銀座 木村 屋 總 本店。 木村屋總本店とは

木村屋總本店

銀座 木村 屋 總 本店

— 2018年 7月月15日午前1時25分PDT 甘いあんこを包んだしっとりパン、日本人の心をつかんで離さないあんぱんはお好きですか? このあんぱんを作り出したのが、皆さんご存じのパンのキムラヤなのです。 今もなお、受け継がれる伝統の味を守り抜く木村屋総本店をご紹介します。 日本で一番公示地価が高い山野楽器の隣に店を構えていますが、現在の新橋付近から火災のため移り、その後何度か移転して今の店舗となりました。 創業者の木村安兵衛と次男である英三郎が日本人が好むパンを作り上げ、日夜研究に励んだ2人の功績で今日があります。 パンは創業当時はまだ日本には普及していない食品でした。 木村屋総本店のパンはイースト菌で作られていないことをご存じですか? 当時はイースト菌がなかったので、ホップを使用してパンが作られていました。 硬い食感で人気がなかったパン。 美味しく食べられるようにするにはどうしたらいいかと、考えられて作られたのが酒種酵母のパンです。 そして、その酒種酵母を使用したパンにあんこを詰めて売り出したところ、大ヒット!和洋折衷の新しいパンが誕生しました。 実は、このヒットの裏側には木村屋の恩人である山岡鉄舟が試食したことにあります。 鉄舟はあまりの美味しさに「陛下にも召し上がっていただきたい」と思いました。 献上したところ「引き続き納めるように」とお言葉を賜ったそうです。 今日までの歩みを掘り下げていきましょう。 木村屋総本店の歴史を知れば、もっとパンが美味しく感じられますよ! 木村屋の名が知られるまで パン屋を開業した時、創業者である安兵衛はなんと50歳!それまでは事務職をしていたと言うから驚きですね。 今でいう、脱サラをしての開業だったのです。 木村屋のHPによると、安兵衛にとっても大きな賭けであり、革命だったそうです。 まだ庶民の間にパンが根付いていない時代でしたが、明治天皇が召されたことがきっかけで、ようやくパン食が広まりました。 そして、西洋文化と共に「日本の菓子パン」として定着し始めます。 なんと「文明開化の7つ道具」として、あんぱんが上げられているのですよ! その後、明治18年に銀座に「チンドン屋」が現れます。 誰よりも先に宣伝としてチンドン屋を採用したのが木村屋。 一気に人気を呼び、木村屋の名が世間に知れ渡りました。 明治20年頃には歌舞伎の中嶋座正月興行に取り上げられたことで、ますます売れ行きが好調! しかも、その場面のフィナーレの錦絵まで売り出されたので大評判となったそうです。 木村屋を守ってきた人々 明治20年、木村屋二代目英三郎、翌年21年には恩人の山岡鉄舟、そして22年に初代安兵衛と相次いで亡くなりました。 安兵衛の妻・ぶんと、英三郎の弟である儀四郎の妻・ゆう。 この2人の女性が木村屋に残されました。 後の三代目である儀四郎は出奔中であったためこの時、木村屋は追い込まれていたのです。 この儀四郎がなんと10年ぶりに銀座に帰ってきました!木村屋の発展のために日々奮闘していたと言うから驚きです。 そして無事に儀四郎は三代目に納まり、店を譲った後に母のぶんも亡くなりました。 儀四郎が帰ってくるまでの間は、ぶんとゆうの女性二人が店を守っていたのですが、まだまだ女性の地位が低く今のような時代ではなかった時です。 男性の職人を使い木村屋の、のれんを守ってきた女性の活躍があってこそ、今の木村屋あると行っても過言ではありませんね。 木村屋のパンの種類をご紹介!.

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木村屋總本店 木村 光伯

銀座 木村 屋 總 本店

概要 [ ]• 創業のパンメーカーである。 2018年現在、1日約30万個の袋パンを製造する製パンメーカーであり 、その事業構成は、デパートなどで伝統的なあんぱんを中心に販売している「直営店事業」と、袋パンを製造・販売している「スーパー・コンビニ向け事業」に分かれ、後者が売上全体の80%を占める。 銀座にある関連会社の株式会社銀座木村家(銀座本店)は、明治時代からの同地に店を構え、7・8階にある工場で焼いたパンを1階で販売するインストアショップ形式をとっている。 には、創業者のとその次男で二代目の英三郎が、を考案し、翌年にはに献上された(この時に木村屋の特徴でもあるの塩漬けが、英三郎のアイデアで取り入れられた)。 また、には三代目・儀四郎がを考案した。 これらのパンは現在でも同社で人気の看板商品として親しまれている。 「むしケーキ」とは従来のを改良したもので、これも同社が元祖の商品である。 ・の直営所を兼ねた工場に加え、の東京工場を合わせた3工場で製造を行っている。 かつてにあった「藤沢工場」は、に三芳工場へ統合され、操業を終了した。 のを中心とする21箇所の直営店舗を運営するほか、や等で製品が販売されている。 前者の直営店舗で販売される商品には「銀座木村家」、後者で販売される商品には「木村屋總本店」のブランドが使用されている。 沿革 [ ]• 2年 - が日陰町 現:付近 に「文英堂」を開業。 明治3年 - 尾張町 現:付近 へ移転、屋号を「木村屋」へ改称する。 明治7年 - 酒種を発売。 銀座に移転し木村屋工場創業。 明治8年 - へ酒種あんぱんを献上、に加わる。 明治26年 - ・・に直売店を開く• 明治30年 - キールンに進出• 明治32年 - 京浜地方の菓子店を集結させた近代工場「東洋製菓」設立に参加(翌年設立)。 明治33年 - 東洋製菓のジャムを挟んだビスケットからヒントを得てを考案し発売。 明治34年 - 東洋製菓に倣って機械化を図る• 明治35年 - 木村屋系統店による木村屋世襲会結成し、木村屋統一餡として製餡専門工場の根津製餡所へ外注開始。 ビスケット製造の木村屋製菓合資会社(代表は木村屋出身の志村吉蔵)設立。 明治36年 - 第五回を契機に大阪日本橋に進出• 明治37年 - が始まり、軍用パン製造のため工場増設など事業拡大する• 明治38年 - に進出• 明治44年 - ・に進出。 軍需景気により平沼製菓を買収し、日本製菓を設立。 2年 - 現在の銀座本店が落成。 昭和5年 - に改組、「株式会社木村屋總本店」を設立。 昭和31年 - 設立にあたり初代会長に5代目木村栄一就任。 昭和40年 - に三芳工場を新設。 昭和42年 - に藤沢工場を新設。 昭和44年 - 創業100周年。 昭和45年 - に柏工場を新設。 昭和61年 - 中央区6丁目に「木村屋總本店ビル」が竣工、本社機能を同地へ移転させる。 昭和63年 - に「西新宿木村屋ビル」が竣工。 13年 - に東京工場を新設。 平成14年 - 本社を西新宿木村屋ビルへ移転させる。 平成20年 - 三芳工場に藤沢工場の業務を統合し、藤沢工場を閉鎖。 平成21年 - 株式会社銀座木村家を設立し、銀座本店内の業務を委嘱。 平成22年 - 本社を東京工場内へ移転させる。 平成24年 - ウェブサイトをリニューアル。 平成25年 - 再生経営者としてより代表取締役副社長を迎える。 事業所 [ ]• 本店 株式会社銀座木村家 - 4-5-7• 株式会社木村屋総本店所属の他店舗とは独立した運営をしており、株式会社銀座木村家が下記の事業を展開。 1階は、2階は、3階と4階はとして営業。 上層階にはパン工場がある。 過去に多くのをしていることから、この建物を指して「木村屋總本店」と呼ばれることもある。 直営店で販売する酒種あんぱんなどを製造。 三芳工場 - 大字竹間沢381• 最大規模の工場。 スーパーやコンビニなどの小売店へ卸す商品を製造。 柏工場 - 新十余二14-1• スーパーやコンビニ向けの商品を製造。 かつての事業所 [ ]• 藤沢工場 - 神奈川県綾瀬市上土棚北5-10-20 歴代社長 [ ]• 初代-木村安兵衛(次男は木村英三郎)• 2代目-木村英三郎(木村儀四郎の兄)• 3代目-木村儀四郎(木村英三郎の弟)• 4代目-木村栄三郎• 5代目-木村栄一• 6代目-木村周正 長男は()社長の、次男は()社長の木村寛。 33代 1982 理事長も務めた )• 7代目-木村光伯(木村周一郎のいとこで 、学習院大学卒業 ) のれん分け [ ] 明治末期から大正初期にかけての東京のパン業界では、木村屋系と三河屋系が二大勢力であり、その暖簾分けでなければ絶対繁盛しないと言われたほどだった。 木村屋3代目の木村儀四郎は1902年(明治35年)に木村屋系の店の集まりである「木村屋世襲会」を作ったが、日露戦争(1906年)ころまでは10軒程度だった木村屋名のパン屋が大正初期には100軒以上となって混乱状態となったため、直接の暖簾分け以外の孫店やひ孫店とは関係を絶ち、正統な木村屋系統店にのみ認可証を出し、月に1回30名程度の関係者が総本店に集まって研究を重ねた。 これをもとに、1949年には木村屋睦会が結成された。 蔵六餅本舗木村屋 - 株式会社木村屋。 (明治15年)に第2号店として千葉県佐倉市で創業。 佐倉歩兵第57連隊へ納入していた。 - 有限会社木村屋。 (明治20年)にで創業。 田村町木村屋 - 株式会社キムラヤ。 (明治33年)に現在の東京都で創業。 酒田木村屋 - 有限会社木村屋。 (明治35年)に山形県で創業。 築地木村家 - 株式会社木村家ペストリーショップ。 (明治43年)に東京都中央区で創業。 - 株式会社岡山木村屋。 (大正8年)にで創業。 のれん分けされた中では最大規模である。 KIMURAYA - 有限会社木村屋商店。 銀座木村家でした人物が(大正15年)にで創業。 - 株式会社札幌キムラヤ。 (昭和2年)にで創業。 現在、總本店の支援の下で経営再建中である。 ヨーロッパンキムラヤ - 株式会社ヨーロッパンキムラヤ。 1927年(昭和2年)にで創業。 - 株式会社木村屋。 (昭和25年)にで創業。 (平成29年)に事業を終了。 関連企業 [ ]• 株式会社銀座木村家 - 銀座本店の運営を行う。 代表取締役社長に木村美貴子(6代目木村周正の弟:信義の娘)。 株式会社キムラヤフレッシュライン• 都不動産管理株式会社• 株式会社木村屋ダイヤモンドヒルズ - 不動産賃貸業• 株式会社ブーランジェリーエリックカイザージャポン• 木村屋總本店の6代目社長周正の長男・周一郎が叔母の資金援助により起業した専門の。 フランスの有名パン職人エリック・カイザーの店「メゾンカイザー」と同じ店舗名で展開。 因みに「メゾンカイザー」はフランスパン専門店である為、キムラヤの看板商品である「あんぱん」や「メロンパン」などのは置いていない。 参考文献 [ ]• 『「老舗」味めぐり』、東京・グラフ社、「姉・泰葉が檄怒したあんぱん事件の真相」、P100、2006年(平成18年) 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] []• ビジネス・ジャーナル、2015. ビジネス・ジャーナル、2018. 木村屋総本店• 山梨県中小企業団体中央会• 日経新聞、昭和51. 木村屋総本店• 菅田耕司、日本パン菓新聞社、2013年01月24日• 公益社団法人 東京青年会議所• 銀座公式ウェブサイト、2018. 週刊現代、現代ビジネス、講談社、2013年3月6日 外部リンク [ ]• - 築地場外市場による店舗紹介ページ• - あす. ぱによる店舗紹介ページ• この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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日本のパン食文化を開花させた東京・銀座の木村屋總本店

銀座 木村 屋 總 本店

日本に「パン食」の文化を育てる• 木村屋の創業は明治2年で、初代は明治維新によって職業をなくした武士でした。 長崎の出島で、オランダ人の屋敷で働いていた職人と出会い、製法を聞いてパンづくりを始めました。 当時はパンを早く発酵させるイーストもなく、ホップを使っていたので、硬くて日本人の口には合いませんでした。 そこで酒饅頭をヒントにして酒種を考案し、もっちり、しっとりとした食感のパンにあんこを包み「酒種あんぱん」を作りました。 山岡鉄舟先生のご推挙で明治天皇に「酒種あんぱん」を献上し、それからほとんど製法も変えずに、今の時代に引き継がれています。 明治の半ば、日本人に不足していた栄養素がパンに含まれているということで「パンを食べると脚気が治る」と注目された時代もありました。 昔から、グループ会社である木村屋總本店の営業エリアは、関東だけなんです。 暖簾分けをして、それぞれ地元で頑張っている方々の地域に本家が出ると、そのお店を潰してしまう可能性があります。 暖簾分けをした皆さんに全国で頑張ってほしいので、そうしています。 創業の時代から「パン食を日本に広めたい」という思いがありましたので、あんぱんの特許も取っていません。 「酒種」という発酵文化の豊かさ• パンの製造もこのビルで行なっていると伺いました。 このビルは、木村屋總本店100周年に祖父が建てました。 お客様も銀座の本店を見て、木村家を感じてくださっています。 銀座木村家は何があっても、正直にまじめに商売をして、常に木村屋グループのトップであり続けるような事業をするように意識しています。 「お冷 冷めたパン をお客様にお出しするわけにはいかない」という気持ちから、パンの製造もこのビルで行なっています。 それから、お客様の健康と味覚の楽しみを届けたいという思いが、創業以来変わらずにあります。 どんなに時代が変わっても、できるだけ天然のものを使ってパンをつくるようにと心がけています。 効率を求めれば、イーストを使って3~4時間でパンができます。 自然発酵のものは、菌の状態によって発酵の早さが違いますし、種起こしから1週間でようやくできるというものもあって、効率的ではありません。 それでも、天然の酵母にこだわっています。 酒種は日本にしかない酵母なんです。 ベルギーに本社を置く製菓製パンの原材料メーカーが、世界中から地域特有の発酵種を集めてライブラリーを運営していますが、そこに日本の酒種を展示させて欲しいということで、日本で唯一、木村家に声が掛かりました。 世界中に地域特有の発酵種がありますが、扱う会社などに後継者がいなくて廃業されることも多いのです。 その発酵種を後世まで残したいという思いから非営利でライブラリーを開設しているのです。 木村家の酒種も、そのように後世まで守りたいと思っていただけるのは有難いことだなと思います。 本当に、発酵ってすごいですよ。 たとえば発酵作用でフグの毒消しをする、なんていう話もあるんです。 昔の知恵ってすごいな、発酵ってすごいなって、本当に思いますね。 海外のガイドブックに「日本で最古のパン屋さん」と取り上げていただいたこともあって、ご来店数の3~4割が海外からのお客様です。 海外からのご来店は日本独自のパンを知っていただく良い機会だと思います。 西洋の方や、あんこ離れしている日本人の方にも抵抗なく食べていただけるように、フランスパンの生地にあんこをいれたあんバターパンなども開発しました。 木村家は、日本の食文化を一層知っていただく助けになりたいのです。 人への思いやりを大切にするまち、そして企業に• 今でいう「CSR」に近いものだと思いますが、こちらは銀座木村家さんでも共有されているのですか?• はい、共有しています。 ずっと当たり前のように大切にしてきたことです、震災などが起こった時に、救援物資としてパンをお届けするということはしていますが、特にCSRという言葉を意識したことはありません。 お客様も 五つの幸福など、経営理念に掲げていることは 木村家が当たり前にやっていることだと思っていると感じます。 これからも大切にしていきたいと考えています。 月に一回、ディナー・ミーティングを始めました。 木村家はそれほど従業員が多いわけではありませんが、製造、レストラン、販売、ホールなどで働く時間帯が違うこともあって、従業員のコミュニケーションが十分ではありませんでした。 それで、様々な部門から従業員が集まって、食事をしながら本音で話したり、意見を出し合えるようにしました。 木村家の事業にも参考になるパン屋さんやレストランを会場に選び、楽しみながらやっています。 「銀座」への想いをお聞かせいただけますか?• 「銀実会」は「銀座の街を良くしていこう」という若手の集まりで、私は35歳の時に、OBの方からお誘いを受けて参加し始めました。 企画部では、夏の「ゆかたで銀ぶら」や秋の「銀茶会」の運営などをしています。 銀実会では諸先輩方から、昔の銀座の話や、どういう思いでお商売をしているのかを伺う機会も多いのですが、皆さん「仲間に恥ずかしくない商売をしなさい」と仰います。 「安心安全が守られる街でありたい」という思いもあり、東京マラソンの時は、銀実会が参加して、街のご案内や、警備の協力をしています。 銀座が良くなれば、それぞれのお商売が良くなると思いますし、銀座のブランドを大切に守っていきたいという思いを強く持っています。 銀座木村家には「昔、祖父母に連れてこられた」といった思い出と共に訪れてくださるお客様が多くいらっしゃいます。 「今でも懐かしい」と言っていただけることは、とてもありがたいことだなと思っています。

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