タイソン ダグラス。 「世紀の番狂わせ」から30年 タイソンを倒した男、ダグラスの栄光と苦闘とは: J

タイソンvsダグラスから30年。「あれはロングカウントではなかった」。レフェリーが明かす疑惑の真実(三浦勝夫)

タイソン ダグラス

世界チャンピオンとなったタイソンは、狂ったように女遊びを始める。 そんななかで出会った女優のロビン・ギヴンズと結婚。 しかしその結婚は彼の財産目当てだったことが明らかになり、2人の関係は泥沼状態に陥る。 私生活の荒廃とともにボクシングも荒れ始めたタイソン。 周囲の誰もが信頼できなくなり、ついには悪名高いプロモーターのドン・キングと手を組んでしまう。 次第に戦うことへの情熱を失っていくなか、東京でバスター・ダグラスとのタイトルマッチが組まれた。 堕落しきった 東京でのトレーニング 1990年1月8日、空路東京へ向かった。 文句を垂れて、わめき散らしながら。 試合なんかしたくなかった。 あのころ興味があったのはドンチャン騒ぎをして女と寝ることだけだった。 出発の時点で体重が30ポンド増えていた。 ドン・キングはその点を心配して、1ヵ月後の試合でいつもの体重に戻っていたらボーナスを出すと申し出た。 マイク・タイソン(Mike Tyson) 1966年生まれ。 アメリカ合衆国の元プロボクサー。 1986年にWBCヘビー級王座を獲得、史上最年少のヘビー級チャンピオンとなる。 その後WBA、IBFのタイトルを得てヘビー級3団体統一チャンピオンとして君臨。 しかし2003年に暴行罪によって有罪判決を受けるなど数々のトラブルを巻き起こし、ボクシング界から引退。 アルコール・麻薬・セックス中毒のどん底状態から過去の自分を反省し、自己の人生を語るワンマンショーで成功を収め、新たな幸せと尊敬を得る。 2011年、国際ボクシング殿堂入りを果たす。 2013年にを上梓。 写真左は元妻のロビン・ギヴンズ。 ビデオで試合を観ることさえしなかった。 あいつをKOしてきたボクサー全員に楽勝していたからだ。 俺がまだ前座だったころ、ESPNトーナメント王座を懸けた試合を観たが、俺がABCで初めて全国放送された試合でKOしたジェシー・ファーガソンに負けていた。 自分の英雄のミッキー・ウォーカーやハリー・グレブになった気でいたんだな。 グレブが対戦相手に「お前なんか汗をかく値打ちもないから練習してこなかった」と言った話を読んでいた。 だから俺もそれに倣った。 アンソニー・ピッツが早起きして、俺のスパーリング・パートナーのグレッグ・ペイジと走っていた。 だが、俺はやる気になれなかった。 アーミー・ブーツに防寒マスクで走り込んでいるバスターをよく見かけるとアンソニーが言っていた。

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マイク・タイソンはなぜダグラスに負けたのですか?

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マイクタイソンの全盛期の強さと筋肉 マイクタイソンの強さとは? と質問されれば、みな、あのスピードと、 鋼鉄の様な肉体だと答える方が多いのではないでしょうか? マイクタイソンの身長や体重を紹介しましょう。 マイクタイソンが戦う階級はヘビー級です。 ヘビー級は体重が一番思い階級であり、 上限はありません。 そんな怪物がぞろいのヘビー級の中でも、 マイクタイソンの体は小さい。 マイクタイソンの身長や体重その他のサイズ 身長 180cm 体重 98. 8キロ リーチ 180cm 首回り 50cm マイクタイソンの身長は一時期170cm代とも言われていたが、 慈恵医大での測定で180cmである事が分かりました。 スピードと破壊力が凄い マイクタイソンは小柄であるが、 恐ろしい程のスピードで、相手の攻撃をかわし、 そのパンチはダイナマイトパンチと呼ばれ、 ガードの上からでも相手をぶちのめし、 巨大な男達をマットに沈めてきた。 タイソンのボクシングスタイルは、 ピーカーブースタイルと呼ばれ、 ガードをアゴの前で固め、そこから目だけ出して、 体を左右に振って相手の懐に入り込み、 コンビネーションから、相手に恐ろしく早いパンチを連続で叩き込むスタイルで、 KOの山を築いた。 マイクタイソンのトレーニング!縄跳びも上手い タイソンのトレーニングを動画や映像で見た事のある人なら、 その凄さを知っているはずだ。 サンドバックにめり込むパンチ、 サンドバックの揺れと、そのインパクトの音に、 この男が放つパンチが尋常でない事が分かる。 タイソンの全盛期は1988年頃までと言われています。 しかし、1988年以降は、全盛期と比べた場合、 明らかに落ちた、 これは、タイソンのボクシングの師匠であるカス・ダマトが死んでから、 ドンキングと手を組んみ、 今まで周りにいた有能なスタッフを辞めさせた事にあるようです。 マイクタイソンを作り上げた二人の男 カス・ダマト カス・ダマトこそがマイクタイソンを見出した男です。 カス・ダマトはボクシングのトレーナーとして、 業界でも地位を確立していた。 タイソン以外に、 二人の世界チャンピオンを育てた実績があるのです。 カス・ダマトは隠居生活の身でした。 そんな時、少年院の更生プログラムの一つである、 ボクシングを受けていたマイクタイソンを、 担当の教官から紹介されます。 カス・ダマトはタイソンの非凡な才能を見抜き、 「こいつは世界チャンピオンになれる!」と衝撃を受けた。 当時のタイソンは不良少年で、 ケンカばかりしていた、ワルだった。 12歳までに何度も逮捕され、その数51回を数えました。 そんな時、マイクタイソンの母親が亡くなり、 16歳の少年マイクタイソンを引き取り、 彼にボクシングの英才教育を施しました。 タイソンもカス・ダマトになついて、 タイソンはこのカスダマトを父親以上の存在であると語っています。 カス・ダマト時代からこのケビン・ルーニーがトレーナーをしていた時代が、 タイソンの全盛期と言われています。 タイソンはカスダマトが、決して近寄ってはいけないと言っていた、 ドンキングと手を組み、ケビン・ルーニーを解雇しました。 しかし、それがタイソンの強さの崩壊の始まりと言われています。 ケビン・ルーニーとマイクタイソンのミット打ちの練習をご覧下さい。 この練習を見ただけで、 いかにマイクタイソンが強いか分かりますよね。 マイクタイソンのトレーニング この時代のマイクタイソンのトレーニングと食事の内容を紹介します。 これはインタビューで語った内容で、結構有名な内容です。 sf-magazine. htmより引用 5AM 起床、約5kmのジョギング 6AM エクササイズを終え、シャワーを浴び再び寝る。 (朝のジョギングが彼の強い脚を造った) 10AM 起きてオートミールを食べる。 12PM リングで練習(10ラウンドのスパーリング) 2PM 食事(ステーキとパスタとフルーツジュース) 3PM 再びリングで練習と、1時間エアロバイク (自転車漕ぎ) (太い彼の脚の持久力を高めた) 5PM 筋トレ 腹筋2,000回、ディップス500~800回、腕立て伏せ500回 シュラッグ30kgのバーベルで500回)、 首のエクササイズを 10分間 7PM 夕食(ステーキとパスタとフルーツジュース) 8PM エアロバイク(自転車漕ぎ)を30分した後、TVを観て 就寝。 (朝ジョギングをする前は、ストレッチを充分に行い、その後 箱に飛び乗るジャンプを10回、短距離ダッシュ(全力疾走) を10本をこなした) (昼の12時にスパーリングをし、午後3時にはミットもしくは ヘビーバッグを使ってリング内での稽古をする)(午後5時には、サーキットトレーニングとして、200回の腹筋、25~40回のディップス、50回の腕立て伏せ、25~40回のディップス、シュラッグ50回を、10セット行い、その後首のエクササイズ(ブリッジ)を10分する) タイソンは、シュラッグが短い腕から繰り出すパンチに必要な肩を造ってくれ、首の持久力も上がったと言う。 因みにタイソンが13歳の時、腹筋は50回もできず、腕立ても13回しか出来なかったが、徐々にトレーニングで能力を高め、20歳になる頃には2時間以内に2,000回の腹筋を毎日こなすようになった。 もし、〇〇だったら、とか、 たら、ればの話をしてもしょうがないのですが、 もしカスダマトが死なずに、もうしばらくタイソンの元にいたのなら、 間違いなくタイソンの連勝記録は伸びただろうし、 様々な、 スキャンダラスな事件は、 起こっていなかったんじゃないかと言われています。 もし、ずっとケビン・ルーニーがトレーナーであったら、 ずっとマイクタイソンはヘビー級チャンピオンなのではないか? なんて事も言う人がいる位です。 もう一人の最強ボクサー候補アリとの比較はこちら マイクタイソンの色々な話 オリンピックには出たの? タイソンはアマチュアからボクシングをスタートしている。 しかし、オリンピックには出場していません。 1984年のロサンゼルスオリンピックの出場を狙っていたが、 最終選考の決勝戦でダウンを奪いながらも判定で敗れた。 アマチュアの対戦成績は52戦47勝5敗 非公式試合にも多数出場している為に、正確な数字は分からないそうです。 プロでの通算成績 58戦50勝6敗44KO 2無効試合 タイソンの負け試合 結婚相手と子供 ファッションモデル ロギン・ギブンズ 1年で破局 モニカ・ターナー 約6年で離婚 ラキハ・スパイサー 子供は計8人そのうち娘1人が事故死している。 そして、何も持たずに死ぬだろう。 感情を持ち込むな。 悲しみや憐れみを感じてはならない。 何も感じることなどない。 任務を遂げろ。 自分の本能に忠実になれ。 人の群れに惑わされず、いつも自分でいろ。 マイクタイソンの最高年収 1996年に、7500万ドル (85億円)を稼いでいます。 この年スポーツ選手の中で1位でした。 マイクタイソンの現在は? マイクタイソンは2005年に無名のボクサーと戦い敗れ、 リングを去った。 引退試合という様な華やかな、 セレモニーでもなく現役生活にピリオドを打った様です。 最後はボロボロになって、ひっそりリングを去って行く、 いかにもタイソンらしい、不器用な最期なのではないでしょうか? 引退後は三度目の結婚をしたり、 タイソンを扱った映画が公開されたり、 CS放送では、タイソンが子供の頃からこよなく愛する、 鳩のレースの話のテレビに出演したり、 ボクシングの殿堂入りをしたり、 プロレスのレフェリーをしたり、 映画に出演したりと、活躍している。 全盛期を過ぎてからは、めちゃくちゃなタイソンであったが、 その魅力は衰える事がなく、 今でも最強の男の象徴として、語り継がれている。 このマイク. タイソンが格闘技で最強であると語った男については、 こちらに詳しく書いています。 最後に という事で今日はマイクタイソンについてでした。 全盛期のスピードとパワーは凄いですね。 まさに時代を作ったチャンピオンだと思います。 では、また! ボクシングの記事まとめページ (スポンサーリンク) カテゴリー•

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モハメド・アリ対マイク・タイソンどっちが強い?全盛期の対決を徹底解説

タイソン ダグラス

ダグラス(右)のパンチを食らうタイソン。 「野獣」が東京ドームでプロ初の敗戦、それもKO負けという大波乱が起きた 東京ドームは異様な熱気に包まれていた。 日本中がバブル景気に浮かれていた平成2(1990)年2月11日。 プロボクシングWBA、WBC、IBF世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)が、ジェームス・ダグラス(米国)に10回KO負けを喫した。 最も重い階級で初めて3団体統一王座に君臨した23歳の最強王者が、まさかの陥落。 ボクシング史で最大級のアップセット(大波乱)と表される一戦を間近で見た関係者が当時を振り返る。 (取材構成・伊藤隆) その朝、東京は季節外れの暖かさだった。 未明に最低6度を記録した気温は急激に上昇し、正午には16度に達した。 5万1600人を飲み込んだ東京ドームは、天候以上の熱気に包まれていた。 全世界が注目するビッグイベント。 大観衆の関心は2年ぶりに来日した37戦全勝、33KO勝ちと最強を誇った23歳のタイソンが、29歳の挑戦者ダグラスを何ラウンドでリングに沈めるかの一点だった。 「ラスベガスのオッズは42対1で、賭けが成立しないほどタイソンが有利と見られていた。 だけど、あの日だけは違う予感があった」 ボクシング専門誌の記者となって10年目を迎えていた宮崎正博(63)は、蓄積した知識、取材で得た情報、持ち前の嗅覚から世間の見方に対して否定的だった。 「おおらかな時代だったので、メディア仲間と内輪でタイソンが何ラウンドに倒すか賭けをした。 ダグラスに賭けたのは自分だけ。 今では許されることじゃないけど」.

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