源氏物語 須磨の秋 現代語訳。 源氏物語「須磨の秋/心づくしの秋風」(須磨)1/2 問題

源氏物語「須磨の秋」原文と現代語訳・解説・問題|世界最古の長編小説

源氏物語 須磨の秋 現代語訳

第三章 光る源氏の物語 須磨の秋の物語 6. 明石入道の娘 本文 現代語訳 明石の浦は、ただはひ渡るほどなれば、良清の朝臣、かの入道の娘を思ひ出でて、文など遣りけれど、返り事もせず、父入道ぞ、 「聞こゆべきことなむ。 あからさまに対面もがな」 と言ひけれど、「うけひかざらむものゆゑ、行きかかりて、むなしく帰らむ後手もをこなるべし」と、屈じいたうて行かず。 明石の浦は、ほんの這ってでも行けそうな距離なので、良清の朝臣、あの入道の娘を思い出して、手紙などをやったのだが、返事もせず、父の入道が、 「申し上げたいことがある。 ちょっとお会いしたい」 と言ったが、「承知してくれないようなのに、出かけて行って、空しく帰って来るような後ろ姿もばからしい」と、気がふさいで行かない。 世に知らず心高く思へるに、国の内は守のゆかりのみこそはかしこきことにすめれど、ひがめる心はさらにさも思はで年月を経けるに、この君かくておはすと聞きて、母君に語らふやう、 世にまたとないほど気位高く思っているので、播磨の国中では守の一族だけがえらい者と思っているようだが、偏屈な気性はまったくそのようなことも思わず歳月を送るうちに、この君がこうして来ていらっしゃると聞いて、母君に言うことには、 「桐壺の更衣の御腹の、源氏の光る君こそ、朝廷の御かしこまりにて、須磨の浦にものしたまふなれ。 吾子の御宿世にて、おぼえぬことのあるなり。 いかでかかるついでに、この君にをたてまつらむ」 「桐壷の更衣がお生みになった、源氏の光る君は、朝廷の勅勘を蒙って、須磨の浦にこもっていらっしゃるという。 わが娘のご運勢によって、思いがけないことがあるのです。 何とかこのような機会に、娘を差し上げたいものです」 と言ふ。 母、 と言う。 母は、 「あな、かたはや。 京の人の語るを聞けば、やむごとなき御妻ども、いと多く持ちたまひて、そのあまり、忍び忍び帝の御妻さへあやまちたまひて、かくも騒がれたまふなる人は、まさにかくあやしき山賤を、心とどめたまひてむや」 「まあ、とんでもない。 京の人の話すのを聞くと、ご立派な奥方様たちをとてもたくさんお持ちになっていらして、その他にも、こっそりと帝のお妃まで過ちを犯しなさって、このような騷ぎになられた方が、いったいこのような賤しい田舎者に心をとめてくださいましょうか」 と言ふ。 腹立ちて、 と言う。 腹を立てて、 「え知りたまはじ。 思ふ心ことなり。 さる心をしたまへ。 ついでして、ここにもおはしまさせむ」 「ご存知あるまい。 考えが違うのです。 その心づもりをしなさい。 機会を作って、ここにお出でいただこう」 と、心をやりて言ふもかたくなしく見ゆ。 まばゆきまでしつらひかしづきけり。 母君、 と、思いのままに言うのも頑固に見える。 眩しいくらい立派に飾りたて大事にお世話していた。 母君は、 「などか、めでたくとも、ものの初めに、罪に当たりて流されておはしたらむ人をしも思ひかけむ。 さても心をとどめたまふべくはこそあらめ、たはぶれにてもあるまじきことなり」 「どうして、ご立派な方とはいえ、初めての縁談に、罪に当たって流されていらしたような方を考えるのでしょう。 それにしても、心をおとめくださるようならともかくも、冗談にもありそうにないことです」 と言ふを、いといたくつぶやく。 と言うので、ひどくぶつぶつと不平を言う。 「罪に当たることは、唐土にも我が朝廷にも、かく世にすぐれ、何ごとも人にことになりぬる人の、かならずあることなり。 いかにものしたまふ君ぞ。 故母御息所は、おのが叔父にものしたまひし按察使大納言の娘なり。 いとかうざくなる名をとりて、宮仕へに出だしたまへりしに、国王すぐれて時めかしたまふこと、並びなかりけるほどに、人の嫉み重くて亡せたまひにしかど、この君のとまりたまへる、いとめでたしかし。 女は心高くつかふべきものなり。 おのれ、かかる田舎人なりとて、思し捨てじ」 など言ひゐたり。 「罪に当たることは、唐土でもわが国でも、このように世の中に傑出して、何事でも人に抜きんでた人には必ずあることなのだ。 どういうお方でいらっしゃると思うか。 亡くなった母御息所は、わたしの叔父でいらした按察大納言の御娘である。 まことに素晴らしい評判をとって、宮仕えにお出しなさったところ、国王も格別に御寵愛あそばすこと、並ぶ者がなかったほどであったが、皆の嫉妬が強くてお亡くなりになってしまったが、この君が生いきていらっしゃる、大変に喜ばしいことである。 女は気位を高く持つべきなのだ。 わたしが、このような田舎者だからといって、お見捨てになることはあるまい」 などと言っていた。 この娘、すぐれたる容貌ならねど、なつかしうあてはかに、心ばせあるさまなどぞ、げに、やむごとなき人に劣るまじかりける。 身のありさまを、口惜しきものに思ひ知りて、 「高き人は、我を何の数にも思さじ。 ほどにつけたる世をばさらに見じ。 命長くて、思ふ人びとに後れなば、尼にもなりなむ、海の底にも入りなむ」 などぞ思ひける。 父君、所狭く思ひかしづきて、年に二たび、住吉に詣でさせけり。 神の御しるしをぞ、人知れず頼み思ひける。 この娘、すぐれた器量ではないが、優しく上品らしく、賢いところなどは、なるほど、高貴な女性に負けないようであった。 わが身の境遇を、ふがいない者とわきまえて、 「身分の高い方は、わたしを物の数のうちにも入れてくださるまい。 身分相応の結婚はまっぴら嫌。 長生きして、両親に先立たれてしまったら、尼にもなろう、海の底にも沈みもしよう」 などと思っているのであった。 父君は、仰々しく大切に育てて、一年に二度、住吉の神に参詣させるのであった。 神の御霊験を、心ひそかに期待しているのであった。

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「源氏物語:須磨の秋・心づくしの秋風〜後編〜」の現代語訳(口語訳)

源氏物語 須磨の秋 現代語訳

源氏物語「須磨の秋/心づくしの秋風」(須磨)1/2 問題 源氏物語「須磨の秋/心づくしの秋風」(須磨)1/2 問題 須磨には、いとど a 心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、よるよるは、げにいと近く聞こえて、【 b 】あはれなるものは、かかる所の秋なりけり。 c 御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ち来る心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。 琴を少しかき鳴らし給へるが、我ながらいと【 d 】聞こゆれば、弾きさし給ひて、 恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ とうたひ給へるに、人々おどろきて、【 e 】おぼゆるに、忍ばれで、【 f 】起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。 「げにいかに思ふらむ、わが身一つにより、親はらから、かた時たち離れがたく、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かく惑ひ合へる。 」とおぼすに、いみじくて、「いとかく思ひ沈むさまを、心細しと思ふらむ。 」とおぼせば、昼は何くれとたはぶれごとうちのたまひ紛らはし、つれづれなるままに、いろいろの紙を継ぎつつ手習ひをし給ひ、めづらしきさまなる唐の綾などにさまざまの絵どもを書きすさび給へる、屏風のおもてどもなど、いとめでたく、見どころあり。 人々の語り聞こえし海山のありさまを、はるかにおぼしやりしを、御目に近くては、げに及ばぬ磯のたたずまひ、になく書き集め給へり。 「 g このころの上手にすめる千枝、常則などを召して、作り絵つかうまつらせばや。 」と、心もとながり合へり。 なつかしうめでたき御さまに、 世のもの思ひ忘れて、近う慣れつかうまつるをうれしきことにて、四、五人ばかりぞつと候ひける。 h 前栽の花いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に出で給ひて、たたずみ給ふ御さまの、ゆゆしう清らなること、所がらはましてこの世のものと見え給はず。 白き綾のなよよかなる、紫苑色など奉りて、こまやかなる御 i 直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、「釈迦牟尼仏弟子。 」と名のりて、ゆるるかに読み給へる、また世に知らず聞こゆ。 沖より舟どもの歌ひののしりて漕ぎ行くなども聞こゆ。 ほのかに、ただ小さき鳥の浮かべると見やらるるも、心細げなるに、雁のつらねて鳴く声、楫の音にまがへるを、うちながめ給ひて、涙のこぼるるをかき払ひ給へる御手つき、黒き御数珠に映え給へるは、 j ふるさとの女恋しき人々の心、みな慰みにけり。 【須磨】 問1 (1)本文中から「着る」の尊敬語を抜き出しなさい。 (2)本文中で助動詞「る」が可能の意味で使われている文節を抜き出しなさい。 また、c 御前、i 直衣の読みを現代仮名遣いのひらがなで記しなさい。 世のもの思ひ忘れて、近う慣れつかうまつるをうれしきことに思った理由を簡明に記しなさい。

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「源氏物語:須磨の秋・心づくしの秋風〜前編〜」の現代語訳(口語訳)

源氏物語 須磨の秋 現代語訳

「源氏物語:須磨の秋・心づくしの秋風〜前編〜」の現代語訳(口語訳) 葵 あおいの上 うえの死後、光源氏 ひかるげんじは成長した若紫 わかむらさきと結婚し、若紫は紫 むらさきの上 うえと呼ばれるようになる。 しかし、光源氏をめぐる状況は厳しく、桐壺 きりつぼの院 いんの崩御 ほうぎょにより政情が一変すると、帝 みかど(後の朱雀院 すざくいん)を擁する弘徽殿 こきでんの大后 おおきさきとその父右大臣が権勢をふるうようになり、藤壺 ふじつぼの宮も出家した。 光源氏は、宮仕えの予定されている右大臣の六の君(朧月夜 おぼろづきよの尚侍 ないしのかみ)とふと巡り合い、逢瀬 おうせを重ねるうちに右大臣に気づかれ、ついに官位を取り上げられた。 謀反の罪をかぶせられることを恐れた光源氏は、都を離れて須磨で謹慎の生活を送ることにする。 須磨では、いっそう物思いを誘う秋風によって、海は少し遠いけれども、行平の中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという浦風に砕ける波の音が、なるほど(行平が詠んだとおり)夜ごとにすぐ近くに聞こえて、またとなくしみじみと心にしみるものは、こういう土地の秋なのであった。 御前 おまへにいと人少 ずくなにて、うち休みわたれるに、独り目をさまして、枕をそばだてて四方 よもの嵐を聞き給 たまふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに枕浮くばかりになりにけり。 御前に(お仕えする)人も本当に少なくて、(その供人たちも)みな寝静まっている時に、(光源氏は)ひとり目を覚まして、枕を立てて顔を持ち上げ(耳を澄ませて)、四方の(激しい)嵐の音をお聞きになっていると、波がただもうすぐそばまで打ち寄せてくるような心持ちがして、涙がこぼれているとも気がつかないのに、(涙のために)枕が浮くほどになってしまうのだった。 琴 きんを少し掻 かき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、 琴を少しかき鳴らしなさったが(その音が)、我ながらとてももの寂しく聞こえるので、途中で弾くのをおやめになって、 光源氏 恋ひわびてなく音 ねにまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらむ 恋しさに堪えかねて泣く声によく似ている浦波の音は、私のことを恋しく思っている人たちのいる都の方角から風が吹いてくるから(そのように聞こえるの)であろうか。 とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。 とお歌いになっていると、供人たちは目覚めて、すばらしい(お声)と思うにつけても(悲しさや寂しさを)こらえきれず、わけもなく起き直っては、(涙に詰まる)鼻をおのおのそっとかむのである。 出典 須磨 すまの秋 参考 「精選古典B(古文編)」東京書籍 「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版.

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