吉本興業 マネージャー。 吉本興業女マネージャー奮戦記「そんなアホな! 」 (立東舎文庫)

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吉本興業 マネージャー

「仕事はつらいけれど、夢もある」を伝える強烈エピソードの数々 「横山やすしに殴られた人は多数おりますが、横山やすしを殴ったのは大谷由里子ぐらいなものです」。 そんな吉本興業での著者の激動の日々は、芸能史の貴重な証言といえるでしょう。 現在、『笑い』をツールに人材育成の分野で活躍する著者の、記念すべき初の著書。 【目次】 第一章 出会い 第二章 やすし・きよしさん 第三章 芸人さんたち 第四章 選挙 第五章 花王名人劇場 第六章 先輩・後輩 第七章 実り 立東舎文庫版あとがき 解説:常見陽平 働き方研究家 大谷由里子 おおたに・ゆりこ 1963年生。 京都ノートルダム女子大学卒業後、吉本興業に入社。 故・横山やすし氏のマネージャーを務め、宮川大助・花子、若井こずえ・みどりなどを売り出し、伝説のマネージャーとして評される。 88年、結婚のため退社。 91年、企画会社を設立。 98年には、社会人向けの人材育成 学校:「リーダーズカレッジ」を立ち上げる。 03年3月、研修会社の志縁塾 しえんじゅく を設立。 「笑い」を道具にしたユニークな「人材育成法」は、NHKスペシャルなど、数々のメディアで取り上げられ話題となっている。 現在は、全国での研修・講演活動の他、地域活性、企業活性の活動、執筆、新聞・テレビ・ラジオなどでも活躍中。 モットーは、「感じて・興味を持って・動く」人づくり! 別な数冊の本で、やすきよのエピソードについてはいろいろと読んでいた。 この本もやすしさんの元マネージャーから見たやすきよの真実を知りたくて購入したものだ。 しかしまあ。 実に正直に、包み隠さず書かれた本だと思う。 一般の会社にこういう新人が居たら、周囲はそのフォローだけで疲弊してしまうし、実際、総スカンを食らっていただろう。 そう思うエピソードが山ほど出てくる。 自分だったら、絶対にこういう人と一緒に仕事をしたくはない。 そう思うエピソードもたくさん出てきた。 新人が何もわからなくて失敗をするのは仕方ない。 多分、新人の教育マニュアルのようなものは当時の吉本にはなかったのだと思う。 実践してひとつひとつ身に付けさせていく、そういうスタイルだったのではないだろうか。 それにしても失敗エピソードに事欠かない。 そして注意された事に対して反論をしてまた相手を怒らせる。 会社の上司の好き嫌いがはっきりしすぎている。 でも何かきっかけがあるとその評価は180度変わる。 他にもいろいろ。 でも、感心するのは、吉本興業という会社の社員はみんな修羅場をくぐっているだけに懐が深い。 この本のエピソードでも新入社員の大谷さん(当時は松岡さん)を、時にしっかりと面倒を見て、時に叱りとばし、突き放し、出来たときは褒めることも忘れず、そして社員として見事に成長させている。 大谷さんも、その懲りない性格、失敗しても失敗してもめげない性格だからこそあの大変な時代の吉本興業でやっていけたし、入社した年に横山やすしさんのマネージャーになり、退職するまでマネージャーで居られた(お酒で問題を起こすやすしさんを殴ってしまったことも含めて)のだと思う。 しかしまさか、そのマネージャーが退職するときにまだ25歳だったとは知らなかった…。 ずっと、30代の方がマネージャーについていたと思っていたからだ。 たった3年間の吉本勤務。 しかしその担当や仕事内容の密度は、3年どころか10年分はあるように感じられた。 当時は大阪・東京合わせてたった30人くらいの制作部社員しかいなかったらしい。 横山やすしさんとのエピソードは、3年間近く直接担当していただけに詳しい。 西川きよしさんの選挙の時の横山さんとのもろもろは、色々な人が書く本によってそれぞれ話が違っている。 多分、横山さんの側にいて直接本人からいろいろ聞いていた大谷さんの話が、一番真実に近いのだと思う。 当時の木村常務のエピソードについては、木村氏の本も読んだが、大谷さんの記憶とは少し食い違いがあるようだ。 大谷さんの本によれば、木村常務は「やすし・きよしの初代マネージャーで、二人を売り出した人」となっているが、木村氏の本によれば、「私が出会った時にはすでに「やす・きよ」は売れっ子でした。 」と書かれている。 大谷由里子「吉本興業 女マネージャー奮戦記 そんなアホな!」を読みました。 大谷さんは元気印のフリープロデューサーです。 本や講演で元気を振りまいています。 この本は、フツーの女子学生が、ひょんなことから吉本興業に入社し、世間とギャップの大きすぎるお笑いの世界に飛び込んで一目を置かれるまでの暗中模索の物語です。 抱腹絶倒のエピソード満載で、タイトル通りの「そんなアホな!」がいっぱいです。 時代は吉本が全国制覇を狙って東京進出を画策していた1980年代です。 やすしきよしのマネージャーになり、やすしのハチャメチャな横紙破りぶりに翻弄され、怒りと涙の日々を通じ鍛えられていき、ついにはやすしにビンタを喰らわすまで逞しくなります。 いくよくるよ、花紀京、紳助、大助花子などとの仕事、私的交流にはビックリです。 人情があふれホロッとする裏話が披露されています。 売り出すために涙ぐましい努力のダウンタウンの姿もあります。 吉本興業は、日本のお笑い界を完全制覇しましたが、その直前の背景史とも読めます。 私は大谷さんのファンです。 ですから、以下はそのつもりで読んでみてください。 様々な出来事について、自分を飾ることなく、その時々に抱いた気持ちを正直に書かれていて、大谷さんのことがますます好きになりました。 やすきよの漫才をもう一度見たくなりました。 それでYouTubeで検索して懐かしさに浸たりました。 コンプライアンスがうるさい時代になって、もうやすしさんのような方は表に出てくることはなくなってしまったんでしょうね。 それはある意味では改善だともいえるでしょうが、ああいう人がいたからこそ成り立ったものが消えているということも感じました。 表面的な善悪で律することが適切とは言えないことが、わたしたちの世の中には本当はいっぱいあるはずなのに、そういうものをなきものにするような世の流れになっています。 そういうものに素直に従うつもりになれない自分の存在も感じました。 もう一方で、あのような方としっかりと向き合う仕事は、いくら自分磨きになると言われても、自分には絶えられないだろうなという正直な感想もあります。 結局何が言いたいのか、自分でもよくわからない感想になっていますが、人間とは単純に割り切れるものではないという、ごく当たり前のことをあれこれ言っているだけかもしれません。 YouTubeにはやすしさんの追悼番組のようなものもあがっていて、そこに大谷さんも登場されているのを確認しました。 あの番組を見ながら、きよしさんがどんな気持ちを持ちながらずっと付き合っていたんだろうってことに、自分の心の焦点が当たっていました。 きよしさんが政界に打って出た時には、単に有名芸能人が知名度を生かして選挙に出たというレベルでしか考えていなかったのですが、そこには人に言えないような様々な思いが交錯していたことが、ちょっとだけわかった気がしました。 この本を読んで、素直な人間の心の原点に立ち返らせてもらえたような気がしています。 いい本ですね。 ありがとうございました。 まだ「やすしきよし」が現役で漫才をやっている頃、まっちゃんこと松岡さん(著者の旧姓)は吉本興業に入社しました。 まだ、女性マネージャーが珍しい時代です。 先輩や仕事先の人からチヤホヤされながら新入社員生活をエンジョイしていた著者ですが、あのやすし師匠の担当になり、さんざん苦労させられながら成長していきます。 本書には、著者の成長の姿が驚くほど赤裸々につづられていました。 どれくらい赤裸々かというと、この新入社員がイヤな女に描かれているのです。 入社したばかりの頃は、チヤホヤされることを当たり前のように感じる甘えた新人でした。 少し仕事を覚えると、電話を切ったあと「この人、仕事する資格ないわ」と文句だけは一人前に。 後輩が入社してくると、ロクに面倒も見ないで「今年の新入社員はまったく!」などと、他の会社の人にまでグチりまくります。 やなヤツですねー。 こんなヤツが後輩にいたら、こっちも感情的になって怒鳴りつけたりするかもしれません。 著者が偉いのは、その都度、少したってから反省して人間関係を改善していくところです。 「やすしきよし」を育てた伝説の木村マネージャーからも信頼されるようになり、担当するタレントからも頼られるようになっていきました。 生き生きと成長していく著者がまぶしいくらいです。 とうとう、仕事をしながら酔っぱらっている横山やすしを涙ながらに殴ってしまう、という熱血マネージャーになりました。 まだ結婚退職が一般的だった時代のこと。 ひと時の専業主婦生活を楽しんでいる著者の元に横山やすしの訃報が飛び込んできました。 著者の胸に去来するのは、「最後にもう一度会っておけばよかった」という後悔と、「落ちぶれた横山さんを見なくてよかった」という、相反する気持ちでした。 きっと、「やっさん」を語れるのは、木村政雄と「まっちゃん」だけなのでしょう。

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芸能界にはびこる「マネージャークラッシャー」たち

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売れている芸人も多数いる一方で、売れていない芸人も数多くおり、一説には5,000名以上の芸人が所属しているといわれる。 そんなタレントたちを支えるのがマネージャーだが、その数はわずかであり、「吉本のマネージャーは激務」と囁かれている。 その多忙ぶりは都市伝説のように語られるが、一体どのような業務内容なのか。 業界関係者に取材を行った。 「そもそも吉本芸人のほとんどは専属マネージャーがいません。 専属マネージャーがいるのは、明石家さんま、ダウンタウン、ナインティナイン、雨上がり決死隊くらいのもので、そのほかの芸人は番組のメインを張るようなランクであっても、マネージャーは他の芸人との掛け持ちです。 そのため、マネージャーにはとんでもない激務が待っているわけです」(プロダクション関係者) とんでもない激務とは、どのようなレベルなのか。 「具体的に言えば、ひとりのマネージャーが若手芸人200組を担当するようなケースもあります。 この200組はほとんど仕事がないレベルの芸人ですが、それぞれ月に1回の仕事があるだけでも200件ですから、マネージャーはとんでもなく多忙になりますよね」(同) 200組とは驚きだが、それで仕事が回っているのだろうか。 「回っていませんよ。 先方との日時の調整や打ち合わせ、芸人への連絡、また請求書などの書類業務もありますので、現場に行っている余裕はありません。 もちろん、ほとんど仕事がない無名の若手ならば、このような環境もまだ納得できますが、たとえばガレッジセールや加藤浩次など、もはや全国区の芸人であってもマネージャーは10組や20組の芸人を掛け持ちしますので、そうなればスケジュール調整だけでも激務が必至で、ほぼ家には帰れない状況です」(同) 加藤浩次などは、朝の番組のメイン司会であるにもかかわらず専属マネージャーがいないとは信じられないが、それが吉本のやり方なのだという。 「かなり売れている芸人でもマネージャーが兼任なので、基本的に現場に来ることはありません。 新番組の初回収録ならば挨拶に来ることもありますが、それ以外はほとんど現場で姿を見ませんね。 たとえば吉本のタレントさんは、アフリカロケであってもマネージャーなしの現地集合ということもあります。 そのため、ほかの事務所の芸人さんよりはサバイバル能力に優れていますね」(番組関係者).

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田辺涼子(吉本興業マネージャー)の年齢や結婚した夫と年収は?経歴や大学は?

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来歴 [ ] 3月、専攻卒業。 新聞記者志望だったが新聞社の入社試験に落ち、大学卒業後吉本興業に入社。 この時、父親は「お笑いの会社入るとは、罰当たり物やな」と落胆していたという。 担当スタッフを経て、製作部に配属となりのを8年半つとめ、、のマネージャーを務めた後、1980年に東京事務所(現在は東京本社)所長に異動となり、部下だったと共に漫才ブームを築いた。 1988年大阪本社へ戻って製作部次長に就くと、劇団との交流もきっかけとなり、低迷していたを再生させる。 1994年に取締役製作部長、4月にに昇進し、2002年10月に退社。 フリーとして「木村政雄の事務所(「の」は)」を設立し、独立した。 元顧問、代表取締役主宰、、元理事、フリーマガジン5L(ファイブエル)編集長なども務める。 妻は元ので長男と長女がいる。 妻とは「」で妻がアシスタントで出演した時に知り合った。 著書 [ ]• 笑いの経済学 吉本興業・感動産業への道(2000年、集英社)• 吉本興業から学んだ「人間判断力」(2002年、講談社)• 五十代からは、捨てて勝つ 自分株式会社をつくろう (2003年、PHP)• 「人をつくる」という仕事(2003年、青春出版社)• 35歳革命 (2005年、大和書房)• やすし・きよしと過ごした日々 マネージャーが見た波瀾万丈回想記 (2005年、文藝春秋)• 50歳力(2005年、大和書房)• プロに訊け!-明日が見えた瞬間 (2006年、丸善)• 客観力-自分の才能をマネジメントする方法 (2008年、祥伝社)• 内田さんに聞いてみた 「正しいオヤジ」になる方法(内田樹との共著、2013年、宝島社) 過去の出演番組 [ ]• (文化放送)• (TBSテレビ)• 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または。 ( 2012年8月)• 自称エグゼクティブフリーター。 が吉本から独立して東京で活躍したいと考えた時に、懸命に説得し慰留させた。 寛平本人は吉本の東京事務所があるのを知らなかったという。 結局、寛平は東京吉本に移籍し、東京や関西以外の国内外での芸能活動の足がかりを得ることになった。 が東京でのレギュラー番組を降ろされ、落ち込んでいた時に「みんなが頑張っとるからこそ、逆にローカルチャンピオンになるべきや。 くよくよしたってしゃあない。 むしろ、ローカルチャンピオンで頑張ったらええ」と慰めた。 八方はこれを機に立ち直った。 吉本在籍時、一時低迷していたを再生させ、更にはを一躍全国区にのし上げ、更には劇場の興行システムを改編した反面、会社の方針に従わないベテラン芸人や若手芸人を大胆にリストラしたり、不祥事を起こした芸人を厳罰な措置を取るなど、企業人としての冷酷な一面を見せている。 特にが吉本興業から解除()された時に、やすしへの契約解除通告を行ったのも、当時専務だったの署名を入れた契約解除通知書を記者会見で読み上げたのも木村本人だった。 その時の記者会見で記者達から「堪忍袋の緒が切れたのか? 」の問いに「そうですね。 我々のフォローもとっくに超えている。 これ以上騒ぎを起こされたら、会社の姿勢も疑われますし、責任も問われますから。 」とコメントした。 その手法は後に部下のに受け継がれた。 なお、大崎が処置を下した芸人には(、一旦解雇して後に復帰)、(事実上引退)がいる。 一方で、2000年ごろに出演した「」()において、「さんややすしさんのような方は、もう(芸能界には)現れないでしょう。 世間も許さないでしょうし」などと厳しい意見を言う中にも、やすしに関しては「もうちょっと、世間の常識を知っていてくれたら…。 」との思いがあった事を語り、自身の著書では「いまでも私は横山やすしのファンだがもう復帰はあり得ないし、して欲しくない。 」と厳しい心境を述べた。 再生プロジェクトを起こした発端は放送作家のの誘いで劇団の芝居を見て「よし、これで行ったろ!きっと旨く成功する。 」と思い付いたのがきっかけとなり、そして再生する事が出来た。 吉本在籍時、劇場の興行システムを10日ごとから7日ごとに変更することを、会長だったに直訴したところ「かまわん。 やりなさい」と一発返事で承認された事がある。 が「」でライト兄弟として出演し、横山やすしを激怒させ、やすしに説教された後に「あれは横山流の漫才に対する価値観であって、そこから外れてるから悪いのではない。 」と慰めた。 「」()を当時の部下の大崎洋と企画し、ダウンタウンを番組で一躍人気者に上昇させ、ダウンタウンが名実ともに大阪で天下を獲り、東京進出の足掛けを作った影の功労者でもある。 1996年頃に(当時)などがバラエティ番組で活躍して脅威になった事から、吉本の新入社員に対して「中居君に負けない芸人作り」をするようを進言していた時期もあった。 以前はのを持っていなかったために乗るかやなどで通勤していたが、2009年8月に家族4人で北海道に行き、旅館に宿泊しながら運転免許を取得した。 木村政雄を演じた俳優 [ ]•

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