛」を金星神が支えていることが、この歌詞には表現されています。 タイトルにもこの歌詞にも言われている「雪の華」という言葉ですが、どうして「華」と言われるかというと、「雪」というものが神々からの「贈り物」であるからです。 我々が「金の気」を受け取る時、「雪」は金星神からの「贈り物」となります。 そういった「贈り物」の意味を込めて、「雪の華」という言葉が使われています。 また、どうしてここで「時(とき)」「時間(とき)」ではなく、「瞬間(とき)」と表現されているのかというと、これは「金の気」が入る「瞬間(とき)」のことを表しているからです。 我々は感情が「気」によってとても動く時、それはその「瞬間(とき)」に起こります。 なぜならば、「気」が入る時とは「瞬間」の出来事だからです。 「気」によって心を動かしていることを「瞬間(とき)」という言葉で表しています。 「金の気」を地球に降り注いでいるのが金星神です。 その「金の気」が雪には宿っていきます。 「雪」に宿った「金の気」に「共感」してほしいからこそ、金星神はこの歌を創っています。 「共感」が生まれない限り、「雪」を見たとしても「金の気」を受け取ることはできません。 つまり、「愛」の感情で「雪」を見つめない限り「金の気」は受け取ることができません。 恋人と共にいる時とは心が元々「愛」の状態を抱いているので、「雪」に宿る「金の気」に「共感」しやすい状態にあります。 「雪」に「金の気」が宿っていることを人間が理解したならば、人は恋人のことを想いながら「雪」を眺めたり、この『雪の華』を聴きながら「雪」を眺めようと思うようになります。 そのことによって、我々人間がより金星神からの「金の気」を受け取りやすくなり、我々の「愛」は強くなっていきます。 その中で、我々はより幸せになっていくことができます。 そういったことを実現するために、金星神はこの『雪の華』を創っています。 [PVについて] 曲の解説がまだ途中なのですが、「雪」の話に関連する話なので、PVについての解説を先に書かせて下さい。 このPVには三人の中島美嘉が登場しますが、それぞれ意味が異なります。 氷に囲まれた中で歌っている中島美嘉は雪に宿っている「金の気」を表現したものです。 中島美嘉の顔が金星神と非常に似ていることは『中島美嘉について』で説明しましたが、このPVにおいては、雪を氷に、「金の気」を金星神に置き換えて表現することで、氷に「金の気」が宿っていることを映像で表現しています。 金星神からすると自分の「金の気」とは自分の身体の延長線上の存在のようなものです。 だからこそ、「金の気」を自分自身で表現しています。 それらの「金の気」に関与している様子が歌う姿で表されています。 また、金星神が雪に「金の気」をもたらしている描写もこのPVには描かれています。 金星神が雪を手に持ち、彼女の手から雪が落ちていく時にその雪が輝いていますが、これは雪に「金の気」を宿している金星神の姿を表したものです。 これはこの『雪の華』のCDジャケットも同様ですので、CDジャケットの写真も載せておきたいと思います。 神々は、『雪の華』の曲とPVだけではなく、このCDジャケットにも関与しています。 この中島美嘉が金星神のことを意味しているという根拠は「星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」という歌詞に入った場面から、いきなり画面が変わり、下の写真の中島美嘉が映る点にあります。 このタイミングの一致も金星神が意図して創っています。 この雪景色の中に立っている中島美嘉は金星にいる金星神の姿を表しています。 雪や木はありますが、中島美嘉の周りには何もなく、この場所は別の星にも見えるからです。 なによりも、「星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」という言葉は金星神の心情表現であって、そのタイミングで画面が変わり、別の中島美嘉が映るのは、これが金星神自身であるからです。 そして、冒頭と最後に街の中にいる中島美嘉は中島美嘉本人です。 冒頭に登場し、「金の気」が宿る雪を手の平に抱え、そして目を閉じると、「金の気」を意味する金星神の姿が一瞬見えます。 これは、中島美嘉と金星神が「縁」で繋がっていることを意味しています。 また、一番初めは上から中島美嘉に対してカメラが寄っていくように撮られていますが、これは金星神の中島美嘉に対する目線を意味しています。 このPVは非常に細かくできているので、分析的に観て頂ければ、と思います。 歌詞についての「光」と「闇」については上でほとんど説明をしましたが、「光」と「闇」の関係性はPVにも表現されています。 中島美嘉がいる「街」は「闇」の場所として描かれています。 それは、通り過ぎる人々が「黒」で描かれていることや、ゴミ箱が中島美嘉の横にあること、中島美嘉がハイヒールを履いていることなどに現れています。 ゴミ箱には「闇の気」が溜まっています。 だから、ゴミ箱は「闇」の存在です。 そして、どうしてハイヒールが「闇」かというと、ハイヒールは「痛み」を履いている人にもたらすからです。 「痛み」とはその性質上「嫌悪」の感情を人間に与えます。 そして、「嫌悪」の感情とは「闇」の感情です。 他にもハイヒールには様々な意味がありますが、そういった意味でハイヒールは「闇」を表します。 それに対して、「金の気」も金星神自身も「光」として描かれます。 街の描写よりも映像が明るく、「光」に満ちている世界の中に描かれます。 何故ならば、「金の気」も金星神も「光」の存在であるからです。 このPVを創った武藤眞志は中島美嘉と同様に、神々と共に働く映像作家です。 こういった芸術家の方の作品は、自分が意図していることをはるかに超える意味を持った作品を創ります。 なぜならば、神々と共に働いているからです。 この『雪の華』という金星神が創った、非常に素晴らしい歌のPVを誰に撮影させるべきだろうかという時に、神々は武藤監督を選んでいます。 その結果、武藤監督にこのPV制作の仕事が来ています。 そして、見事に最高の映像を創っています。 最近、神々の導きで武藤眞志御本人と会うことになり、色々なお話をさせて頂きました。 このPVの制作過程の話なども聞いたのですが、御本人もこのPVの持つ様々な意味というものは知らず、私が武藤監督の作品の解説をするような形です。 そして、御本人も自分の作品の持つ様々な意味について、非常に納得していました。 武藤監督と会って色々なお話をさせて頂く中で、そして彼の様々な作品を観る中で、神々が『雪の華』のPV監督を武藤監督にした理由がよく分かります。 本当に重要な意味を込めた映像を武藤監督は創ることができるからです。 武藤監督は中島美嘉の『愛してる』『FIND THE WAY』『CRESCENT MOON』『RESISTANCE』『Always』なども監督を務めていますが、これらの作品も重要なメッセージを持っています。 それについては別で書きます。 武藤監督は「直感」によってこういった重要な作品を創ることができます。 なぜならば、神々からのメッセージを「直感」として受け取り、その「直感」を映像に落とし込むことができるからです。 つまり、武藤監督は人間と神々の仲介を映像を使って行なっています。 このPVには他にも様々な意味が込められていますが、それは他の事柄の説明と共に解説を書いていきたいと思います。 [「気」について] この歌は「気」とはどういったものであるのかが説明されています。 それをよく説明している詩がこの「風」に関する対の構造です。 「風が冷たくなって 冬の匂いがした そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる」 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」 「風」に関してこのような構造を持たせたのは、何かしらの意味があるからです。 金星神はこの構造を使うことによって、「気」というものの持つ最も重要な性質を人間に伝えようとしています。 一行目が意味することとは「風が我々に何かを教えている」ということです。 風が冬の「匂い」を運び、そのことで「冬が来たな」と思っています。 そもそも「匂い」とは「気」そのものです。 我々はいつも「気」を感じていますが、嗅覚とは我々が今でも強く行なっている「気」の1つの感じ方になります。 「匂い」についてはこちらを読んで下さい。 ・匂いについて 「匂い」とは「気」そのものであって、その「匂い(気)」によって、何かに気付いているというのが一行目の意味です。 つまり、「気」によって我々は何かに「気付いている」ということを説明しています。 そもそも、「気付く」とは「気+付く」という構造によって成立している言葉です。 我々が大事なことを忘れていても、言葉には真実が残っています。 「気」には「情報」を乗せることができます。 例えば、我々は出勤途中に忘れ物をしている時に、忘れ物に「気付く」ということを経験しますが、この「気付く」という現象は我々の意志を超えています。 我々は何かに「気付こう」と思って「気付く」ことはできません。 「気付く」という現象は我々の意志とは関係なく、我々に起こることです。 では、どうしてこのようなことが起こるかというと、我々以外の存在がそれを教えているからです。 神々も悪魔も「気」を司っており、彼らは我々に「気」を送ることによって、様々な「情報」を教えています。 その時に「気付く」という現象が起こっています。 「気付く」という言葉には、「我々に何かしらの気がくっ付き、その気によって何かを教えられる」という意味が込められています。 それを非常に分かりやすく説明するために、「匂い」という言葉を使って説明しています。 「気」に「情報」を乗せて、神々や悪魔は「情報」を人間に伝えることができるということ、人間はいつもそのようにして「気付く」という現象を経験していること、そういったことを伝えるために、この一行目の歌詞はあります。 ちなみに、だからこそ、この『雪の華』という曲もあります。 金星神が作詞者・作曲家に「情報」を「気」に乗せ、その「気」を送ることによって、教えているからです。 そして、「気」には「情報」を乗せることと同様に重要な「気」の役割が、「気」が「感情」の原因であるということです。 「気持ち」「気分」という言葉に書かれているように、我々は「気」を持つことによって、「気」を分かつことによって、「感情」を抱いています。 風が原因で何かに「気付き」を得ているのが一行目であるのに対して、風が原因で「気持ち」を得ているのが二行目です。 この「気付き」と「気持ち」という構造を金星神は意識してこの詩を書いています。 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という言葉の「感情」とは「優しさ」です。 相手のことを思いやり、「相手のため」に相手の感情を良い方向に変えたいと思っているからです。 「金の気」が「愛」の原因であることは書きましたが、「風の気」は「優しさ」の原因です。 だからこそ、ここでは「風」と「優しさ」の関係性を描いています。 「風の気」についてはここに詳しく書いているので、読んで頂ければ、と思います。 ・風の感情について この対の詩についてまとめると、「気」には「情報」を乗せることができ、「気」は「感情」の原因であるという、「気」の持つ大きな二つの役割について説明されているのがこの「風」に関する二つの詩です。 このホームページでずっと書いていることは「気」が「感情」と「情報(思考)」の原因であるということです。 そして、「風の気」についても今までに何度も書いてきました。 そのことと全く重なるようにして、この「風」に関する詩が『雪の華』で描かれているのは偶然ではなくて、金星神がそれを意図的に作ったからです。 何故ならば、彼女はそれを伝えたいからです。 こういった「気」に関するより詳しい説明はこちらを読んで下さい。 このホームページで最も重要視している点は「気」というものが何なのか?という点ですので、「気」については様々な文章を書いています。 ・気について どうか、こういったことを「偶然」と考えて頂かないで頂けると幸いです。 中島美嘉の楽曲はこういったことばかりであって、それら全てを理解した時には、確実に「偶然」とは思われないはずです。 だからこそ、中島美嘉に関するこのホームページの文章はよく読んで頂けると幸いです。 そのことによって、我々は我々にとって最も大事なことを学んでいくことができます。 「気」に「情報」と「感情」が乗せられることも、このPVにおいて表現されています。 それは雪に宿っている「金の気」を意味する、氷に囲まれた中島美嘉がずっと歌っている点です。 この「金の気」が歌い続けているということは、「金の気」がこの主人公の女の子に「情報」を教え、「愛」を強くしていることを意味します。 この「金の気」を意味する中島美嘉が歌い始めるのは、「今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす」という歌詞が始まった時からです。 どうして、この歌詞から「金の気」が歌い始めているかというと、「金の気」がこの主人公の「愛」を強め、「幸せがあふれだす」ことを支えているからです。 つまり、「気」によって、「感情」を抱いていることを映像として表現しています。 そして、その後ずっとこの「金の気」としての中島美嘉がずっと歌っている様子が描かれますが、それは主人公の「愛」を強めると共に、「愛」に関する様々な「気付き」を教えていることを表しています。 この歌はある女の子が「愛」に「気付き」を得ていく心情表現を歌ったものです。 この主人公の女の子は恋人に対する「愛」を抱きながら、「雪」を見ていて、その時の自分の心を歌っています。 「愛」の感情で「雪」を見ているので、「雪」に宿る「金の気」を受け取ることになります。 そして、「気」には「情報」を乗せられるので、「愛」を強めながら、「金の気」から「情報」を得ることになります。 この「情報」が、彼女が得ている「愛」の「気付き」です。 このPVにおいて、この主人公の女の子を意味しているのが中島美嘉本人です。 この中島美嘉はずっと雪を眺めています。 この中島美嘉は、恋人のことを想いながら、雪を見つめているという設定を金星神は意図しています。 恋人を想いながら雪を眺め、「愛」の「気付き」を得ていく中島美嘉と、その雪に宿った「金の気」が中島美嘉に語りかけているという構造で描かれています。 我々は言葉を使って自分の心を分析しない限り、自分の心の状態を言葉で置き換えることはできません。 神々がいつも我々に行なっていることの1つは、我々がどのような心の状態であるのかを言葉で教えるということです。 それを神々は我々に「気」を送ることによって行なっており、これが「気付き」となっています。 例えば、「愛」を抱いていても、それを「愛」と思わない限り、自分が「愛」を抱いていると気付けません。 そして、「愛」について「気付き」を得ることもできません。 しかし、それを「愛」だと「気付く」ことによって、自分のその気持ちが「愛」であることを知り、「愛」とは何なのかを理解するという「愛」の「気付き」を得ることができます。 神々は我々が「愛」の感情を抱いている時に、「それは『愛』なんだよ」と「気」を通して我々に「気付かせ」てくれます。 これが我々の経験している「愛」の「気付き」の最初の段階です。 この女の子は「甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる 心からそう思った」という言葉を心の中で思っています。 つまり、この時自分の抱いている感情が「愛」であることに気付いています。 これは神々がこの女の子の心の状態を言葉で教えているからです。 神々はそれを「気」を送ることによって教えています。 そして、その上で、「愛」に関する様々な重要なことについて、この女の子は「気付き」を得ていきます。 「君がいるとどんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」という言葉は、「愛」のもたらす「強さ」のことを意味しています。 「愛」する人と共にいると、心が強く「光」の方向性へ向かいます。 そうすると、心が「闇」に堕ちていきません。 我々が苦悩するのは、我々の心が「闇」に堕ちるからです。 「絶望」「嫌悪」「執着」といった様々な「闇」の感情は、我々に苦悩をもたらします。 しかし、心が「光」の状態だとこのような苦悩を経験せず、「愛」はそういった「闇」に堕ちることを防ぎます。 だからこそ、「愛」は我々に「強さ」をもたらし、そういった、「愛」のもたらす「強さ」にこの主人公は気付いています。 そして、「誰かのために 何かをしたいと思えるのが 愛ということを知った」という言葉で、「愛」というものの本質をこの子は言葉で理解します。 「風が窓を揺らした 夜は揺り起こして どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる」という言葉に表現されているように、「風の気」によって「愛」の実践方法である「優しさ」を学び、その「優しさ」のことをこの子は「誰かのために何かをしたいと思えること」という言葉で言い換えます。 そのことを通して、「誰かのために何かをしたいと思えるのが愛ということ」という「気付き」を得ます。 この女の子は自分の心の状態を言葉で置き換えただけです。 そのことによって「愛」の「気付き」を得ています。 そして、その内容は「愛」の持つ「純粋性」、「愛」によって生まれる「強さ」、「愛」とは「相手のため」のものであること、といった「愛」に関する最も重要な内容です。 こういった大事なことを助け無しに理解することは簡単なことではありません。 その証拠に、我々人間は「愛」とは何なのか、ということを見失っています。 けれども、この女の子は「愛」に関する最も重要な内容について「気付き」を得ています。 では、その「気付き」の過程を支えているのは誰かというと、「雪」に宿った「金の気」に関与し続けている金星神です。 だからこそ、このPVにおいて、「誰かのために何かをしたいと思えるのが愛ということを知った」という歌詞までひたすら歌い続けているのは、「金の気」を意味する中島美嘉です。 「金の気」がこの女の子に「気付き」を与え続けていることを、歌い続けている「金の気」で表現しています。 「金の気」とは、本当にこの「金の気」を意味する中島美嘉の歌っている様子そのものです。 この「金の気」として歌っている中島美嘉の表すような感情が「金の気」には宿っていて、それが我々に働きかけ、そのことによって我々の「愛」は強くなります。 そして、歌っているその内容に表れているように、大事なことを我々に教えています。 金星神は「金の気」にこのような形で関与し続けています。 誰もが雪を「愛」の感情で眺めるのであれば、金星神からの言葉を受け取ることができます。 その言葉とは我々の心に浮かんでくる言葉です。 我々は自分の心の中に浮かんでくる言葉の全てを自分が作っていると思ってしまっていますが、神々も悪魔も我々の心にいつも「気」を通して関与しています。 それが我々の心に浮かぶ言葉や感情の一部です。 何故ならば、「気」には「情報(言葉)」と「感情」を乗せることができるからです。 そして、中島美嘉は金星神と「縁」で繋がっているが故に、中島美嘉が「光」の感情を抱く時、いつでも金星神からの言葉を受け取ることができる立場にあります。 つまり、我々が「金の気」が宿る雪を眺めている状態をいつも経験しているのが中島美嘉とも言えます。 雪に宿る「金の気」によって金星神からの「気付き」を得ることができること、中島美嘉は金星神から日常的に「気付き」を得ていること、その両方の意味を持たせるために、この映像は中島美嘉に「金の気」が語りかける、このような構造を取っています。 この映像の中で金星神から中島美嘉に対するメッセージが1つ込められています。 それはこの歌詞が歌われる時の映像に残されています。 「君がいると どんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」 「こんな日々が いつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ」 「金の気」を意味する中島美嘉が「君がいると どんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」と歌う時に、その「君」が中島美嘉を意味するような形でほんの少しの間映ります。 その上で、画面が再び「金の気」に戻り、「こんな日々が いつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ」と「金の気」は歌います。 これは金星神が中島美嘉に対して、「君がいると どんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」「こんな日々が いつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ」と語りかけていることを意味しています。 この当時、中島美嘉は金星神と共に真に共に働くことができていました。 それは本当にとてつもなく高いレベルでした。 だからこそ、この『雪の華』という曲も、この録音も、PVもあります。 金星神としては、中島美嘉と共に働くことで人類にとって非常に重要なことを地球に残せていて、地球の「光」を増やすことができていました。 そして、中島美嘉の作品の意味は人類が今後解き明かし、そのことによって「光」が増えていくことも分かっていました。 そういう意味で、「美嘉がいると どんなことでも 乗りきれるような気持ちになってる」「こんな日々が いつまでもきっと 続いてくことを祈っているよ」と思っていた形になります。 ちなみに、金星神は今でも中島美嘉に対して同じようにそう思っています。 しかし、今の中島美嘉は悪魔に襲われ続けたせいで、耳の病気にもなり、心身共にかなりダメージをもらっています。 歌の前に、まずはそれを治療することが必要だと考えています。 そして、自分が何を金星神と共にしてきたのかを知ってほしいと金星神は中島美嘉に対して思っています。 金星神は中島美嘉が生まれてからずっと中島美嘉を強く支え続けてきました。 金星神の中島美嘉に対する想いとは、本当にとてつもなく強いものです。 そういった自分の想いを知ってほしいと金星神は中島美嘉に対して強く思っています。 それは中島美嘉のために、金星神は知ってほしいと思っています。 [金星神について] この歌には金星神のことが強く表現されています。 つまり、金星神は自分自身のことを伝えるために、自分が何をしているのかを伝えるためにも、この歌を創っています。 なぜならば、金星神が何をしているのかを人間が理解すると、人間と金星神はより共に助け合いながら生きていけるからです。 金星神自身をよく表している歌詞が、この歌詞です。 「もし、君を失ったとしたなら 星になって君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」 この「もし、君を失ったとしたなら 星になって」という部分は、この歌の作詞者であるSatomiになんとか星の歌詞を書いてほしいがために使った繋げ言葉になります。 「君を照らすだろう 笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」という言葉は金星神がいつも我々に対して抱いている気持ちであって、行なっていることです。 金星神はいつもこの星の全ての命を見つめ、彼女にできることを全力で行なっています。 そして彼女は「愛」の神であって、「愛」によって我々を支えています。 彼女は「金の気」を地球に降り注いでいて、その中に我々は生きていて、その「金の気」は彼女自身がいつも関与できる「気」です。 ですから、いつも本当に我々の側に金星神はいます。 そういった彼女の行なっていることと、彼女の「愛」の気持ちが「いつもいつでもそばにいるよ」という言葉の意味です。 こういった金星神の気持ちとは、『A MIRACLE FOR YOU』『FIND THE WAY』など、中島美嘉の様々な歌の中で歌われています。 この歌詞は恋人のことを想う気持ちでもあります。 離れ離れになったとしても、永遠にあなたを支えたいという「愛」の歌詞でもあります。 そういった恋人に対する「愛」と重ねて、金星神の心が歌われています。 しかし、この歌詞を通して金星神が本当に伝えたいことは、金星神自身の人間に対する想いです。 そして、この歌詞の後は、この歌の主人公の女の子の心情表現でありながら、金星神自身のことを表現する内容となっています。 そのことを書いていきたいと思います。 「今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす」 これはこの歌の中で唯一全く同じ歌詞が二回使われる部分ですが、金星神の「笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでもそばにいるよ」という我々に対する想いを踏まえて理解するのであれば、一回目と感じ方が異なります。 冒頭のこの「今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間 とき に 幸せがあふれだす」という歌詞はこの女の子の目線で見つめることになります。 それに対して、最後のこの詩は金星神の目線で見つめることもできます。 つまり、冒頭は金星神の「金の気」によって、「愛」を強くしている女の子の気持ち、そして、最後はその女の子の「愛」を支える金星神の行なっていることとして理解することができます。 この歌詞は「導き」を象徴する歌詞です。 人間が「金の気」の宿る「雪の華」を見て、金星神が人間に「愛」を教えるという「導き」を、人間の目線と金星神の目線の両方から伝えるために、全く同じ歌詞が意図的に使われています。 全く同じ内容を冒頭と最後に使うことによって、感じ方を変えるという方法は、神々は好んで行なう方法です。 何故ならば、そのことを通して、重要なことを我々が学ぶことができるからです。 例えば、映画『バベル』では電話をする親子の映像が同じようにして冒頭と最後に使われます。 ・『バベル』について この歌詞の持つ人間の目線と金星神の目線は、金星神と共に歌う中島美嘉が歌っているということによってより強く感じられます。 中島美嘉は人間です。 そして、そこで歌っているのは中島美嘉という人間です。 だからこそ、女の子の心情表現としても感じることができます。 しかし、金星神は中島美嘉と共に歌っています。 だから、金星神の感情も我々は経験でき、金星神の我々に対する想いを我々は感じられます。 この歌は「愛」の「純粋性」を歌っているということは書きましたが、それは金星神自身の魂の個性でもあります。 子供のような「愛」の「純粋性」を抱えていて、その「愛」の「純粋性」によって、地球に生きる全ての命を支えています。 彼女には様々な面がありますが、この子供のような「純粋性」は彼女の個性であるからこそ、この歌を通して人間に伝えたいという彼女の想いがあります。 その次の歌詞は 「甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」 という先程解説を書いた歌詞ですが、これは女の子の気持ちと金星神の目線を掛けて表現しています。 この歌詞は主人公の「愛」の「気付き」という側面を表していますが、そのことについては上で解説を既に書いています。 ここで書きたいのは、金星神自身の気持ちです。 金星神自身も自分の心の「闇」と闘っている一人の魂です。 それは、我々人間の魂と何ら変わりがありません。 彼女も一人の魂であるからこそ、ずっと「闇」と闘っています。 ただ、我々人間よりも圧倒的に高いレベルで「闇」と闘っています。 金星神にとって「甘えとか弱さ」とは、「執着」などです。 彼女は永きに渡ってこの太陽系を支えてきました。 ですから、この太陽系に対する想いとはとてつもなく大きなものです。 しかし、今の現状は非常に厳しく、太陽系に生きる魂達はとても苦しんでいます。 神々は隕石を落とすかどうかをずっと考えている中で太陽系を続けています。 恐竜時代が何故隕石によって終わったかというと、恐竜という種が非常に「闇」に満ちてしまったからです。 このようにして、その星にメインで生きている種が「闇」に満ちると、その魂達のためにその星に隕石を落とし、その魂達を全員別の系に引っ越しさせるということを神々は行ないます。 何故ならば、「闇」に満ちてしまった世界に生きるのは、あまりにも苦しいですし、無意味だからです。 そんな中で神々は何故自分達はまだ太陽系を続けるのだろうか、と苦悩しながら生きることになります。 神々は「愛」に満ちた存在です。 ですから、自分達の系の魂達が苦しむのはおおきな苦悩です。 だから、その魂達のために太陽系を終わらせる方がいいのではないかとも思います。 しかし、自分達の系は続けたいと思います。 何故ならば、その系に対する思い入れが強いからです。 つまり、太陽系に生きる魂達に対する「愛」と太陽系に対する自分の「思い入れ」の間を闘うことになります。 そんな中で、それぞれの魂を「光」に導こうと全力を尽くしています。 神々の苦悩とは我々の苦悩とは異なります。 自分の太陽系に対する「思い入れ」のために、太陽系に生きる魂達を「光」の方に導こうと思うのであれば、これは「闇」です。 なぜならば、「自分のため」に他の魂を利用しているからです。 つまり、自分の「執着」によって、「光」を利用することになります。 こういった部分で神々は自分と闘うことになります。 我々人間に彼らの太陽系に対する想いを理解することはできません。 何十億年もある場所を支えるといことを我々は経験したことがないからです。 その期間が長ければ長い程、それを放棄したくはなく思いますが、だからこそ、神々は「執着」と闘っています。 そのことを踏まえて、金星神のこの「甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」という言葉を理解すると、彼女の太陽系に対する「執着」ではなくて、太陽系に生きる一人一人の魂に対する「愛」から、その魂の一人一人を支えたいと思っている彼女の気持ちを理解することができます。 神々の中には、太陽系に生きる多くの魂のために人間を導こうとする神々もいます。 これだけ太陽系をメチャクチャにしてしまったのは人間です。 人間以外の魂は人間によって苦しめられています。 神々とは太陽系に生きる全ての魂に対して強い「愛」を抱いている魂です。 だからこそ、人間に対して「怒り」を抱えてしまっている神々もいます。 そういった神々は、人間一人一人に対しては「愛」よりも「厳しさ」で向き合うことになります。 一人一人の人間を想うのではなくて、太陽系に生きる多くの魂達を助けるために、一人一人の人間を「光」に寄せようとするスタンスです。 このスタンスは「愛」ではありますが、一人一人の人間に対する「愛」には欠けています。 そして、そういった神々は人間一人一人に対する「愛」が小さいことで自分を責めます。 こういった苦悩を神々は経験しています。 金星神はそういう立場でもなく、純粋に我々全員に対する「愛」で動いています。 これだけ地球を荒らしてしまった人間に対して、そしてその全員に対してそう思えていることは本当にすごいことですし、彼女の偉大さでもあります。 そして、それをこの歌で歌っているのは自分が如何に偉大であるのかを伝えるためではなくて、我々全員を本当に愛しているということを、彼女は純粋に我々に伝えたいからです。 我々のことを大事に想っているからです。 金星神が創った多くの楽曲は、彼女が如何に我々一人一人を大事に想っているのかを伝えるためのものです。 なぜならば、誰かに大事に想われていることを知ると、それぞれの魂は心が救われるからです。 誰からも愛されていないと考えると苦しいです。 しかし、誰かに愛されていると思うと、それは嬉しいことです。 そして、金星神は本当に我々全員を愛しています。 だからこそ、彼女は我々のためにそれを伝えたいと思っていて、こういった歌に自分の気持ちを込めています。 そういった意味が「甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」というこの一行には込められています。 その上で最後の言葉が歌われます。 「この街に降り積もってく 真っ白な雪の華 ふたりの胸にそっと想い出を描くよ これからも君とずっと…」 「雪の華」は金星神が我々に贈る「金の気」のことであって、「ふたりの胸にそっと想い出を描くよ」という言葉の意味は「人間に愛を教えること」を意味しています。 「魂」は心臓に宿っていて、「気」でできています。 ここで「胸にそっと想い出を描く」と歌われているのは、「脳」に「記憶」を残すことではなくて、胸に宿る「魂」に「気」を宿すことを意味しているからです。 我々は自分自身の「意志」で「気」を「魂」に抱えていくことで自分の「魂」を変化させていっています。 つまり、人格を変えていっています。 そして、神々は我々に「金の気」といった「光の気」を受け取ってほしいと思っているが故に、我々に「光の気」を与え続けます。 しかし、我々がその「光の気」に「共感」しない限り、その「光の気」は魂に入りません。 その「共感」という段階が我々の「意志」です。 魂は他の何者によっても作られるものではなくて、我々自身が創っています。 ここで「思い出」ではなくて「想い出」と歌われているのは、単純な「記憶」ではなくて、「想い」の込められた何かを意味しているからです。 それが「金の気」です。 「金の気」にはいつも「想い」が宿っています。 それは金星神の我々に対する「想い」です。 その「想い」こそが「愛」でもあります。 そういった金星神の「想い(愛)」が込められた「金の気」を「雪の華」によって、我々は受け取ることができ、我々が真にその「愛」に「共感」するのであれば、我々の魂に金星神からの「金の気」が入り、我々の「愛」は少し大きくなっていくことになります。 そういった意味が、「真っ白な雪の華 ふたりの胸にそっと想い出を描くよ」という言葉に込められています。 色には意味が決まっていますが、白は「光」、黒は「闇」というルールが基本原則としてあります。 ここで「真っ白」と歌われているのは、「光」を象徴する言葉だからです。 そして、この「これからも君とずっと…」という言葉は、文字通り「これからもずっと、人間に愛を教え続ける」ということを意味しています。 この言葉には強い意味が込められています。 地球に対する思い入れという「執着」の他にも金星神が闘っている「闇」があります。 それは「恐怖」や「不安」です。 核がこれだけ生まれてしまった太陽系はもう手遅れなのかもしれない、という「不安」や「恐怖」と闘いながら、彼女は地球の命を支えています。 「不安」や「恐怖」に捕まるということは何を意味するかというと、人間のことを信じられないことを意味しています。 もし、人間がこれから太陽系をいい方向へ持って行ってくれるであろうと信じられるのであれば、「不安」や「恐怖」に捕まることはなくなります。 しかし、人間を信じられなくなると「希望」を持つことができなくなり、「不安」や「恐怖」に堕ちることになります。 だからこそ、ここで「これからも君とずっと」と金星神が我々に向けて言っていることは、我々のことをまだ信じているということを意味しています。 そして、彼女自身が我々に「愛」を教えることによって、我々を導いていくという決心でもあります。 「闇」に満ちた人間を信じるということは本当に大変なことです。 そして、「闇」に満ちた人間を光へ導くことも非常に大変なことです。 これは我々人間には本当に計り知れない程に大変な心の闘いです。 神々は我々の心をいつも見ています。 我々の多くが「相手のため」の「愛」ではなく、「自分のため」の「欲望」を選んでいることを彼らは知っています。 そういった人間に対して、「まだ『愛』を選べるはず」と信じることは、「楽観」との闘いになります。 「楽観」とは、物事の本質を見ずに、いいかげんな根拠で「大丈夫だろう」と思うことです。 しかし、神々は「楽観」に堕ちてしまっては、人間を「光」に導くことはできません。 なぜならば、いいかげんに我々の心を見るのであれば、我々がどのようにしたら「光」の方に寄ることができるだろうかということを適切に考えられないからです。 そういった「楽観」に堕ちることなく、我々の心の真実を見つめながら、我々を信じなければなりません。 そして、信じた相手に裏切られた時のショックは辛いものです。 彼らは人間を全力で導いています。 しかし、我々はいつもどこかで「闇」に堕ちてしまいます。 彼らは我々を信じるからこそ全力を尽くし、しかし我々のせいで、うまくいかず、そのことによって苦悩し、しかし、この地球に生きる多くの命のために、まだ人間を信じなければならないということをこの地球上で、今この瞬間にも彼らは無数に経験しています。 その闘いは本当に大きなものです。 そして、その中でも自分が人間を「光」に導いていけるということをここで歌っています。 なぜならば、「光」に導けなければいつかこの星は終わってしまいますが、「これからもずっと」という言葉が意味することは「これからもずっと」この星はあるということを意味していて、人間が「光」に寄るということを意味しているからです。 この話は少し難しいのですが、金星神は2012年の12月までの2300年間、「金の気」を降り注ぐことができていませんでした。 星には「光」の時代と「闇」の時代が交互に来るようなルールが元々定められています。 その「光」の時代と「闇」の時代を決定付けるのが、「金の気」の有無です。 この2300年間の間、金星神は基本的に中島美嘉のような金星神と「縁」のある人間にしか、関与ができませんでした。 しかし、2012年12月以降、「金の気」を降り注ぐことができるようになり、彼女はこれからより地球の「愛」を強くしやすい立場にあります。 そういった意味もこの「これからもずっと」という言葉には込められています。 これから「光」の時代を自分が創っていくという彼女の決心です。 金星からの「金の気」が2012年12月より降り注ぎ始めたことについてはここに詳しく書いています。 このことは私だけではなくて、世界中の多くの気功師・シャーマンは言っています。 ・2012年12月より金星の気が降り注ぎ始めたことについて ですから、本当はこの曲ができた当時は金星からの「金の気」は「雪」には宿っていませんでした。 この曲は2012年12月以降の地球のために創られた楽曲であって、これからの時代のために金星神が用意した歌です。 2012年12月より、金星からの「金の気」は日本に降り注いでいます。 ですから、我々日本人全員は金星神と共に生きています。 しかし、「縁」で繋がっている中島美嘉と金星神の関係性とは、とても強いものです。 金星神はずっと中島美嘉を全力で支えていて、中島美嘉は金星神と共に本当に頑張ってきました。 そんな二人が共に、この歌を歌うことは、とても美しいことであって、月日が流れる中でその意味も変わってくるものだと思います。 そして、人間が大事なことを思い出していく中で、この歌の聴き方も変わってくるのだと思います。 [『雪の華』がこれからの人類の「聖典」であるべきことについて] ここまでの解説が本当に理解できた方には分かると思いますが、この『雪の華』という曲も歌もPVもとてつもない程に重要なメッセージを持っています。 金星神はその全てのメッセージを前もって用意し、そのメッセージが込められるように計算して、この歌やPVを創り、中島美嘉と共に歌っています。 この歌もPVも、今後何百年も何千年も何万年も地球に残っていきます。 人間が創った録音技術や映像技術はこのようなことを可能にしました。 金星神としては、この曲を今どのように思っているかというと、これから人間が引き継いでいくべき「聖典」だと思っていますし、私もそう思っています。 我々はいつもイメージに縛られています。 だから、中島美嘉の歌やPVが「聖典」であるわけがないと思ってしまいます。 「聖典」は今までは文章でした。 何故ならば、今までは文章しか保存する方法が無かったからです。 しかし、今は録音や映像や写真があります。 そして、こういった録音や映像や写真とは、神々が人間に奇跡を起こしているその瞬間を保存することを可能にしています。 そして、この『雪の華』の録音も映像も、その奇跡の瞬間に他なりません。 中島美嘉は神々と人間の仲介を「歌」によって行なう立場の人間。 武藤監督は神々と人間の仲介を「映像」によって行なう立場の人間。 私は神々と人間の仲介を「言葉」などによって行なう立場の人間。 という風に理解して頂ければ、と思います。 中島美嘉がいなければ、金星神の歌を我々は聴くことはできません。 そして、武藤監督がいることによって、中島美嘉の歌の持つ意味をより我々は理解できます。 そして、私がそれらのことが持つ意味を説明することで、言語として我々は大事なことに「気付き」を得ていくことができます。 こういった立場の異なる役割を持つ人間が活躍し、協力関係を結ぶことで、我々は神々と真に共に生きることができ、より素晴らしい世界を創っていくことができます。 神々は人間と共に「聖典」としての多くの芸術作品を既に多く創ってきました。 それはクリストファー・ノーランや宮崎駿や小津安二郎の映画などでもあります。 そして、そういった「聖典」の中の1つの重要な歌が『雪の華』です。 中島美嘉の様々な楽曲とは、このような「聖典」としての意味を強く持っています。 そして、彼女の人生全体が「聖典」としての意味を持っています。 そういった中島美嘉に関することをこれからもこのホームページには書いていきたいと思っていますし、それを真に理解することによって、我々は大事なことに「気付き」を得て頂ければ、と思っています。 『雪の華』の購入方法 中島美嘉のこの『雪の華』の録音やPVは以下のリンクのいずれかから買えるので買ってみて下さい。 『LOVE』には重要な楽曲が多く入っています。 ベストアルバムは2005年のものと2014年のものがありますが、この二つはかなり重複しています。 あと、2014年のベストアルバムは二枚あり、もう1つは『DEARS(ALL SINGLES BEST)』になります。 『DEARS』も『TEARS』も重要な楽曲は多く入っています。 2014年までの全てのシングルを聴いてみたい方は『DEARS』『TEARS』の両方を買ってみて頂ければ、と思います。 『雪の華』は入っていませんが、『DEARS』はこちらです。 私はソニーミュージックの回し者でもなく、個人的なファン精神といったことから薦めているわけでもありません。 シャーマンの目線から、人類にとってどの作品が重要かという観点で薦めています。 人間が大事なことに気付いていくと共に、これらの作品は人々が再び手に入れるようになってほしいと願っています。 私としてはこれらの作品の持つ意味をこれからも書いていきます。 私の解説とセットでこれらの作品を鑑賞する中で、神々が我々に伝えたい様々な重要なメッセージを受け取って頂ければ、と思っています。

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