ぜん ね ず。 とろとろ卵がゆ 居酒屋ぜんや (ハルキ文庫 さ)

禅(ぜん)とは

ぜん ね ず

また(座禅)の略としての意もある。 本項では宗派についての禅宗について述べる。 禅宗は出身でに渡った僧(ボーディダルマ)を祖とし、(座禅)を基本的な形態とする。 ただし、坐禅そのものは古くからの基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは、中国の末期からである。 こうして宗派として確立されると、その起源を求める声が高まり、遡って初祖とされたのが達磨である。 それ故、歴史上の達磨による、直接的な著作は存在が認められていない。 伝承上の達磨のもたらしたとする禅は、における禅とは異なり、了義 大乗の禅である。 中国禅は、からにかけて発展し、征服王朝であるにおいても勢力は健在だったが、の時代に入ると衰退していった。 に純粋な禅宗が伝えられたのは、の初め頃であり、にの庇護の下での一つとして発展した。 以降は、により日本の禅が、世界に伝えられた。 日本においては、坐禅修行を主とする仏教宗派が「禅宗」と総称されることが多い。 これに対して、14派とからなる臨済宗黄檗宗連合各派合議所と、宗務庁は2019年、中学校の歴史教科書について、個々の宗派名を書かず「禅宗」と一括りにする記述を改めるよう申し入れた。 他に駄衍那(だえんな)・持阿(じあな)の音写もある。 他の訳に、思惟修(しゆいしゅう)・静慮(じょうりょ)・棄悪 ・功徳叢林 ・念修。 禅の字は元来、天や山川を祀る、転じて、が位を譲る()という意味であった。 これに「心の働きを集中させる」という語釈を与えて禅となし、「心を静かにして動揺させない」という語釈を与えて定とし、とする語義が作られた。 禅那 [ ] 仏教 同色は両者に存在する項目 詳細は「」を参照 の著書『』には、禅の根元はにあるとし、仏性を悟るのが智慧であり、智慧を修するのが定であり、禅那はこれを併せていうとある。 また、達磨が伝えた宗旨のみが真実の禅那に相応するから禅宗と名付けた、ともある。 禅あるいはという概念は、インドにその起源を持ち、それが指す体験は、仏教が成立した時から重要な意義が与えられていた。 ゴータマ・シッダッタ()も禅定によってを開いたとされ、部派仏教においてはの戒・定・慧の一つとして、また、大乗仏教においては(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の一つとして、仏道修行に欠かせないものと考えられてきた。 禅那と瞑想 [ ] 禅那を現代語で俗に和訳するととなる。 ちなみに yoga も意訳すれば瞑想とされるが、本来は心を調御して統一に導くことをいう。 瞑想は動作を言葉で説明する事ができるが、禅は不立文字(後述)を強調するため、瞑想と禅は区別される。 坐禅を組むこと。 あるいは参禅すること。 禅那は、仏性の存在を前提に坐禅することをいう。 そのため坐禅と同じ姿勢でも仏性を前提としないものは禅那とは言えず、単なる瞑想であるとして区別する。 不立文字 [ ] 詳細は「」および「」を参照 五祖弘忍には、弟子筆頭の( - )、その弟弟子の( - )という優れた2人がいた。 神秀は修行を通じて徐々に悟得する「漸悟」を規範としたのに対して、慧能は一足飛びに悟得する「頓悟」 を旨とする違いはあったが、ともに禅宗の布教に尽力した。 やがて神秀はに招かれ洛陽へ入って破格の待遇を受け、神秀の死後も一派は代帝室や官人の庇護と支持を得た。 すると慧能の弟子の( - )が、神秀の教義を「」と呼んで批判したため、東山法門派は北宗と、彼らのに分裂してしまう。 しかし南宗は支持を得ることができず一時はから追放されてしまうが、755年に始まるに際し売牒(を売る制度)を進言しての信頼を得ると、洛陽への復活を果たして徐々に信心を集め始め、神秀に代わり慧能を六祖に定めた。 神会は洛陽の荷沢寺に拠点を置いたため、南宗はとも呼ばれたが、762年に神会が没すると求心力を失った。 845年(会昌5年)、によるで徹底した弾圧を受け、洛陽内の南北宗は廃絶してしまう。 しかし、南宗の法嗣を受けた多くの禅僧たちが翌年の武帝の死後も活躍し、唐代から宋代にかけて後にと呼ばれるまでに隆盛した。 現在に伝わる全ての禅宗はここから派生したとされている。 なお、()で行われたインド仏教と中国仏教の宗論であるにおいて、(蓮華戒)等と対峙した中国禅僧・は、北宗の者であったと言われている。 また、神秀の弟子であったの弟子によって、北宗はへも伝えられている。 六祖壇経と禅の隆盛 [ ] 『(六祖壇経)』は、神会が六祖慧能を掲げて説いた新しい坐禅と禅定の定義とされる。 これを元に後の中国禅宗は確立・発展した。 師衆に示して云く、 「善知識よ、何をか名づけて坐禅とするや。 此の法門中は、無障無礙なり。 外に一切の善悪の境界に於て、心念が起こらざるを名づけて坐と為し、内に自性を見て動ぜざるを名づけて禅と為す。 善知識よ、何をか名づけて禅定とするや。 外に相を離るるを禅と為し、内に乱れざるを定と為す。 外に若し相著れれば、内に心即ち乱れ、外に若し相を離れれば、心即ち乱れず、本性は自浄・自定なり。 只だ境を見、境を思えば即ち乱るると為す。 若し諸境を見て心乱れざれば、是れ真の定なり。 善知識よ、外に相を離るる即ち禅、内に乱れざる即ち定なり。 外に禅、内に定なり。 是れ禅定と為す。 菩薩戒経に云く『我れ本元自性清浄なり』 善知識よ、念ずるとき念中に、自ら本性清浄なるを見、自ら修し、自ら行じ、自ら成ずるが仏道なり。 — 『六祖壇経』坐禅第五 さらに『』に載せる、慧能の弟子の( - )とさらにその弟子の( - )の逸話によって坐禅に対する禅宗の姿勢が明らかとなる。 開元中に沙門道一有りて伝法院に住し常日坐禅す。 師是れ法器なるを知り、往きて問う、曰く「大徳、坐禅して什麼(いんも、何)をか図る」 一(道一)曰く「仏と作るを図る」 師乃ち一磚(かわら)を取りて彼の庵前の石上に於て磨く。 一曰く「師、什麼をか作す」 師曰く「磨きて鏡と作す」 一曰く「磚を磨きて豈(あに)鏡と成るを得んや」 「坐禅して豈仏と成るを得んや」 一曰く「如何が即ち是れなる」 師曰く「人の駕車行かざる(とき)の如し。 車を打つ即ち是れ、牛を打つ即ち是れ」 一、対無し。 師又曰く「汝坐禅を学ぶは、坐仏を学ぶを為すや。 若しは坐禅を学べば、禅は坐臥に非ず。 若しは坐仏を学べば、仏は定相に非ず。 無住の法に於て、取捨に応ぜず。 汝若しは坐仏、即ち是れ仏を殺し、若しは坐相に執さば、其の理に達するに非ず」 一、示誨(じかい、教え)を聞きて、醍醐を飲む如し。 — 『 景德傳燈錄』巻第五 この部分に中国禅宗の要諦が尽されているが、伝統的な仏教の瞑想から大きく飛躍していることがわかる。 また一方に、禅宗は釈迦一代の教説を誹謗するものだ、と非難するものがいるのも無理ないことである。 しかし、これはあくまでもの実践を思想以前の根本から追究した真摯な仏教であり、唐代から宋代にかけて禅宗が興隆を極めたのも事実である。 ではを開祖とするとの交流が多かったと思われ、老子の教えと中国禅の共通点は多い。 を中心としたそれまでの中国の仏教に対して、知識と瞑想による漸悟でなく、頓悟を目標とした仏教として禅は中国で大きな発展を見た。 また、禅宗ではの伝達である「伝灯」が重んじられ、師匠から弟子へと法が嗣がれて行った。 やがて、代になると、法眼文益が提唱した五家の観念が一般化して五家(五宗)が成立した。 さらに、臨済宗中から、黄龍派と楊岐派の勢力が伸長し、五家と肩を並べるまでになり、この二派を含めて(ごけしちしゅう)という概念が生まれた。 さらに禅は、もはや禅僧のみの占有物ではなかった。 禅本来のもつ能動性により、社会との交渉を積極的にはたらきかけた。 よって、教団の枠組みを超え、・といったや、などの文学、によるや庭園造立などの美術などの、様々な文化的な事象に広範な影響を与えた。 慧能以降の法嗣 [ ] 慧能以降の主なの系統は、以下の通り。 太字は。 (六祖、曹渓宝林寺・)• (不詳 - 、禅の二大祖師)- (石頭宗)• 薬山惟儼 - 雲巌曇晟 - ( - 、 開祖)• 天皇道悟 - 龍潭崇信 - - -• - 羅漢桂琛 - 清涼文益( - 、 開祖)• ( - 、 開祖)• ( - 、禅の二大祖師) - () -• - (生年不詳 - 、 開祖)-• 三聖慧然• 興化存奨 - 南院慧顒 - 風穴延沼 - 首山省念 -• 汾陽善昭 -• 石霜楚円 -• 楊岐方会( 楊岐派)• 黄龍慧南( 黄龍派)• 瑯琊慧覚• 広慧元璉• 石門蘊聡• ( - ) - ( - 、潙山とともに 開祖)• (開祖) 五家七宗 [ ] 臨済宗・潙仰宗・雲門宗・曹洞宗・法眼宗を五家 、禅宗五家と呼称し、臨済宗から分れた黄龍派と楊岐派を合わせて七宗と呼称する。 それらを併称して五家七宗 (ごけしちしゅう)と呼称する。 臨済宗 [ ] 詳細は「」を参照 晩のを宗祖とするが、唐末においては、華北に地盤を置いた臨済宗は、義玄の門弟三聖慧然、興化存奨以後、その宗風はさほど振るわなかった。 存奨系統の南院慧顒、風穴延沼らが一部でその法統を継承するに過ぎなかった。 代になって、延沼の弟子の首山省念門下の汾陽善昭、広慧元璉、石門蘊聡といった禅匠が輩出して、一気に宗風が振るうようになった。 善昭門下に石霜楚円、瑯琊慧覚が出、楚円門下からは 楊岐派の楊岐方会、 黄龍派の黄龍慧南が出て、その一門が中国全土を制覇することとなった。 の高峰原妙は、その宗風を「痛快」という言葉で表現している。 黄龍派 [ ] 宋代の中期以降に、慧南の系統が勢力を伸長し、楊岐派と共に、五家と肩を並べるまでになった。 慧南の門下から晦堂祖心、東林常聡、真浄克文が輩出し、祖心の弟子の死心悟新、霊源惟清が、克文の下からは兜率従悦、覚範慧洪らが出て活躍し、当初は、より盛んであった楊岐派よりも優勢になった。 楊岐派 [ ] 黄龍派と同様に方会の系統が勢力を伸ばし、七宗の一に数えられるまでになった。 白雲守端の門下に五祖法演が出て、その門弟より、、仏鑑慧懃、仏眼清遠という、三仏と称される禅匠が現われた。 になっても、その勢いはとどまらず、克勤の門弟子、は多数の門弟を集め、大慧派を形成した。 その他、虎丘紹隆の虎丘派、を出した松源派、を出した破庵派なども活躍した。 潙仰宗 [ ] 詳細は「」を参照 晩のを祖とする。 良价、曹山本寂の系統は、のやに宗勢を張ったが、全体的には余り宗勢は振るわなかった。 本寂門下の曹山慧霞、雲居道膺門下の同安道丕、疎山匡仁門下の護国守澄、青林師虔門下の石門献蘊らの活躍が見られる程度である。 代になっても、余り宗勢は振るわなかったが、投子義青が出て中興を果たした。 その宗風は、芙蓉道楷、丹霞子淳に継承された。 道楷は、皇帝からの紫衣と師号の下賜を拒絶して、淄州()に流罪となり、災い転じて福となり、それが華北に曹洞宗が拡大する契機となった。 代には、子淳の下から、真歇清了が出て、「」と呼ばれる宗風を維持したが、その宗勢は、臨済宗には遠く及ばなかった。 なお、清了門下のが、入宋した道元の師である。 正覚の門下からは、『六牛図』を著した自得慧暉が出た。 慧暉の系統が、その後の曹洞宗を支えることとなった。 河北に教勢を張った鹿門自覚の系統からは、代になって、万松行秀が出現し、大いに教化を振るうこととなる。 行秀は、林泉従倫や、らの多くの優れた門弟子を育て、の尊崇を受けた。 福裕は、朝において、のの道士、李志常と論争して勝利を収め、に住して教勢を張った。 以後、少林寺は、華北における曹洞宗の本拠となり、の後半には、「曹洞正宗」を名乗ることとなった。 元の高峰原妙は、その特色を、「細密」という言葉で表現している。 法眼宗 [ ] 詳細は「」を参照 五家の観念の初源となった『宗門十規論』を著した法眼文益を祖とする。 では、国王の銭氏一族が、永明道潜、、らの法眼宗に属する僧らを保護したため、において、その宗勢が振るった。 宋代になると、徳韶、延寿の系統は衰退した。 代わって、清涼泰欽や帰宗義柔の系統が、その主となった。 泰欽門下からは、雲居道斉、霊隠文勝の師弟が出て活躍したが、次第に衰退に向かい、ついに北宋末には、その系統は断絶してしまった。 元の高峰原妙は、その宗風を、「詳明」という言葉で表現している。 日本の禅の歴史 [ ] には、公式には()に伝えられたとされる。 また、日本の宗祖の師でのは中国北宗の流れを汲んでいる。 臨済・曹洞の禅はとして広がった。 の流れは中国のに渡ったが日本に請来したことから始まる。 もが中国に渡り中国で印可を得て日本に帰国することに始まるが、それ以前にがで 日本達磨宗 を開いていた事が知られる。 曹洞宗の懐鑑、らは元達磨宗の僧侶であった。 鎌倉時代以後、やなどを中心にの一つとして広まり、各地に 禅寺(禅宗寺院・禅林)が建てられるようになったのに加え、やのように禅僧による文化芸術活動が盛んに行われた。 中国から日本に伝わる禅の宗派に25の流れがあり、臨済宗から独立した黄檗宗を含めると47流になるとされる。 一方で、(前期)にに招かれての禅僧・が来日し、で禅の講義が行われたものの、当時の日本における禅への関心の低さに失望して数年で唐へ帰国したとする記録も存在する。 日本禅宗25流• 曹洞宗• 道元派 入宋僧 1223年入宋しの禅を伝灯• 東明派 来日僧 1309年来日し直翁徳挙の禅を伝灯• 東陵派 来日僧 東陵永璵 1351年来日• 臨済宗• 黄龍派• 千光派 入宋僧 1187年入宋し虚庵懐敞の禅を伝灯• 楊岐派• 聖一派 入宋僧 1235年入宋しの禅を伝灯• 大覚派 来日僧 1246年来日し無明慧性の禅を伝灯• 法澄派 入宋僧 1249年入宋し無門慧開の禅を伝灯• 法海派 入宋僧 無象静照 1252年入宋し石渓心月の禅を伝灯• 大応派 入宋僧 1259年入宋しの禅を伝灯• 兀庵派 来日僧 1260年来日しの禅を伝灯• 大休派 来日僧 1269年来日し石渓心月の禅を伝灯• 西礀派 来日僧 西礀子曇 1271年来日し石帆惟衍の禅を伝灯• 無学派 来日僧 1279年来日しの禅を伝灯• 鏡堂派 来日僧 鏡堂覚円 1279年来日し環渓惟一の禅を伝灯• 一山派 来日僧 1299年来日し頑極行弥の禅を伝灯• 古先派 入元僧 1318年入元しの禅を伝灯• 仏慧派 来日僧 霊山道隠 1319年来日し雪巌祖欽の禅を伝灯• 中巌派 入元僧 1325年入元し東陽徳輝の禅を伝灯• 清拙派 来日僧 1326年来日し愚極智慧の禅を伝灯• 明極派 来日僧 1329年来日し虎巌浄伏の禅を伝灯• 竺仙派 来日僧 1329年来日しの禅を伝灯• 愚中派 入元僧 1341年入元し即休契了の禅を伝灯• 大拙派 入元僧 1344年入元し千巌元長の禅を伝灯• 別伝派 来日僧 別伝明胤 来日し虚谷希陵の禅を伝灯• 黄檗派 来日僧 来日しの禅を伝灯 臨済宗 [ ] 詳細は「」を参照 唐の 臨済義玄を宗祖とする。 日本では中国から臨済禅を伝えたに始まり、その後何人かの祖師たちが中国からそれぞれの時代のを日本に伝えたため分派は多い。 現在の日本の臨済宗は禅といわれ、江戸時代にがまとめたスタイルである。 とは、裁判の公判記録のことであるが、転じて禅語録として伝えられる祖師たちの対話をいうようになった。 それぞれの判例を一則、二則と数える。 その対話を知ることによりを知ろうとする。 公案は論理的な思考によって理解する事ができない内容が多い。 臨済宗のなかでは、派が最大である。 江戸時代、宗学が発達し、( - )が現われ、諸本を校訂し、綿密を究めた手法を確立し、膨大な著述を残した。 その著書は、近現代においても研究上の価値を失わない水準を有しており、影印版が実用書として出版されている。 曹洞宗 [ ] 詳細は「」を参照 以下は曹洞宗の法系の一例である。 -(中略)----薬山惟儼-雲巌曇晟--雲居道膺-同安道丕-同安観志-梁山縁観-大陽警玄-投子義青-芙蓉道楷-丹霞子淳-真歇清了-天童宗玨-雪竇智鑑-- ----... 六祖曹渓とから曹洞宗とした。 日本では中国に渡り印可を得てに帰国したから始まる。 帰国の翌年には普勧坐禅儀を著し、只管打坐を専らとする宗風を鼓舞した。 その修行内容は「永平」を厳しく守り、一時的な見性に満足してしまうことや坐禅の他にを求めることを良しとせず、只管に坐禅を勤めることに特色がある。 道元は自分の教えは「正伝の仏法」であるとして党派性を否定し、禅宗と呼ばれることも嫌った。 初期は在家への布教にも熱心であったが、晩年は第一主義の立場を取った(『』十二巻本参照)。 その後、総持寺開山の時代に、坐禅だけではなく、徐々に儀式やの考え方も取り入れられ、一般民衆に対し全国的で急速な拡大をした。 曹洞宗の坐禅は公案に拠らず、ただ、ひたすら坐る(只管打坐)ことが、そのまま本来の自己を現じている(修証不二)としているが、公案そのものを否定しているわけではない。 また、法系によっては公案を用いる流れも存在する。 普化宗 [ ] 詳細は「」を参照 ()に、明から招かれた中国臨済宗の禅師により始まる。 当初「 臨済真宗」を標榜しようとしたが幕府の許可が得られず、臨済の師の名を取り 臨済宗黄檗派と称した。 風の禅とが一体化した禅浄混淆禅 分かり易く「念仏禅」とも称される。 を特徴とし、読経が楽器を伴う明風のであることで知られる。 また、にに設けられたをはじめ、各地で授戒会を開いたことで、江戸時代の復興運動に影響を与えた。 江戸時代を通じて一宗として見做されることなく、臨済宗の一派で終始した。 黄檗宗を名乗り、臨済宗から独立を果たしたのは、後ののことであり、明治以後に禅宗中の一宗となった。 日本の禅の教義 [ ] 中国で成立した禅宗は、本質的に教義を否定する傾向があったが、の影響の大きい、日本の多くの禅の宗派は、教義を展開する。 この節では、現代日本に於ける禅宗の姿を鳥瞰する。 全ての人が例外なく自分自身の内面に本来備えている を再発見するために、坐禅と呼ぶの修行を継続する中で、仏教的真理に直に接する体験を経ることを手段とし、その経験に基づいて新たな価値観を開拓することを目指す。 そうして得たから連想されるを以て、生滅のを明らかにし、次いで因縁を滅ぼして苦しみのをしてに至り 、その後に一切のを導くことを目的とする。 そのためが修行者に面と向かって、臨機応変に指導する以外には、言葉を使わずに直に本性を指し示す道 であるとされる。 主な修行形態として坐禅を採用するのは、達磨大師が坐禅の法を伝えたとする以外にも、古来より多くの諸仏が坐禅によって悟りを開いてきたからであるとされる。 最近は、坐禅によって神経が活性化され鍛えられることや、通常とは異なる独特なが発生することが、精神的安定や心身の健康の一因であるという生理学教授 もいる。 ただし、自分も根本的には仏祖と同一であるという境地に到達した者には、一切の行動にことごとく仏道が含まれているという価値観が生じるため、坐禅に限らず念仏や読経も行うようになる。 禅宗においては、そもそも禅宗とは何かといった、な問いかけを嫌う傾向にある。 そのような疑問の答えは、坐禅修行によって得た悟りを通して、各々が自覚する事が最上であるとされ、もし人からこういうものだと教わりうる性質のものであるならば、それは既に意識が自身の内奥ではなく外へ向かっているため、内面の本性に立ち返るという禅宗の本意に反するとされるからである。 もう一つの理由として、概念の固定化や分別を、わがままな解釈に基づく「とらわれ」「」であるとして避けるためであり、坐禅修行によってとらわれを離れた自由な境地に達して後に、そこから改めて分別することをとらわれなき分別として奨励するからである。 文字や言葉で教えることを避けて坐禅を勧める理由として、世尊、微笑 における以心伝心の故事を深く信奉しているという以外にも、自分の内奥が仏であることを忘れて、経典や他人の中に仏を捜しまわることが、かえって仏道成就の妨げになるからであると説く。 和尚が、たとえて言うには「水のことを説明しても実際には濡れないし、火をうまく説明しても実際には熱くならない。 本当の水、本物の火に直に触ってみなければはっきりと悟ることができないのと同様。 食べ物を説明しても空腹がなおらないのと同様」で、実際に自身の内なる仏に覚醒する体験の重要性を説明し、その体験は言葉や文字を理解することでは得られない次元にあると説き、その次元には坐禅によって禅定の境地を高めていくことで、到達できる とする。 禅宗の坐禅における禅定の種類 [ ] 栄西は『』で『楞伽経』を引いて坐禅は四種類あると説いている。 愚夫所行禅 凡夫・外道 が、単に心をカラにして分別を生じないのを禅定だと思っている境地。 達磨大師は、内心に悶えることなく外に求めることもないこの境地が壁のように 動かなくなれば、そこではじめて仏道に入ることができると説く。 観察相義禅 小乗・三賢の菩薩が、教わった仏法を観察し思惟する境地。 しかし、いまだ仏法・涅槃を求める強い欲心があるがために悟りを開けないでいる。 人々がいつまでも苦しみの輪廻を逃れられないのは、このように我が身にとらわれて自分さえよければと欲求することが、結果的に罪業 を作る結果となるからである。 国師は、もし自分を忘れ一切の欲を投げ捨てて利他心を起こせば、すぐさま仏性が発揮されて、生き仏になることができると説く。 攀縁如実禅 大乗の菩薩が、を覚って三業 を忘れ、有るでもなしでもなしと達観する境地。 生きとし生けるものすべての生滅の苦しみに同情し、苦しみを抜いて楽を与えるべく苦慮しており、その姿勢にはもはや自他の区別がない。 しかし衆生を救う願があるがために如来清浄禅に入ることができない。 如来清浄禅 如来と同じ境地に入り、みずから覚って聖なる智慧が現れたすがた。 禅宗で、坐禅によって本分の田地、本来の仏性に知らず知らずに立ち返るというのは、前記の二禅を飛び越え、愚夫所行禅から直にこの位に達することを意味する。 それゆえもも枝葉末節であるとされる。 また、愚夫所行禅から如来清浄禅に至るまでの上達の様子については『禅師仮字法語』に詳しい。 方便 [ ] 法輪。 日本の禅では、仏祖・禅師の本意ではないものの、本意を伝える手段となりうるという意味で方便という。 またいかにすれば仏性を発現できるかを模索する、柔軟な心構えをいう。 教宗の学、真言宗の三密、律宗の戒律のようなものである。 只管打坐(しかんたざ) ただひたすらに坐禅を実践せよの意味。 ひたすらとは禅定の深さを表現した言葉である。 意識を捨てて無意識下において坐禅する 、坐禅そのものになりきることを意味する。 いま坐禅している自分がいる、という自覚すら忘れてしまうほどに、坐禅という行為そのものに没頭する(坐忘)。 この手法によって初心者でも、より深い禅定の境地を、容易に体験可能であるとされる。 ただ、禅宗は臨機応変であり、大乗仏教はあらゆる道に仏道が含まれていると考えるので、坐禅以外のことはしてはならないということはないが、このようなことは初心者には理解が及ばず、そのために初心者向けの方便として只管打坐 ・修証一如 こそが禅宗の極意であるということが言われる。 坐禅の境地には上下なく、坐禅すれば等しく仏であるという喝も、只管打坐を奨励する一種の暗喩的方便である。 ただし今世で悟りを開けずとも、坐禅の功徳によって来世では悟りを開く事ができるとされるため、坐禅をすればそのままただちに仏である(坐禅しなければいつまでも仏にはなれない)という意味通りの解釈も間違いではない。 仏道成就の早い遅いについて達磨いわく、心がすでに道である者は早く、志を発して順々に修行を重ねる人は遅く、両者には百千万劫もの時間差があるという。 深く正しく坐禅する者は早く、しなければ遅いという意味の一連の喝は、学習よりも坐禅の実践を強調する表現手法である。 公案禅(こうあんぜん) 達磨大師が西から旅をして来た理由は、国外の仏教の衰えを憂えて、悟るために重要なものが坐禅の実践であり、経典の学習ではないことを宣教するためであるとされる。 しかし、ひとまず思考・議論・学習を止めよと教えても、なぜ止めねばならないかについて思考・議論・学習を始めてしまうような思考癖のある修行者にとって、只管打坐は至難の方法となる。 そのような修行者は、いかなる経典を学ぶとも、悟りというものの共感が得られないために、想像をふくらませて解釈しようとする。 無理な想像は妄想となって理解に歪みを生じ、自ら生み出した曲解に妨げられてますます悟りから遠のくという事態は、昔から多くの師家を悩ませてきた。 経典を学ぶにしても、学び手に必要なものはまず悟りの体験である。 悟りというものは自分の心で自分の心を確認し、自分の心で自分の心を理解するものである。 他人に頼って何かを明らかにするとか、自分以外の何かを利用して体得するようなものではない。 従って、悟るためには何よりもまず坐禅の実践によって自分自身と向き合うことが肝要である。 こうした問題意識から、思考癖のある聡い修行者に坐禅を実践させるために、禅師たちが考え出した方法が公案禅である。 修行者に公案を与え、行住坐臥つねに公案の答えを考えさせるのである。 公案は直に悟りの境地を指し示したものであり、ひらめきと一体化した言い表せない感情的なものである。 心がけがよくなく、このままではまちがった方向に進むおそれのある修行者 に対して、師家が薬のような意味合いで修行者に授ける。 内容は、昔の高僧の言葉を使うこともあれば、即興で作られることもある。 公案を与えられた修行者は、その言葉がどのような本意から創造されたかを正しく悟って、師家の前で心を以て回答することを要求される。 公案の多くが自己矛盾的文体を為しており、そのまま意味を理解しようとしても論理的に破綻する場合が多い。 公案の答えは常識的な思考の届かないところにあり、自己を消し去ることで矛盾を解消したり、矛盾を止揚して高次の段階で統一したものである場合が多い。 そういった答えに至る過程に禅の極意が含まれているとし、修行者を正しい悟りに導くための工夫の一つとされる。 ただし、このような学習を捨てて坐禅させるという方法は、師家の善良な監督下にあって庇護を受けることができる出家の僧侶に向けたものであり、在家の信者は坐禅と学習の両方を行う必要があるとされる。 禅の修行が厳しく、師家のほうでも敢えて禅人を苦しめるのは、富貴で安穏であれば仏道を求めることが困難だからである。 釈迦が王位に就いて姫と歓楽に耽り、国中の財産を集めた贅沢三昧の生活を、自ら捨てて出家して六年間の苦行をしたのも、このような理由であるとされる。 不意に病にかかり、気を失って死んだ方がましだと思うような病苦の中にあるときこそ必死に坐禅すれば、またとない大悟の機会となる。 たとえ大悟を得られなくとも、その時の苦しみを思い返せば多少の生活の苦しみは取るに足りなくなる。 また、無始無終の生死の迷いを打破し、如来の悟りに徹底するような、めでたい事は少しばかりの艱難辛苦なしには、得られるものではないという覚悟が、必要であるとされる。 とはいえ参禅が限度を超えて神経衰弱の苦しみにある修行者を見かねた禅師が、その治療方法としての内観の秘法を伝授した。 神経衰弱から来る禅病を直すための心身の休養方法であり、心身がもとより空虚なものであることを体験するために、24時間の睡眠と禅宗的なイメージトレーニングと数息観と丹田呼吸を行う。 二入四行 達磨が伝えたとされる二つの真理への至り方と、四つの実践方法。 悟りに至る方法は数多くあるが、それらはすべてこの二つに要約されるとする。 霊魂(精神の永遠性、小我)の否定 [ ] 禅宗(特には臨済宗)では肉体と精神とは同一のものと考え、区別をしない。 肉体があるから精神もありうるのであり、精神があるというならばそこには発生原因として肉体がなければならない。 そのような意味で、肉体がそのまま精神であり、精神は肉体である。 もし死体を見て、肉体は滅んだが精神はどこかへ移動して不滅のまま残っていると考えるならば、これは大乗仏教ではない。 霊魂の存在を認めると生と死に関する深い執着が発生するため、仏道成就を阻害するとされる。 禅宗では、心というものは刻一刻と変化しており、これこそ我が心であるといえるような一定の形態を持たないと考える。 したがってこの心は実は幻の心である。 この点では肉体についても同様のことが言え、肉体だと思っているものは実は物質が縁によって和合して仮に人間のすがたが現れたものにすぎず、縁が滅ぶ時には元通りバラバラになるためまったく実体がない。 したがって心身はもとより一つの幻である。 幻だから、生きたり死んだりするものではない。 生きたり死んだりしないから、常住不滅である。 もし悟った禅僧が、心身はであり肉体も精神も不滅であるというならば、これは仏性を直指した奥の深い説法であるといえる(: 諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽)。 日中の禅宗比較 [ ] は『日本人の思惟方法』において、民族性からくる思惟傾向に応じた日本と中国の仏教の性質の相違について考察し、禅宗においても日本と中国とでは教義が同一でなく、中国人の思惟方法が非論理的かつ苛酷残忍であることを反映するかたちで、中国の禅宗も隠遁的・独善的であるのに対し、日本人の思惟方法が寛容と愛情を強調することを反映するかたちで、日本の禅宗も宥和的・慈悲的なものへと変化しているのだという。 中村は日本人の思惟の特徴に性があるとして、これを反映して日本の禅宗は宥和的・的なものへと変化しており、日本人は国内においてもそれはそれでゆゆしき宗派であるとして敬意を払いながらも、ただ自分は別の道を行くというだけであって、でいうのように論理的に争おうとはしなかった、と主張した。 日本の仏教は諸宗派がそれぞれの特徴を保持したまま今日まで維持発展しており、禅宗においてもこれは同様であるが、宗教法人制度が確立される明治初期頃までは禅宗内で臨済曹洞の宗を超えて他派の修行道場で指導者に師事する「遍参」という修行習慣が残っていた。 一方、後の中国では禅宗(とりわけ臨済宗)を称するものが多数派、内容的には念仏禅が主流となり、の宗教弾圧後の復興を経た現在の中国大陸においては、の史跡を中心とするの寺院が都心部などで散見されるほかは、的要素が混淆した禅宗が一様化して残るのみとなった。 結果として、二種類の中国禅や日本禅の古法の一部を継承する台湾や香港、華厳禅()の韓国を除けば、今日の中国大陸では日本にあるような主義的な諸宗派の伝統はほぼ消失している。 世界の禅 [ ] 禅者でもある仏教学者のによってに日本から、へと禅が紹介された。 更にはを開創したによる や、によってヨーロッパでの布教により、日本語の発音による Zen が世界的に広まり、臨済宗、曹洞宗共にアメリカやヨーロッパにを構えている。 でも習慣で元々が存在していたため、一部で取り入れられている。 近年において [ ] 現在 [ ]、ではセクト(カルト)に関する報告書政府文書により禅が浄土真宗や上座部仏教と同時に(カルト)の一つとして分類されている。 1997年に、、に続き、セクト(カルト)に対する政策を作るためベルギー代議院の社会正義委員会で審理委員会が設けられた。 同委員会が作成した、670ページにわたる報告書に取り上げられた189の運動の中に禅も含まれている。 ただし、「このリストに載っている事実は、公訴の調査中であったとしても、当委員会がその運動をカルトと見做しているとは意味しない」とも記されている。 「」を参照 注釈 [ ] []• 了義(りょうぎ)。 解りやすく崩したり表現を変えるようなことをせず、完全・明白に説かれた教え。 『』のには、の人は了義によるべきであり、不了義によってはならないとある。 棄悪(きあく)。 心の正しき働きを覆い隠すような一切の悪を捨て去る• 功徳叢林(くどくそうりん)。 衆徳のあつまること叢林のようである。 念修(ねんしゅう)。 修は習得すること。 習得して得られるものは棄悪・功徳叢林である。 悟りは文字によって得ることはできないとはいえ、沈黙によっても得ることができないとされるため、一切の説明を行わないということはなく、臨機応変な方便として様々な方法で説かれる• 教外別伝(きょうげべつでん)。 人格を相伝すること。 文字や言葉を残す以外にも、禅師の全人格をそのまま弟子に伝えることが重要であるとされる。 師資相承(ししそうしょう)。 悟りの機微は師から弟子へと受け継ぐべきものであり、それが法脈となって後世の人々を救う。 生きた仏として残るため個別のケースに応じた柔軟な指導が可能となる。 そのため固定の戒律を持たず、固定の修行方法を持たず、特別な本尊を定めることもなく、必ず出家しなければならないというような決まった形もない。 臨機応変(りんきおうへん)。 例えば、あまりに経典を大切にしすぎる人には、正法眼蔵も世尊拈華も真実の悟りから見れば寝言のようなものであるといって捨てさせたり、あまりに経典を軽んじすぎる人には読経を勧めたりといったことである。 実は『六祖壇経』に慧能は「本来正教無有頓漸(正しい教えに本来は頓も漸もない)」と説いている。 従って差異があると主張していたのは神会である。 教宗では俗人と仏とを別々のものと考えた上で仏性という言葉を使うが、禅宗では俗人も欲を除けばそのまま仏であるという意味で仏性という。 全ての人がそなえていると書いたが実際は人に限らず生きとし生けるものすべてが円満に持っており、姿形は動物によって違うが仏性は平等であるとされる。 ただし、このように読んで頭で理解するにとどまって体感を伴わないことを嫌うのが禅宗である。 悟って如来と同じ境地に入ること。 体験を経てから涅槃に至るまでの一連の流れについて頓悟漸悟あるが、人の利鈍によって早い遅いがあるにすぎない。 ・教外別伝(ふりゅうもんじ・きょうげべつでん)。 言葉や文字によらず、直に本性を指し示すこと。 教宗にはない禅宗の特徴とされる。 例えば、月とはこういうものだと口で言って説明するのではなく、黙って月を指さすようなものである。 ところが、その指を見ても何のことかわからずに、指の長短や肌の濃淡を論じるような者のために教宗があるとする。 ただし、禅宗が指すものは悟りの境地であり、教宗が指すものも悟りの境地である。 それゆえ禅・教は表裏一体のものであり、禅の中に教があり、教の中に禅があるため、双方を両立するに何ら矛盾はなく、特に他宗派を誹謗する者に対しては禅教の両立が推奨される。 有田秀穂 医学部生理学教授• 世尊拈華、迦葉微笑(せそんねんげ、かしょうみしょう)。 釈迦が入滅するに際し、大衆居並ぶ説法の席で一枝の蓮華を拈って見せた。 みな何のことかわからず押し黙るなか、ひとりマハーカーシャパだけが微笑してうなずいた。 それを見た釈迦はマハーカーシャパが悟りを開いたことを知り、我が・の正法はあなたにゆだねると言って仏法伝授の使命を授けたというもの。 到達するといっても、なにか悟りという別の境地があってそこへ向かって進むわけではなく、その境地が元々の自分(いわば出生以前の自分)であり、その境地が底なのである。 外道とは仏教以外の宗教者のこと• 壁は、外から来る妄念から内心を守り隔てるものの例えである。 のちになって、物質的な本物の壁の意味に解されたが、これは誤りであろう。 (柳田聖山『達磨の語録』P51)• 身口意の三業(しんくいのさんごう)。 みだりに殺すこと、盗むこと、犯すこと、罵ること、騙すこと、綺語を言うこと、詭弁を言うこと、貪ること、怒ること、邪なことの十悪。 身口意の三業。 来世の生存は業を因縁として決定する。 悪業に限らず、善業であっても善果としての来世が決定してしまうため、輪廻を逃れることができない。 そのため善悪そのものを離れてしまうことが重視される。 そして苦楽や生死についても同様に、とらわれないことを重視する。 生死にとらわれなければ、輪廻もまた消滅するので、すべてが寂滅した世界観が開ける、というような意味である。 しかし、このように学んだだけで実感を伴った悟りに至る人はまれである。 それゆえ禅宗では話をせず、一切を投げすてて悟りの本分に直行させるために教外別伝を行う。 禅宗以外の仏教宗派では衆生を成仏させきってから自らが成仏するのが菩薩であるとされるが、禅宗では先に自らが成仏して如来となってから衆生を導くことを謳う。 この両者は手段が違っているだけで、衆生を済度しようという目的は同じであるため、どちらが間違っているということはない。 もしこの両者について正誤にとらわれる者があるならば、彼は自分自身が小乗に陥っていないか省みる必要があるとする。 睡眠中も無意識ではあるが、眠りという無明が付着しているために夢を見て一喜一憂する。 理法に目覚めながら目覚める対象にとらわれないのが仏である。 只管打坐(しかんたざ)。 真実の只管打坐は単なる無念無想や無意識というようなものではなく、意識があるでもなくないでもなく、無念でも有念でもなくて、心身が澄み渡った空のように清くありのままを映し出す鏡のように感じられるところにあるとされる。 ただし、この境地すらいまだ大悟徹底ではない。 しかし大悟徹底の前段階であるとして歓迎される。 修証一如(しゅしょういちにょ)。 坐禅は、まだ悟っていない者が修行によって悟りに到達するようなものではなく、生来的に仏性を持っている(悟っている)はずの者が改めて修行をするのであって、それは修行がそのまま悟りなのであるという意味の喝。 どんな凡人・外道も本質は仏なのであって、もともと悟った仏である者が、ことさら悟りを求めて坐禅するということがあってはならない。 仏が仏になることを目指すというのであれば、大乗仏教が元々仏たる性質を指摘する本意に反するからである。 このように、心そのものが即そのまま仏であると教えるのは、悟り・涅槃・仏性に執着させないための方便である。 心がけの良くない修行者とは、はじめから本気で仏道を求める気持ちが無く、禅僧としての名声を求めていたり、金稼ぎを目論んでいたり、他人に言い負かされたくない一心で、あるいは知識をひけらかすために経典の学習を優先し、初心者に対して褒め貶しを行うような者。 心身は幻であると聞けば、諸行無常のことを言っているのだと理解するかもしれないが、大乗教では実体がないことを理由に固定観念をうち破って中道に至らせる意味で使う。 水面に映った月は、実相であるとは言えないが、確かに姿を映しているように見えるから実相ではないとも言えない。 有るわけでもなし無でもなし、しかし有でもあり無でもあるという中道にこそ実相があるという意味である。 禅宗では、世界はこのように曖昧であるから捨て置け、坐禅せよと教える。 では迷妄と悟りが調和した境地を第八識、常住不滅の衆生の本心を第九識などと区別して教えた。 出典 [ ]• 『大辞林』「禅」• (2019年2月21日)2019年3月4日閲覧。 『大正大蔵経』; 岩波文庫本、14頁• 参考文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2015年6月)• 『禅宗編年史』 (白石芳留編、、1937年)• 『禅学研究入門』(編、、1994年)• 『禅の歴史』(著、、2001年)• 『夢中問答集』(夢窓礎石著、訳、、2000年)• 『沢庵 不動智神妙禄・太阿記・玲瓏集』(著、、1994年)• 『禅 心と体が綺麗になる坐り方』(編集部編、、2004年)• 『正法眼蔵・行持』(著、訳、2002年)• 『達磨の語録』(著、、1996年)• 『中村元選集〈第3巻〉東洋人の思惟方3日本人の思惟方法』(著、、1989年) 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• (英語) - 「日本の禅哲学」の項目。

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ぜん (スナックぜん)

ぜん ね ず

(円建)への投資を通じて、日本を含む世界の株式(を含みます)およびに広くを行うことで、の獲得との成長を図ることを目的として運用を行います。 株式の実質的な組入比率を計画的に段階的に引き上げることで、買付時期のを図ります。 配分比率は、グローバル株式:概ね5%(株式4%、株式1%)程度、:概ね95%程度から開始し、1年後にグローバル株式:概ね60%(株式50%、株式10%)程度、:概ね40%程度とします。 が11,500円以上となった場合には、一定期間内で株式の実質的な組入比率を引き下げ、ならびに等に投資する運用に切り替えることを基本とします。 組入れファンドの運用は、学術的研究に基づく運用を実践する「ディメンショナル・ファンド・アドバイザーズ・リミテッド」が行います。 【ご注意】『みんなの株式』における「買い」「売り」の情報はあくまでも投稿者の個人的見解によるものであり、情報の真偽、株式の評価に関する正確性・信頼性等については一切保証されておりません。 また、東京証券取引所、名古屋証券取引所、China Investment Information Services、NASDAQ OMX、CME Group Inc. 日経平均株価の著作権は日本経済新聞社に帰属します。 『みんなの株式』に掲載されている情報は、投資判断の参考として投資一般に関する情報提供を目的とするものであり、投資の勧誘を目的とするものではありません。 これらの情報には将来的な業績や出来事に関する予想が含まれていることがありますが、それらの記述はあくまで予想であり、その内容の正確性、信頼性等を保証するものではありません。 これらの情報に基づいて被ったいかなる損害についても、当社、投稿者及び情報提供者は一切の責任を負いません。 投資に関するすべての決定は、利用者ご自身の判断でなさるようにお願いいたします。 個別の投稿が金融商品取引法等に違反しているとご判断される場合には「」から、同委員会へ情報の提供を行ってください。 また、『みんなの株式』において公開されている情報につきましては、営業に利用することはもちろん、第三者へ提供する目的で情報を転用、複製、販売、加工、再利用及び再配信することを固く禁じます。

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ぜん 浜松(浜松駅/居酒屋)<ネット予約可>

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